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カテゴリ:本
おーはー(もう昼だけど)。
突然ですが、みなさん自分の人生を送っていますか? 自分が自分自身の人生を送っているとすっかり思っていたのに実はぜんぜんそうじゃなかったとしたらどうされますか? 怒りますか? 暴れますか? ベッドの上で飛び跳ねますか? でも、それ自体も、もしかしたらあなたの意思でやっていることではないかもしれませんよ? この宇宙は広大で、無慈悲で、冷酷で、私たち人間のことなんて屁とも思っちゃいません。都合のいいときだけ利用して、いらなくなったらポイと捨てる。言ってみれば使い捨てのティッシュのようなものなのかもしれません。 というような世界観の中で果たして人は何か意味のあることをして、意味のあることを言うことができるのでしょうか。 そんな疑問にあたたかな眼差しで答えてくれるのが、カート・ヴォネガット・ジュニアさんという作家であり、この「タイタンの妖女」というちょっと古臭い表紙絵のSF小説なので~す。 「すべての時空にあまねく存在し、全能者となった彼は人類救済に乗り出す。だがそのために操られた大富豪コンスタントの運命は悲惨だった。富を失い、記憶を奪われ、太陽系を星から星へと流浪する破目になるのだ!」(出版社/著者からの内容紹介) なんでも、爆笑問題の太田さんとかおっしゃる方は、この本を読んで涙を流し、事務所の名前を「タイタン」にしたとか某レビューに書いてありましたが(この本のレビューで、この「太田さん」という人物が出てくる確率のなんと高いことか!)、不肖このわたくしもラムファード夫人の最後の言葉に涙を流し、事務所の名前を…と思ったら今も昔も事務所なんて一度たりとも持ったことがありませんでした。 で、肝心の小説の出来ですが、最高とゆってもいいかもしれません。ただし、表現のしかたがおちゃらけというか、ユーモアを交えての飄々としたリズムというか、先の展開に期待を持たせるような大作的雰囲気などが微塵もないので、「さあ、SF小説を読むぞ」とか「ものすごい評判だけどいったいこれはどんな小説なんだろう」とかいった感じで期待に胸を膨らませて、肩肘張って出発するともしかしたら最後までたどり着けないかもしれません(笑)。とりあえず暇だから読むか、みたいに、らく~にいくと吉とでそうです。 というのも、確かに作品中に宇宙船とか宇宙とかその他いくつかのSF的小細工は出てきますが、正直言ってこれはSF作品ではないからです。どちらかというと純文学に近いし、もっというなら純文学という「構え」すら大仰に過ぎます。 不肖わたくしが思い浮かべたところで言わせていただくなら、村上春樹さんの「風の歌を聞け」みたいな感じ、と言うと近い線をいっているかもしれません。つまり、一見、どうでもいいこと、なんでもないことをただずらずらと気軽に並べてるだけみたいに見えるのに、最後のしめくくりの場面にくるとなぜか、突然、心にさざなみが広がって、気がつくと涙が頬を伝ってる、みたいな。そんなミラクルな作品なのです。 ちなみに、わたし、この本を手にとった動機は、カート・ヴォネガットっていう有名な作家の名前が頭の片隅にあって、この本の作者のところにカート・ヴォネガット・ジュニアって書いてあったので、「ははん、有名作家のこせがれか。まあ、ちょっと読んでやるか」ってな感じでした。なんて無知なんでしょう…。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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