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カテゴリ:本・文学
もう、雨と晴れがめまぐるしく変わるのやめてほしいい…!
さっきまで、お腹壊してヘタッていた。 それから復活したはいいけれど、今度は眠れなくなり…。 何もする気は起きないので、窓の外で雨の音がするのは、ちょっと良かったりする。 でもせっかくだから、雨を詠った万葉集の歌など、探してみよう。 ***** 今の季節にどんぴしゃじゃないけれど、秋の時雨よりはよかろうという感じで、一首みっけ(^.^)。 ◆春雨を待つとにしあらしわが屋戸の若木の梅もいまだ含めり (藤原朝臣久須麿) はるさめをまつとにしあらしわがやどのわかぎのうめもいまだふふめり …私の家の若木の梅も、まだ蕾です。春の雨を待っているようです。 雨の風情そのものを詠った歌というのがなかなか探し出せなくて、読むというよりはパラパラとめくり見しているうちに、目に止まったのがこれ。 「春雨」に「はるさめ」、「含めり」に「ふふめり」とルビがふってあったのが、お腹を壊してゲッソリした身体と心に、優しくふりかかってくる気がした。 逆に、ルビがふってなかったら、案外スルーしてたかも…。 思うに、和歌は、意味や聞いた語感よりもっと前に、「見た目」で振り分けちゃうことが多いかも。 万葉集は4500首以上もあり、まともにガツに読もうとしたことはない。 だいたいパラパラめくって、なんとなくその時に見た目で引っかかったのを、もうちょっとよく読んでみる、という感じ。 だから、日によっても引っかかってくる歌が違っていて、インスピレーションを楽しむみたいなところがあるので、いつまでも新鮮で楽しい。 いや、そうじゃないと続かない(^_^;) 「ふふむ」=内部に含む。(花や葉が)まだつぼんだままである (ベネッセ古語辞典) →「ふふめり」なんて、綺麗な言葉が昔はあったもんだなあ…。いいなあ。 そして、冒頭の歌。 これは、全く背景を無視して拾い出したんだけど、ふとネットで見てみたら、これは比喩の歌だったのですね。 この歌の作者である藤原久須麿クンが、大伴家持さんに、何度となく 「娘さんと結婚させてください~」 と頼み、 家持さんが、 「いやあ、お気持ちは大変嬉しいのですが、うちの娘はなにぶんまだ幼くて…」 と歌で婉曲に断ったのに対し――、 「そうですね、こちらも若いですから、よい時期が来るのをお待ちいたします」 と、丁寧に返答し返した時の歌が、冒頭の歌だということだ。 へへえ。 ネットでは、両家は政敵の関係にあり、政略結婚的な婚姻申し込みであったらしい、とあった。 ということなので、では、家持さんがどのように申し込みを断ったのかというのが気になるのだが、そしたらちゃんと直前に幾つか載っていた。 ◆春の雨はいや頻降るに梅の話いまだ咲かなくいと若みかも はるのあめはいやしきふるにうめのはないまださかなくいとわかみかも …春雨はこんなにしきりに降っておりますのに、梅の花はまだ咲いていません。まだまだ若いからでしょうか。 これを見ると、結婚の申し込み(=雨)は相当しつこくあったような印象である。 でもそれを、「春の雨がしきりに降る」と言われて、嫌な気持ちがする人はあまりいないだろう。 これがもし、「夕立」とか言われたなら腹立ちそうだし、「時雨」ってのもちょっとジメッとして感じわるいのではないか(^.^;。 なかなか上手い断り方ですね(*^_^*)」 だけど、ちょうど春雨の時期で良かったってことだよね。 もし真夏とかだったら、家持さん、どう言って断っただろうか。 でも結局、上手いこと言ってかわすんだろうな~(^o^) 2013.04.24 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.04.25 12:08:57
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