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評価・採点というと,馴染み深いところでは,さまざまなコンペティション(コンクール)とかスポーツ競技がある.参加者は評価の基準をよく知っていて,自身の評価を高くするように努力する.今回の世界柔道大会で日本勢の成績がふるわなかったのは,評価の基準に選手が十分に適合できなかった面が大きいと思う.
コンペティションや競技では成績を数値で表わしたり,優劣をつける必要がある.だから競技のルールとして皆が従っている.現実の人間の活動はもっと多彩多様なものであるから,同じ手法で人を採点することで,それが決定的な意味をもつなどということは常識的に言ってもありえない.あってはならない. 英語に one of the best という表現がある.best 以外にも色々な形容詞の最上級が使われる.He is one of the greatest footballers in Japan. (彼は日本で最も偉大なサッカー選手の1人である)という調子.少なくとも英語文法としてはこれでOK.こういう表現をホントにする場面があるかどうかは知りませんけどね. この表現を教わって違和感を覚えた人は少なくないだろう.最上級なんだから,1番なんだから,複数の1番があるのはおかしいじゃないか.どうして最上級の後が複数形なんだ? しかし,よく考えてみたら,おかしいのは英語ではなくて,おかしいと感じる自分のほうだということが判る.日本人は競争・評価ばかりの教育システムの中で育てられるし,大学のほうも東大を1番とする格付けができている.日本人には優劣関係,上下関係で物事を見る習慣が染み付いている.一次元の数直線上に並べるという思考習慣である.一次元であるから最上級は1つしかない. 現実には,こういう一次元の評価で処理できない事柄はたくさんある.2枚の絵を見比べて,「こちらの方が良い」という判断が常にくだせる訳ではない.AとBのうち,Aのほうが自分の好みに合っているということはあるだろう.しかし他の人はBのほうが,より好みに合っていると言うかもしれない.自分にはAが,他の人にはBが,それぞれbest なのである.だからbest という最上級で形容される物は複数ある.あって当然なのだ. 人々が,best は1つしかないはず,という偏狭な考え方から脱皮して,one of the best というゆとりある見方で人や作品を評価できるようになったとき,日本の教育界は大きく方向転換できるのかもしれない.いや,ダメかな? 教育システムをまず変えなければ,やっぱり偏狭な一次元思考は変わらないのではないだろうか. お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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