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さきに「なぜウソをついてはいけないか」について書いたので,今度は「なぜ人を殺してはいけないか」を考えてみよう.人殺しが忌避される生物学的根拠はあるのだろうか?
じつは結論から言うと,そういう根拠は今のところ見つかっていない.これでは身もフタもないけれど,まあ説明してみます. 人殺しが忌避される理由をハッキリ述べた生物学者というと,かの K. ローレンツ博士です.有名な説ですね. 犬がケンカをする.負けそうになった犬は仰向けに寝て,相手に腹や喉を見せる.自分の最も弱いところを相手にさらけ出すことで,服従の意思表示をする.見せられた相手は,そこで攻撃をやめる. 犬は肉食獣であり,そのキバは強い殺傷力をもっている.際限なく闘ったら相手を殺してしまうことになる.これは種族維持にマイナスである.だから勝負がハッキリした段階で攻撃をやめるという仕組みが進化してきたのだ. ところがハトは違う.ハトは肉食性の猛禽ではない.そのクチバシは一発で相手を殺してしまうような殺傷力はない.だから仲間うちのケンカでも,相手を殺してしまう前に攻撃をやめるという仕組みは進化して来なかった.ケンカに負けたほうは引き下がり,時には逃げる.それで良かった.しかしケージの中など閉鎖空間で飼育されているハトは逃げ場がない.だからハトのケンカは歯止めなく,しばしば相手を殺してしまう. 人間は犬と同じであり,殺人に至る前にブレーキがかかる.それが本来の人間である.しかし兵器が発達するにつれ,このブレーキが効きにくくなった.ナイフで刺すよりは銃で撃つほうがブレーキがかかりにくい.相手が見えない状態でボタン1つで爆弾を落とすような戦争だと,生物学的ブレーキはまずかからない. まあ概略そのような説です.何度も書くけど,これを言ったのは,かのロ-レンツ博士で,とにかく説得力がありました.しかし,この説は今では否定されています.それは「遺伝子は利己的である」ことがハッキリ意識され,行動生態学というような分野が起ってきた頃からだと思います. ローレンツ博士は,相手が死ぬまで攻撃するのは「種族維持にマイナスである」から,だから攻撃抑制の仕組みが進化してきたのだ,と説明しました.この説明が間違いなんですね.ダーウィンの進化論では,進化の原動力は「自分の遺伝子をできるだけ多く残すこと」であって,種族が維持されるかどうかなぞ知ったことではありません.種族維持にとってプラスだとかマイナスだとかいう説明は,現代生物学では全く支持を得られないでしょう.そのあたりの事は R. ドーキンスの「利己的な遺伝子」をご一読ください. という訳で,「なぜ人を殺してはいけないか」は,今のところ生物学的に説明できないと思います.それでも,と私は思うのですが,確かに私は相手が見えない状態で爆弾のボタンを押すことはできるかもしれない.しかしナイフで人を殺すなどということが,自分にできると思いません.やはり心理的なブレーキがかかるでしょう.そのブレーキの根拠を進化論の中に見つけられないというのは,納得できないものを感じます. 一方,社会の成り立ちとして見れば,人殺しを「犯罪」とせねばならない理由は明らかです.人を殺して構わないと考えている人とか,平気で人を殺せる人が自分の近くにいたら,うっかり眠ることもできません.人間の社会(共同体)が約束を基礎に置いているのだとすると,その約束を簡単にご破算にしてしまうような行為を許容することは,おそらく非常に難しいのでないでしょうか.
ローレンツ博士、懐かしいです!内容の詳細は忘れているので、ソロモンの指輪や人、イヌに会うを読み返してみたくなりました。が・・・いまでは否定されているのですか。利己的な遺伝子は確か夫が買って家にありますが、まだ読んでないので、早速読んでみます。ローレンツ氏の説と利己的な遺伝子を並べて考えたことがなかったので、ちょっと(かなり?)びっくりしてしまいました。
社会学的にみると自明のようですが、生物として考えるとまた別の側面があるのですね。興味深いです。(December 6, 2007 21:27:51)
なんとなくローレンツ説に納得させられちゃいますが。
えーと、小社会説っていうのはどうでしょう? 初期の人類は、比較的小さな社会で生活していたので、当然血縁が多い。とすれば、他人を殺すことは自分の遺伝子を伝える可能性のある人間を殺すことであった、とか。 あるいは社会が小さいので、自分自身の子供を育てるには社会の構成員を少なくすると不利益が生じるとか。(すんごいいいかげんに憶測を並べてみました^^;)(December 6, 2007 23:35:39)
まいさん,コメントありがとうございます.
「利己的な遺伝子」のほかドーキンスの訳本が少し出ていますね.最近のものの方が良いかもしれません.白状しますと私は最近のものを読んでいません. 進化論のエッセーといえば,S. J. グールドの著作が有名です.示唆的な内容で余韻の残る書き方が日本では受けているようです.「何を言いたいのかわからん」と英国では不人気.英国人はわざわざ極端な表現をして関心をひこうとする傾向があります.ドーキンスはその典型で,少々やり過ぎではと私は思います. 同じ英国人ですが,私はリドレーの著作が好きです.「徳の起源」(翔泳社)がテーマも内容も面白いのですが,なぜか後に残りません.「赤の女王」(翔泳社)の方が内容がまとまっていて名著ですが,今は絶版らしい.手に入るなら「赤の女王」をお勧めします.(December 7, 2007 18:52:36)
えあしゃさん,こんにちは.
>えーと、小社会説っていうのはどうでしょう? すみません.そういう説があることを知りませんでした.どちらも論理としては正しいと思います.それらを支持する根拠があって,反論があって,という事であれば,面白い展開になるかもしれませんね.(December 7, 2007 19:00:35)
>すみません.そういう説があることを知りませんでした.
いえ、私が適当に名付けた説でほんとにあるかどうかは知りません(笑) アメリカの部族では、同性愛者が近縁の子供の世話をし、それにより自分の遺伝子を保存するという話を読んだことがあったので、まねっこしてみました。 (December 7, 2007 22:56:00)
安斉育郎氏の話にありましたねー。
科学の領域か、価値観の領域か。 殺しあって生き残った奴が偉いんだ、という価値観を基準にすることが、「絶対的」な「間違い」ではない。 あくまで、そういう価値観で平和に暮らそうよ、ということを「合意」でやろうじゃないか、というのが人類の進歩(これは「進化」じゃないな…)の到達点。 (December 8, 2007 00:04:38)
えあしゃさん,面白いね.
アメリカの部族の話は知りませんが,震源地は行動生態学というか,ハミルトン博士あたりでしょうね.働きバチはなぜ子供の世話をするか? 「子孫をつくらない」という性質がなぜ子孫に伝わったか? (December 8, 2007 07:12:38)
goldberg2006さん,ご訪問ありがとうございます.
「なぜ人を殺してはいけないか?」がひと昔前に話題になったという記憶があります.こういう問いを子供が発したとき,オトナはきちんと答えるべきだというのが,この記事を書いたそもそもの動機です. >科学の領域か、価値観の領域か。 そうなんですよね.人間の行動の生物学的基礎みたいな分野にとかく関心があって,専門家でもないのに色々書いてみました.(December 8, 2007 07:21:26)
Ladybirdさん。こちらでは、お初ですね。
今後とも宜しくお願いいたします。 >ドーキンス 僕も2年ほど前に読んだので、うろ覚えですが、 金子勝氏と児玉さんって方が、『逆システム論』っていう岩波新書で、ドーキンスやモノー批判(まだまだ『優生思想』の色彩強いと)を書いているの読んだことがあります。丁度ヒトゲノムが解読されて、大腸菌はDNAのほとんどがタンパク構造の情報であるのとは異なり、ヒトのような長い連鎖と本数を持つDNAは身体を構成するのタンパク構造情報としては、たった2%に過ぎない。ネズミとヒトでは遺伝子の数では大差ないけど、ヒトの場合、調節制御をつかさどる領域が大きく、多様で、複雑で、遺伝子が個々にどんな意味を有しているのか、如何なる『適応力』を発揮するのか、まったく未解明、っていう内容かな。 これを読んで、「適者生存」とか、「種の保存」とかの「目的原理」など受け付けない、多種多様の眠れる遺伝子が『何時お呼びがかかるかと出番を待っている』ような印象を持ちました。 ま、この比喩も正確じゃないですね。 そんな『出番』さえお構いなしに、取り合えず『保存』してしまう仕組みなんですから。 まるで、レヴィ=ストロースが、『野生の思考』で紹介してはった百家全書派的な『未開人』の様に、自然という名の『好奇心』(偶然の恋心)だけが、量子的必然にも導かれて「DNAを守らせている」っていう風にも読めました。これだと、神(自然)は細部に宿るってことになるんでしょうか? (December 8, 2007 23:25:12)
共同体としての社会をかたちづくり生きる非力な人間は、個に死して類に生きる類的存在であります。であるならば、暴力は内部規範と外部対抗という二つの契機をもって行使されるもので、類的存在に深く根ざしたものなのです。
人間が粗野であった原始共産主義にあって、前者は文字通り共同体を維持してゆく掟として、後者は他の共同体から我が共同体を防衛するために暴力は行使されました。 そうした文脈にそっていえば、えあしゃさまの小社会説というのはマルクス主義をかじったものにとっては極めて妥当なものであります。 特筆すべきは、鉄の登場による生産力の発展が、原始共産制を解体し奴隷制社会へ移行するまで、他の共同体との接触を契機とする戦争において敗者は奴隷として獲得されることなく皆殺しとなったということであります。この事実は人間がその時点ではまだ未成熟な社会に生き、ダーウィンの進化論に多くを支配されていた、生物としてのヒトの域を脱してはいなかったということなのでしょうか。と記事を拝読して思いました(December 9, 2007 21:19:13)
三介さん,ようこそ.
遺伝学方面からの評論は,どうしても遺伝子決定論ととられてしまいます.ドーキンスは誤解されているのでは,とも思います.モノーは時期尚早でした.ご指摘の通り遺伝子については今後ますます知識が増えていくでしょうから,今の段階では何とも言えない面が多々あります. 恥ずかしながらレヴィ・ストロースの著作は私の理解を越えています.私事ですが近所にパンセ・ソバージュという喫茶店があります.(December 10, 2007 09:31:01)
薩摩長州さん,こんにちは.
類的存在ですか.なるほど. その「類」の根拠を血縁度(遺伝子を共有する度合い)に求めるか,「くり返しゲーム」(長期の付き合い)に求めるか,というあたりが,えあしゃさんのご指摘だと思います. >鉄の登場による生産力の発展が、原始共産制を解体し奴隷制社会へ移行するまで、他の共同体との接触を契機とする戦争において敗者は奴隷として獲得されることなく皆殺しとなった そうなのですか.敗者を労働力や商品として利用するよりも,自分たちの安全を確保する方が重要だったのでしょうね.(December 10, 2007 09:54:46)
> 敗者を労働力や商品として利用するよりも,自分たちの安全を確保する方が重要だったのでしょうね.
----- 生産力が低い場合、「捕虜を食わしていく」のを前提に労働力をピンはねしても、得るものがすくなく、損。 むしろ「敵を滅ぼして、ナワバリを広げる」のが、得。 生産能力が向上してこそ、「タダ働きさせて、不労所得者が利益をえる」方法が実現できる…といったところですね。 ただ、日本の縄文時代は、「粗野」な原始共産社会と歴史の「えらい先生」たちに言われてきましたが、 じつは豊かな社会だったと、「理系」の人たちの研究で判明してきてます。 (平均労働時間、2~4時間/日だとか)(December 11, 2007 08:24:18)
goldberg2006さん,こんにちは.
>生産能力が向上してこそ、「タダ働きさせて、不労所得者が利益をえる」方法が実現できる…といったところですね。 根底に生産能力があるということですね. >ただ、日本の縄文時代は(中略) >じつは豊かな社会だった 日本の歴史も見直しが進んでいるのでしょうね.(December 11, 2007 16:50:55)
こんにちは、コメントとTB、ありがとうございます。
なんと、ほとんどそっくり同じことを、 以前、書いていらしたのですね。 「種の保存のために、同種どうしで殺し合わない」は、 ローレンツの学説だったのですね。 犬などに見られる、殺し合い防止の遺伝子という、 強力な根拠もありますし、ひじょうに説得力が あったのではないかと思います。 (いまでも、そう考えているかたは、多いと思いますし。) それから、ローレンツは、人間も殺し合い防止の 遺伝子を持つ「強い」生物と見ていたのですね。 もっとあとの研究で、人間はそうした遺伝子のない 「弱い」生物だと、わかったみたいだけど。 人為的に、ケージの中に入れられた鳩は、 際限なく相手を攻撃して、死にいたらしめることがあるけれど、 武器を持った人間も、これと同じような「人為的」な状態と 考えればいいのではないかと思います。 生物学的には、人間は人間を「殺してよい」とも 「殺していけない」とも決まっていない、 ということでよいのだろうと思います。 わたしたちが、人を殺そうとするときの強烈な抵抗感は、 「人を殺してはいけない」と、「知識」や「思想」として、 伝えられたものではないかと思います。 それにしても「種の保存のために、人間どうし殺し合わない」 という考えは、ものすごく魅力があるんじゃないかな? 戦争や殺し合いが嫌いな人はたくさんいるし、 そうしたかたは、「みんななかよく生きて行く」 という考えには、相当に魅せられるでしょう。 「遺伝子は利己的だから、同種間でも殺し合いはありえますよ」なんて、 受け入れ難いんじゃないかと思います。 (May 8, 2010 00:17:10) │<< 前へ │次へ >> │一覧 │コメントを書く │ 一番上に戻る │ |