仙台日記
東北出張日記4月3日14時50分伊丹発山形行きのANAに乗る。使用機の到着が遅れて、しかもどうやら座席を汚してしまったようでその片付けもあり、飛んだのは30分遅れ 16時45分に山形空港着 思った以上に寒い。飛行機から見えていった山はしっかり雪山やし、空港にもちらほらと雪が残っている。仙台行きのバスに乗る。 17時5分発だったのだけれど、これも遅れて出発したのが17時15分くらい。山形の方はほとんど地震の影響は感じられないが走っているうちに屋根にブルーシートを載せた家が何軒か見える。暗くなってくるがよく見ると結構しっかりと雪が降っている。仙台市に近づいて行くと途中にあったブルーシートは無くなっていく。市街地に着くと普通に都会で普通に町が動いているように見えてちょっと驚き。しかし、よく見ると通行止めの道があったり、足場を組んでいたり・・・バスを降りてとぼとぼとホテルまで歩く。10分くらいかな?ホテルはウェスティンホテル仙台。それなりのシティホテルなのだけれど、震災の影響で公には営業していない。裏口からはいってチェックイン。フロントが26階で客室はなんと30階。これって地震が来たら揺れるやろうなぁ・・・部屋はデラックスツインって感じやろうか。けど、消耗品やリネンは使えない。ゴミは自分で出せと言う。まぁ、それくらいは我慢しないとな。部屋に荷物をおろして、食事に出かける。食事するのもそんなに不自由はしないですみそうな感じ。まず隣にあったローソンで朝食を調達。なんか遅くまで営業してそうな気がしなかったので、先に確保。品物は少なかった。酒類はすべて売り切れ。でもまぁ水も売っているし、パンはあるので飢えることはなさそう。近くに牛タン屋さんがあったのでそこに入る。控えめに生ビールを注文したけれど、全然普通な感じ。生ビール2杯に牛タン定食で約3000円なり。うまかったけど、やっぱり一人は寂しいな。この店がこのあたりでは有名な牛タンのチェーン店「利久」だと後で知る。月曜から行く支店の場所を確認しつつ散歩しようと歩き始める。やっぱりさっきのローソンは閉まっている。他のコンビニもほとんど開いていない。携帯のナビを頼りに支店に向かっていたのだけれど、支店に着くちょっと前で携帯の電源が切れてしまう。だいたいこの辺って言うところまでは行けたけれど、確信が持てないまま帰り始める。できれば寝酒になるようなものを手に入れたいところやけれど、なかなかコンビニが開いていない。うろうろしてようやくホテルに着いたと思ったところでホテルの向こう側にセブンイレブンが見える。期待せずにとりあえず行ってみると、酒類も置いていた。おにぎりもあった。ハイボール2缶とおにぎりをゲット。しかも聞いてみるとこの店は24時間営業らしい。一安心。初日から飛ばしてもいけないので、そこそこ部屋で過ごして早めに寝る。11時就寝。4月4日朝5時半起床。よく寝たはずなのになんか眠たい・・・どうもホテルのベッドは苦手やな。熟睡できてない感じがする。ちょっとぐずぐずしてしまったけれど、朝食の後走りに出る。ちょっと海の方向に向かっていって見るか。それにしてはスタートが遅くなりすぎた。粉塵はあまり吸わない方がいいと思ってマスクをつけて走って見たけれど、やっぱりきつい。津波の爪痕を見ることなく、Uターンして帰ってくる。27分弱走ったけれど、めっちゃ遅かったから4.5キロぐらいじゃないかな?落ち着いたときにネットで確認してみよう。ホテルに戻ってシャワーを浴びる。運のいいことに、このホテルにお湯が出るようになったのは3日から。それまではポットにお湯を沸かして、それで体を拭く程度しかできなかったらしい。そんなんじゃ走るどころじゃなかったやろうな。よかったよかった。さっぱりしたところで出勤。8時前に着いたのにもう支店の中は慌ただしい感じ。俺は仙台高専の調査担当。4日の調査はホンマに大変やった。とにかく寒い。なんと最低気温は氷点下。それ以上に風が強くて参った。体感気温はそれ以下。関西にいるときは真冬でもこんなに寒いと感じたことは無いかもしれない。午後から始めた調査は夕方19時近くまでに及んだ。支店に戻って資料の整理と翌日の段取り。俺はまだよくわかってないけれど、前から乗り込んでいたメンバーは本当によく頑張っている。この日もホテル泊。このホテルに泊まれたことの居心地良さを後で感じることになる。夕食はコンビニで買った中華どんぶり他。なんかこんなことしていたらホンマに太りそうやな。なんか対策を考えないと。4月5日この日は朝7時半支店集合。とにかく時間がないのでめいっぱいな感じ。幸い気温が上がってくれて、4日のような悲惨さは無い。けど、なんか疲労を感じる。まだまだこれからやのにな。朝から夕方暗くなるまでずっと調査。休憩時間もほんの少し。さすがに暖かくなった分、仕事はよく伸びる。この日の夜は一緒に仕事をしているメンバーと一緒に食事。利久という牛タン屋さん。店に行けるのがぎりぎり21時。ラストオーダーが21時。これではイカンとそこのお店の人が同じチェーン店で遅くまであいている店を教えてくれて連れて行ってくれた。それがなんと、俺が初日の晩にひとりで食べた牛タン屋さんやった。やっぱりひとりの時とは違う。いろんなものを注文して、みんなでわいわいと食事。なんかこれがいい感じやな。この日から宿舎が変わる。場所は支店からかなり近いので言うこと無いけれど、単身者向けのワンルームマンション。そこに面識のない人とふたり生活。しかもガスがまだ復旧していないので、お湯が出ない。いやはや、どうなるのか・・・あれ?今日は何曜日だっけ?まぁ、少しの間やから、我慢するか。今、支店で俺の住む場所を探してくれているらしい。それに期待。4月6日この日も一日中調査。この日に調査した建物が一番損傷がひどかったな。写真を撮らないといけないので、日没との勝負。目標としているところまで終わらせたのと日没がほとんど同時やった。この日も気のあった仲間で牛タンを食べに。なんとこれで3回目。ちょっと牛タン率高すぎやな。4月7日この日は調査してたまった資料の整理。いやはや、とんでもないくらい膨大な量。普段のデスクワークでも無いくらいずっと座りっぱなしの作業。これまで3日間、立ちっぱなしの仕事から一転して、座りっぱなし。この方が腰が痛くなった。なんせ、急ごしらえのオフィス。椅子はパイプ椅子やからなぁ・・・今日は夕方ちょっとだけ仕事を抜けて、不動産屋さんと家探し。物件が全体に少ないのだけれど、その中でも一長一短。早く移りたいけど、それで妥協するのもね。今のところ、一番いいと思っている部屋はGW明けじゃないと入れない。それまではここで我慢するかなぁ・・・この日の晩になかなか強烈な余震に見舞われる。ペンダント型の天井からぶら下がった照明器具が天井にぶつかる。枕元に置いてあったペットボトルは全部こけて、3月11日の地震で一部欠け落ちていたベランダのタイルがさらに欠け落ちて・・・幸いここは停電にならなかったけれど、他の宿舎では停電になったり、ホテルから外に出るように言われたり、大変なことになっていたらしい。4月8日前の日の余震で被害は広がったらしく、朝7時過ぎにすでに事務所は慌ただしく動いている。3月11日の地震で被害を受けていた建物の応急処置がようやくできたところにこの地震で前よりさらにひどくなったところも1件や2件では無い。今回の震源が11日のより仙台に近かったので、縦揺れの要素が大きくて被害に繋がったのもあるし、すでに被災してかろうじて持っていたものが、ダメ押しでこけてしまったものもあるし・・・みんなが2人一組のチームであちこちに散らばっていく。 俺はと言うとこの日も資料の整理。この日が資料提出の日になっているので、俺も飛んでいきたいところだけれど、そうはいかない。7日と8日で俺があつかった写真だけで軽く千枚は超える。機械的な作業なので、誰でもできることなのだけれど、人手不足の中誰もがやらないといけない。それにしてもうちの若い連中はホンマによく働く。営業に頼まれて近くのマンションの被災状況を見に行く。深刻な被害ではなさそうだけれど、あちこちのタイルが割れ落ちていて、痛々しい。まぁ、補修すれば大丈夫そうなので、そう見解を伝えておく。もう1カ所は正直、ちょっとやばいかも。かなり古い建物で、柱の足元の鉄筋が見えているのだけれど、その鉄筋が曲がっている。これが元からのものなのか、今回の地震のせいなのかでも事情は違うけれど、構造専門でない俺が見てもバランスが悪い建物で、補修して大丈夫になるかどうかと聞かれても答えようのない感じ。仙台高専の調査資料をようやく提出したのは20時を過ぎていた。それから打ち上げ。何時まで飲んだんやろう?いつものように最後は記憶がない・・・4月9日いったん神戸に帰る。この先1週間、ありがたいことにいろんな人に送別会をしていただいて、その次の週に本格的に赴任することになる。それから先がホンマの試練やな。今、山形空港にいるのだけれど、この空港はちょっと残念な感じ。・・・何も無い。一旦出発ロビーに入ってしまうと、ラウンジも無ければ売店もない。あるのはソフトドリンクの自動販売機だけ。なかなか時間がつぶれない。バスが遅れたら嫌だと思って早めに来たのが徒になった。空港の周りにはなんにもなさそうやし・・・次回はなんか作戦を考えないとな。神戸に帰ってきた。今までとなんにも変わりない生活がある。なんかたった1週間やけど、色んなことを見て感じたな。今度仙台に行くまでに色々準備をしないといけないと思っている。