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顕正会の誤りについて

顕正会の誤りについて

平成10年総本山客殿新築慶祝記念大法要の砌

平成10年総本山客殿新築慶祝記念大法要の砌
平成10年04月05日
於 総本山・客殿

   日蓮一期弘法付嘱書             ==四月五日   午後==

 『日蓮一期弘法付嘱書』にのたまわく、
  「国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ。事の戒法と謂ふは是なり」(御書一六七五ページ)
                              (題 目 三 唱)

 当客殿の新築落成慶祝法要は、第一日より本日に至る十日間、宗門史始まって以来の大盛況裡に、滞りなくそのすべてを執り行うことができました。

 これ、まことに仏祖三宝の御照覧のもと、大慈大悲の御加護によるものであり、その大恩を篤く奉謝つかまつるものであります。そして、さらには本宗僧俗の方々が異体同心の団結のもとに、正法護持の志をもって積功累徳の行業に励まれた結果によるものであり、顧みて十日間、二十回の法要の最後に当たり、心より厚く御礼を申し上げる次第であります。

 さて、初めより本日の午前の部まで、十九回の法要における野衲の登高座においては、宗祖大聖人の御書のなかで、主として本尊と題目の意義に関する十文を、それぞれ、ほぼ二回にわたり拝講いたしてまいりました。そして、この二十回目の最後の慶祝法要に当たりましては、ただいま拝読いたした『日蓮一期弘法付嘱書』の戒壇建立の御文について、本仏大聖人の大慈大悲による末法万年の衆生救済の大業における正しい信条を拝するとともに、これに関して、宗門の過去より当面乃至、将来を展望し、その破邪顕正の具体的実践に関する私の見解ならびに方途について、少々申し上げたく思うものであります。

 さて、『一期弘法付嘱書』における戒壇建立は、実に宗祖大聖人一期の御大事であり、三大秘法の御化導における究竟の御指南であります。そして、この御文の戒壇建立については、国主が「此の法」を立てられる時が条件となっております。その国主とは、時代の推移はあっても、仏法と世法の道理の上に、常に仏智を根幹として拝し奉ることが肝要であります。国主でない者や、国主の意義に値しない者が、仏法上の国主を僣称することは大謗法であります。また、これに関連して、戒壇建立に関する歪曲専断の解釈を弘める者は、戒壇の大事への反逆であり、本仏大聖人の御化導に弓を引く者であります。そして、この専横が、創価学会第三代会長・池田大作の過去の所行であったことは論を俟ちません。

 蓋し、『一期弘法抄』の「国主此の法を立てらるれば」の文、『三大秘法抄』の、

  「王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて」(御書一五九五ページ)

の文、そして、

  「時を待つべきのみ」(同ページ)

の文によるも、より重大な仏法弘通の実現を示されており、過去に池田や一部の創価学会幹部などが軽忽に解釈をしたことは、大きな誤りと言うほかはありません。

 日達上人も深く御聖文の容易ならざる御意を体され、かつて日本国中の三分の一が純信にして確実な信徒となった時を、ひとまずの目途とされました。故に、末法万年の衆生救済の意を含む戒壇建立は、大聖人の御金言による如実の実相を拝すべきであります。

 この基本を一往、申し上げた上で、このたびの客殿建設に関する事項より、逐次、申し上げる次第であります。

 まず、当客殿の建て替え工事が行われた理由は、阪神・淡路大震災の教訓による耐震安全性の検討の結果であります。しかし、これは物理的な表面上の考察と決定によるものと思います。

 宗祖大聖人の説き給う正嘉の大地震、文永の大彗星等の故事に準じ、仏法上の深い因縁果報の鏡をもって、かの阪神・淡路大震災を見るとき、これまさに、真の主師親三徳の本仏に背き奉る一国謗法の現証であるとともに、特にその仏法上の極悪非道をもって直接にこの惨事の誘因をなした、池田創価学会の大謗法の結果であります。そのほかにも、平成二年十一月十六日の池田大作による宗門誹誘の翌日より起こった、かの雲仙・普賢岳の大噴火といい、宗門要路者に災禍の呪詛をなした奥尻島の大津波といい、あらゆる多くの不思議な罰の現証といい、ことごとく池田創価学会の仏法上の大謗法の所為は明らかである、と断ずるものであります。

 故にこそ、その池田創価学会が発願して構築されたところの前客殿が、願主の不純な信によって、おのずから除却される命運に立ち至ったものと思われます。そして、この新しい客殿の落成は、

  「大悪をこれば大善きたる」(同七九六ページ)

の金言そのままに、大聖人の仏法を正しく護持する日蓮正宗僧俗和合の功徳の結晶として顕れたのであり、真実の広宣流布への盤石の基礎となり、未来への跳躍台となる、無限の意義を具えるものと確信するものであります。

 この時に当たって、再び池田創価学会の謗法を検証するとともに、総本山における、仏法を歪曲した謗法の遺物を徹底して駆逐し、もって破邪顕正の洋々たる広布の未来を開くことこそ、最も緊要のことと存ずる次第であります。

 顧みれば、昭和三十九年六月三十日、台東体育館において、池田大作の素人丸出しの浅識誹謗、それも、大聖人御一期の重大事たる本門戒壇建立の大業について、聞くに堪えぬ軽蔑・軽視の発言がありました。すなわち、池田云く、

  「戒壇建立ということは、ほんの形式にすぎない。実質は全民衆が全大衆がしあわせになることであります。その結論として、そういう、ひとつの石碑みたいな、しるしとして置くのが戒壇建立にすぎません。したがって、従の従の問題、形式の形式の問題と考えてさしつかえないわけでございます」

という言であります。これは、法華経の基本である能開・所開の意義を乱し、三大秘法の大綱を軽蔑し、本仏大聖人の本意に背く空虚・空論であり、本末顛倒の痴見であります。

 このような仏法軽視の浅識・増上慢より出発する故に、池田大作と創価学会の発願を主とする正本堂建立の意義付けに関しては、大聖人御一期の御遺命に背き、これを凌駕し、冒涜し奉る不敬の発言が、数多くありました。

 特に昭和四十三年十月十二日の正本堂着工大法要では、池田云く、

  「日蓮大聖人の三大秘法抄のご遺命にいわく『霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か時を待つ可きのみ事の戒法と申すは是なり、三国並に一閻浮提の人・懺悔滅罪の戒法のみならず大梵天王・帝釈等も来下してふみ給うべき戒壇なり』云々。この法華本門の戒壇たる正本堂云云」

という、まさに『三大秘法抄』の戒壇がこの堂であると勝手に独断し、御遺命の達成を強制する不当の言を弄して、宗門全体を誑惑したのであります。

 しかし、当時はあらゆる面で、広布の名を借りた創価学会の強制的独断の言動が多かったのであります。

 故に、その後の正本堂に関する定義について、大聖人の御遺命の建物とすることに強くこだわり、日達上人の御本意に背いて、その定義の文中に、

  「本門寺の戒壇たるべき大殿堂」

との字句を入れるように強制・圧迫してきたのも、池田創価学会でありました。この字句が彼等の徹底した強圧によって入るようになったのちも、宗門ではこれについて、今後の僧俗一致の広布への奮励・精進によって「本門寺の戒壇」となりうるような願望を表す意味に解すべきであり、それが宗祖大聖人の御正意に対する背反を免れる所以と考えておりました。

 しかるに、元来、大聖人の戒壇の正義を紊乱する不逞の見解を持った池田達は、正本堂が御遺命の戒壇そのものの建物であり、その儀式だけをあとで行うものであるから「たるべき」と言うのであると、強固な執念を持っていたのであります。

 思うに、先師日達上人は過去からの関係によって、池田らに対する深い慰撫薫陶の慈念より、教訓または誘引されて、その善導と育化を計られたのであります。蓋し『百六箇抄』の、

  「三箇の秘法建立の勝地は富士山本門寺の本堂なり」(御書一六九九ページ)

の御文より拝するに、正本堂という名称は、大聖人御遺命の戒壇に相当する内意においてその意義を含めるお心をもって、当時の広布の進展状況を鑑み、一層、僧俗一致の純真な信心により、さらに真の広布へ向かうべき勇猛精進と激励の意から、かく名付けられたものと拝します。

しかるに、正本堂建立以後、池田大作や創価学会はその期待を無残にも裏切り、慢にも「創価学会に仏法の本体あり」との、本を忘れ、根を截る大逆非道の執見と、我意によって主張した「広布の達成」という虚言を直ちに容認されなかった怨念より、種々の邪義をもって宗門に違背するに至りました。

 それらの誤りは、各方よりの僧俗の指摘により、狡猾な池田大作等の弥縫策をもって形式的な反省謝罪等を行うことで、一時的に収まったのであります。

 それを御覧になった日達上人は、昭和五十四年五月三日の創価学会本部総会の席上、学会の誤りを許されて今後の正しい広布への尽瘁を要望され、間もなく、その年の七月二十二日、御遷化あそばされたのであります。

 しかし、その後、池田大作等の我意・我見による広布への邪見や仏法の正義を軽視する邪想は、本質的に全く改まるところなく推移し、しばらくの間、表面は後董・日顕、ならびに宗門に対して、やや恭順の姿勢を取る形がありましたが、次第に自らの「広布第二章」なる邪念の思惑を中心として宗門の従属を強い、創価学会へ宗門を実質的に併呑し、支配せんとする野望より、長きにわたり衛星放送等の方法をもって、法主と宗門への批判的言辞を繰り返しつつ、会員の洗脳を計ったのであります。

 蓋し、これらの元は、やはり彼等の本門戒壇の正義に対する曲解、したがって、正本堂についての俗悪な思い込みにあったと言うべきであります。

 正本堂の御遺命に関する悪見解を、いかにかれこれ考えようとも、その後の経過よりの、今日の彼等の現状はいかがでありましょう。宗門の血脈と信条化儀に大きく背反することによって、それらは全くの空論・空文となり果てました。すなわち、自ら総本山へも正本堂へも参詣せず、また、できない謗法信徒団体となり果てているからであります。

 今や池田創価学会は、自らの手で自らの主張を破り捨てたのであり、その上から顧みるとき、「御遺命の戒壇」などと言って聖意を凌ぐ一連の問題は、まことに滑稽極まる茶番劇でしかなかったと言えます。これすなわち、宗祖大聖人の一切衆生救済と謗法厳誡の厳正なる大仏法を浅識し、軽視した当然の報いであります。また、謗法与同と池田の売名でしかない広布第二章の主張も、「御遺命の戒壇を建てた」と誤解することによる、広布第一章が終結したという邪見より来ており、既に池田の思惑の前提が大きく崩れきった以上、すべて空論とならざるをえません。

 これらの執見は、さらに彼等の宗門僧侶に対する不信と軽視・蔑視となって現れ、過去の形式的な宗門への数度にわたる恭順の言は、全く一時の糊塗的なごまかしに過ぎなかったことが明らかとなりました。

 特に、池田大作の反意が最も顕著に表れたのが平成二年であり、数々の無礼至極な宗門への誹謗が聞こえてくるなかで、同年十一月十六日の衛星放送による、法主と宗門に対する批判・悪口が明らかとなりました。

 これについては、かねて池田の言動に不信と不満を抱いていた心ある当時の学会員より、数本の池田の肉声による正真正銘の宗門誹謗テープが送り届けられました。この声を文章化した上、宗門より「お尋ね」として質問したところ、ニセテープだ、あるいは改竄テープだと難癖をつけ、まともな回答もなく、かえって、それ以前の平成二年度中の宗門への様々な非礼や法主批判等に対する当方の訓戒に対し、不当にも虚偽捏造を交えて「九項目」の理不尽極まる質問をしてきました。

 これらの経過は、平成三年一月二十五日発行の、宗門より出版した『大日蓮』号外に記すところであり、創価学会がいかに正しい信仰もなく、誠意もない、非道かつ、わがまま勝手な団体であるかが明らかであります。

 かかる無慚無愧な池田創価学会の姿に対し、それ以前から宗門内部で改正を考慮しつつあった、法華講本部の役員の任期規定等を思いきって改正し、従前の規則による本部役員、総講頭、大講頭等は、一往、全員失格する付則をつけて、これを実施した次第であります。すなわち、免職ではなく、宗規改正による資格喪失であって、池田らがその後の反省懺悔いかんでは復職する可能性は充分にありました。

 しかるに、慢悍馬の如き池田大作およびその一党は、深くこれを怨み、いよいよ反抗・誹謗の態度を露わにしてまいりました。

 故に、平成三年十一月、創価学会の解散を命じたところ、全くこれを聞かず反抗に終始したので、直ちに破門処分に付したのであります。さらに、翌年七月、通告をもって池田大作の謗法行為を指摘し、弁疏の機会を与えましたが、これに応ずる誠意も勇気もないため、敢えて除名処分に踏みきったのであります。

 その後の彼等の宗門誹謗は陰湿を極め、特に全く根も葉もない、米国における偽証事件によって行っておる執拗な反復誹謗は、彼等がいかに人間性に欠けた、反社会的性質であるかを、自ら暴露するものであります。

蓋し池田創価学会は、そのあらゆる言動において、上から下までが、自分らの都合のため、また、勝つためにはどんな誑かしを行ってもよいという狂信によって洗脳されており、正直を根本とする法華経と大聖人の下種仏法の教旨に、大きく背反しております。彼等の、仏法の正義に背き、社会正義に反する不正直と虚偽と二枚舌の実例を挙げれば限りがありません。すなわち、大聖人の正しい仏法の広布にとって多大な障害となることが、いよいよ明らかとなってきたのであります。

 特に先程来、述べる如く、その根底における池田大作の、大聖人の三大秘法に対し奉る我意と誹謗こそ、一切の邪悪の根源であります。それに関し、先払正本堂を『三大秘法抄』の戒壇と断定して、自ら一言の謝罪もなき大過、戒壇建立を「従の従」「形式の形式」と、大聖人の仏法を蔑視する大悪言を挙げましたが、これに加えて、平成五年五月三日の池田の講演において、さらに本門戒壇の大御本尊様に対し奉る軽賤誹謗を行ったのであります。池田云く、

  「やっぱり漫茶羅はいつかなくなっちゃう。物体だから。久遠元初の法は永遠に残る(乃至)板漫茶羅にこだわっておられない。もっと深い大聖人の仏法の真髄だ。この普遍性、ね、すなわち久遠元初の法だ…」

などと、大聖人御化導の実体を無視した、わけの判らぬ痴呆的空論を振り回すとともに、大御本尊様を「物体」として軽視し、池田の空虚な錯覚による実体のない我見を、大御本様より深い、仏法の真髄であるかの如く、大増上慢の邪見を述べております。

 皆さん、既に宗門より処分を受けて、いかに悩乱しているとはいえ、この暴言はもはや、日蓮正宗の正義への信仰のかけらも残っていないことを、まざまざと露呈するものであるとともに、大御本尊への誹謗、この上もないものではありませんか。

 この根本の大法軽視・蔑視は、さらに仏法僧の三宝破壊の具体的謗法に進み、現在は『ニセ本尊』を作製して、相伝の三大秘法の正義と下種三宝の今日にまで至る宗門七百年の化儀、化導を、ことごとく破滅するという悪事を行いつつあります。

 また、会員を洗脳する一手段として、池田大作が恐れ多くも、宗祖大聖人より「二人目の法華経の行者となった」などの増上慢の虚言を言わしめていることも明らかであります。

こと、ここに至っては、池田大作および、その率いる悪創価学会は、日蓮正宗の大法といかなる関係を持つことも許すべからざる団体となった、と断ずべきであります。特に、池田大作らの発意とその因縁によって造られた、大御本尊様安置の施設たる正本堂こそ、彼等が過去に関与した最大のものであります。しかし、既に彼等は、正本堂に関して論ずべき資格も理由もなく、また、三箇の秘法建立の意義を示す正本堂の名称は、現状では不適切と思われます。

 そして、従来述べてきた、池田らの大謗法を敢然として破折するためにも、今や正本堂より能う限り速やかに、大御本尊様を御遷座し奉ることこそ、「革進の年」たる本年に最もふさわしいものと思うのであります。

 すなわち、宗門における今後の広布の段階として、このたび拡張しまいらせた奉安殿に、本門戒壇の大御本尊を御遷座し奉ることが、正法護持と広布へ向かう真実の出発点として、目下の最重要事であり、これを直ちに断行するものであります。

 今回、とりあえず拡張した奉安殿は、全部、畳敷きであり、約三千名の収容礼拝が可能であります。池田らがかつて、この上なく自慢しながら、しかも大聖人の戒壇の本義に背いた正本堂より、清浄なる法華講の皆様の外護のもとに、拡張して明るく広くなった奉安殿に大御本尊様を御遷座申し上げ、皆様方の信心による御内拝の功徳を確実にお積みいただきたいと願うものであります。

 それがまた、仏祖三宝尊、そして御歴代上人、特に日達上人の御嘉納あそばすところと確信いたします。それは日達上人が、御歴代上人の正法護持のお心とともに、今日の池田創価学会の大謗法を絶対にお許しにならないと信ずるからであります。

  「日蓮正宗の教義でないものが、一閻浮提に広がっても、それは、広宣流布とは言えない」(大日蓮三四二号二〇ページ)

との日達上人のお言葉は、何より、今日の学会の在り方を指摘あそばすものであります。

 また、山桃の実に法華講を譬えられて、

  「山桃の 実は小さくも身を守り 広布の願ひ 萠えいづるらむ」

と歌われ、法華講の成長を深く期待せられた日達上人が、今日の法華講連合会の隆々たる正法護持、自行化他、広布への前進の姿について、寂光土において御覧あそばされ、どれほどのお喜びであろうかと拝するものであります。

 さて、そこで、御戒壇様を御遷座申し上げたあと、既に用途の失われた旧建物は、その徒らな巨大さのみの遺物であり、全く無用となる関係上、実情に即した処置を採っていきたいと考えるものであります。

 顧みるに宗門は僧俗の一致団結のもと、平成二年の三万登山の大成功を来たし、その四年後の平成六年の地涌六万大総会の大成功、そして、さらに四年後の本年、新客殿落成慶祝十万総登山を大成功裡に終了いたし、大法弘通の実証を明らかに顕してまいりました。

 これより、いよいよまた、四年後の平成十四年、宗旨建立七百五十年に向かい、衆生救済のため、三十万人の参詣を目標に、法華講の皆様の充実の信心による、僧俗和合の広布への大前進を開始すべき時であると信ずるものであります。

 この時に向かって、広布への具体的実証として、僧俗一同の志をもって、このたび拡張した奉安殿より、さらに大いなる堂宇としての奉安堂建設の要望が、もし地涌の菩薩の澎湃たる出現の如く、下より涌き上がるならば、これこそ、真の信心修行による広布への実相の顕れに当たるものであろうかと存ずる次第であります。

 要は、これからの時こそ、真の僧俗和合、異体同心の大信力に住し、破邪顕正の発揚をもって本仏大聖人の御高覧に備え奉り、一人ひとりが自行化他の本門戒の実践をもって、即身成仏の本懐を現当二世に顕してまいろうではありませんか。

 以上、この慶祝法要の終了に当たり、一言、現在より未来への方途に関する所懐を発表いたし、結びとする次第であります。


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