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三人寄れば文殊の知恵

三人寄れば文殊の知恵

再び真言宗と弘法大師

再び真言宗と弘法大師

昨日日記に長々と書いてしまいましたが、
また書きたくなってしまいました。

「弘法大師が眠られているのは奥の院ではない?」

という見解については、さほど重要性はありません。
たとえそうだとしても、現在の奥の院が廟所としての性格を
失くすことはありえないからです。

また、弘法大師について何か変わることもありません。

学問的見解が宗教的には影響を与えない例でしょう。

しかし

「空海の誕生地は畿内?」

については結構重要な問題を含んでいます。

弘法大師の生涯にはたくさんの謎があります。

そのうちでも、

「弘法大師はなぜ中央の大学に入れたか?」

「弘法大師はなぜ教養が桁外れに高かったか?」

「弘法大師はなぜ大学を辞めて仏門に入ったか?」

「弘法大師の莫大な留学費用は誰が出したか?」

以上については弘法大師の生涯にとって非常に重要な問題です。

しかし、「弘法大師畿内誕生説」により
理解できる説明がつくような気がします。

「弘法大師畿内誕生説」とは弘法大師の一族は
中央に官人を出していた氏族であり、本拠地は讃岐ながら、
交易で財を成し、畿内にも活動拠点を持っていた
可能性が高いことから、弘法大師は畿内で生まれ育った
という説です。

「弘法大師はなぜ中央の大学に入れたか?」

これは、ちょっと専門的になりますが、当時の中央の大学は
官僚を養成する機関で、ある程度の冠位を持つ貴族以上でないと
入れないといわれていました。

しかし、弘法大師は地方の豪族の子弟と思われていたので
冠位が低く入れる資格はないはずなのですが・・・
現実には大学で学んだといわれています。

なぜ入れたか?

「弘法大師はずば抜けて優秀だったので特別に入れた」

というのが従来信じられていた説です。

誰もそれで不思議に思わなかったところも
さすがに弘法大師です。

一般的に考えれば、弘法大師が中央に拠点を持つ
冠位の高い一族で入学資格があったという方が
自然かもしれません。

「弘法大師はなぜ教養が桁外れに高かったか?」

これも、当時の中央と地方の文化の差が
大きかったことを考えると、従来のように讃岐で
15歳ぐらいまで過ごし、それから都に出たというよりも、
最初から都の近くで生まれそのまま長じたというほうが
自然かもしれません。

「弘法大師はなぜ大学を辞めて仏門に入ったか?」

従来説では幼少のころから仏教に興味を持っていたが
親の期待にこたえる形で都に上ったとされていますが、
もし、本当にそうなら、本来入学資格のない大学へ入ることは
一族郎党の期待をを一身に集めていたはずです。
したがって、その期待を裏切り仏門に入ることは
かなり心苦しかったはずです。

やはり、もともと都近くに住み、兄弟が何人もいて
後継者には困らなかったと考えたほうが
ハードルは低いでしょう。

「弘法大師の莫大な留学費用は誰が出したか?」

還学生として中国の最新の仏教を輸入するべく国費で
中国に渡った伝教大師よりも、見方によっては上回る
経典や仏器を私費の留学生の弘法大師が持ち帰ったことは
従来からその費用を誰が工面したか謎とされていました。

「20年の留学費用を一年で使った」

「山野修行をしていたときに知り合った水銀技術者集団」

作家の陳舜臣氏は「曼荼羅の人」でパトロンとして
政治家の王淑文を登場させています。

しかし、弘法大師の一族が交易で財を成していたと
仮定すると、一族の一人を先進国である唐の都へ
公式な資格で送り込むことは、正式には人的往来が
自由に出来なかった当時としては極めてメリットがあることで
莫大なお金をつぎ込んでも余りあるように
思えてしまいます。

以上は俗人の眼から見た見解で、宗教としては
弘法大師は従来どおり、讃岐生まれだったという説明が
何の不思議もなく受け入れられることは当然です。

一方で、弘法大師を神格化には異議があります。

真言僧が「弘法大師の神格化に異議がある」とは面妖な
ことではありますが・・・

弘法大師は子供の頃から仏教に興味を持ち、真言宗を開かれ、
入定されてからも我々を見守ってくださる。

そんな教えを説かれたら「ちょっと待って!」
とつい言いたくなります。

そもそも、「弘法大師は仏教家?」
と言うのが私の疑問です。

頭がおかしくなったと思われる方もいるかもしれませんが、
私はまともです。

弘法大師は日本史に強烈な個性を持って足跡を残しています。

ある時は、言語学者(篆隷万大象名義という
        日本初の辞典の編纂者)

ある時は、教育家(綜芸種智院という入学制限のない学校を作る。
        しかも学費は全額支給という超画期的なもの)

ある時は、文学者(文鏡秘府論という詩文の創作理論を取りまとめた
       著作。執筆法使筆法という字の書き方の著作がある)

ある時は、土木技師(日本最大の溜池である満濃池を
        アーチ型にして改修)

ある時は、書の達人(平安の三筆にあげられ、五つの書体を
       自由に操り唐でも「五筆和尚」の異名を授けられた)

ある時は、詩人(唐の文化人を驚かせる漢文を書く)

これだけの、足跡を残している弘法大師を仏教家で
まとめていいのだろうか?というのが私の思いです。

ただし、さまざまな才を発揮した弘法大師が最も
力をいれ、ライフワークとしていたのが仏教の分野です。

それゆえ、このブログはかつて弘法大師の追い求めた
後を追うべく

「弘法大師(空海)の秘宝を追え」

と言うタイトルをつけていました。

真言僧の仕事は弘法大師を拝むことでは断じてない
ように思えて、弘法大師の後を追うことこそが、
弘法大師の願いのように思います。

だから、あえて弘法大師の神格化には反対したい!

と言い切ってしまっていいものか
どうか迷っています。

弘法大師を神格化することよりも
真言僧が「弘法大師の神格化に異議がある」というほうが
かなり違和感があるような気がしないでもありません。

やはり神格化したほうが
宗教らしいんでしょうかね?

今日も、まとまりのない文章で申し訳ありません。

最終更新日 2008年09月18日


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