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三人寄れば文殊の知恵

三人寄れば文殊の知恵

遍路日記 23~26

歩きと野宿の遍路考ー23番薬王寺の巻ー遍路日記その11

6月5日、6時47分徳島駅発、海部行の各駅停車で
日和佐に向かいます。

徳島駅では2両編成の列車がガラガラです。
しかし、南小松島・阿波赤石で学生がたくさん乗ってきて、
立っている乗客もいました。

列車は日本の原風景とも言える山間の田圃の中を走っていきます。
四国の遍路道を残そうという動きもあるようですが、
本当に残すべきはこの農村地帯ではないでしょうか?

阿南に着くと多くの学生が降りますが、降りた学生の半分くらいの
学生が乗ってきます。しかし、次の見能林で学生の多くは降りて、
新野を過ぎるとガラガラになります。

朝は曇っていた空ですが、大粒の雨が落ち始めました。
新野を過ぎると列車は山の中へ入っていきます。
両側から伸びている枝をかすめながら進みます。

トンネルが現れ、由岐を過ぎると、海も見えます。

8時26分ようやく日和佐につきます。

日和佐は阿波南部の中心都市でウミガメの上陸で有名です。
とはいえ、人口は1万人に満たない小さな町です。

しかし四国遍路においては、この日和佐から先は町らしい町は
約90キロ先の室戸までありません。

JR日和佐駅から、薬王寺の伽藍が見えます。
併設されている「道の駅日和佐」を通って薬王寺に向います。
幸い雨は上がっています。

徳島きっての大寺院で正月3が日で20万人を集めるという
厄除けのお寺も、梅雨という季節からか、
ほとんど参拝者は見えません。

厄除けの石段を登ると、本堂では団体ツアーのお遍路さんが
お参りしていました。

荷物を下ろしていると、役僧が現れましたが、よく見ると
高野山専修学院の同期生のD君でした。
手を振ると気づいたようで、
「久しぶりですね」
と声を掛けてきました。

「三人文殊さんお遍路ですか?」

「ええ」

「一人ですか?」

「ええ」

「歩きですか?」

「いえ、公共交通機関を使いながらです」

「そうですよね。歩きは大変ですよね」

「そうでもないけど・・・時間がないからね」

「お寺はどうしているんです」

「明日帰ります」

9年振りなのに、昨日も会った様なしゃべり方なのが面白い。

彼はここで役僧をしているのだが、今のところどこかの
お寺に入る気はないという。
二人目の子供が生まれて、生活は楽ではないそうだが、
大変なので住職にはなる気はないらしい。

「だって住職って大変そうじゃないですか?」

そう笑いながらいわれても返す言葉はありません。(*^_^*)

そういう選択肢もあるのかな?
変った人だな?と考えながら、
よく考えると、いきなり一人背中に荷物を背負った遍路姿で現れた
私の方が変った人かもしれないと思うとおかしくなってきました。

「歩きの遍路は大変ですよ」

彼はそう語ったのですが、私はそう思いません。
多分、私に足りない時間さえ手に入れれば、
楽しいものになることでしょう。

人は経験していなことは大変だと想像するのでしょう。

「歩き遍路は修行」

という話はよく聞きます。

「歩き遍路が苦行」

という話も聞いたことがあります。

私はそれを否定します。
歩き遍路は遊びです。
修行したいなら、山の中で一人でやってくれ。

さらに野宿で廻るという人の話も聞きます。

しかし、ほとんどの人はテントを背負っています。

テントを使うのが野宿???

家を背負っているのと同じでは???

野宿も歩きも大変ではない。
大変ならやめれば?

わざわざするほどのものではないし、その価値も無い。

以前、老遍路に語った言葉ではありませんが、
野宿も歩きもそれが目的ならどこでもできるでしょう。

もし、どうしても歩きや野宿にこだわって遍路をしたいなら
その宗教的理由が必要だろうと思います。

23番札所を後にして、道の駅「日和佐」へ向います。
そこのあずまやに職業遍路らしい、自転車にたくさんの荷物を載せた
老遍路がいました。
なにやら熱心に書き物をしています。

今回、たくさんのこのようなお遍路さんを見ました。
「へんど」ともいわれ、結構嫌われる存在です。
いくあてもなくルーレットのように四国を廻り続ける。

今回意外にたくさんのこのようなお遍路さんを見て、
一体どこで寝ているのだろうと考えてしまいます。

駅もだめ、バス停もだめ、公園もだめ・・・
行く所がないのでは?

話してみると、意外にプライドが高く、それなりに
面白い話し方をする人が多いです。

ちなみに、当院にやってくる遍路まがいの「乞食」とも
ちょっと違いますね。

むやみに物乞いをするような人ではないかもしれません。

四国霊場はこういう人たちを、抱える余地がいるのではないか?
と私は考えます。

だから、偏見かもしれませんが、生活にも困らず、
帰る所もある人が「野宿をしながら、歩きで巡拝」すると、
四国霊場が荒らされるように思えてなりません。

現実に駅もバス停も公園も宿泊禁止の張り紙がされました。

その人たちは四国霊場がどうなろうと構わないかも知れません。
帰る所もあるし、そこで生活しているわけではない。

しかし、四国霊場が変化したら、そこで生活している
「へんど」はどうなるのでしょう?

実は同じような構図があります。
某へんろ団体は山に埋もれたへんろ道を復興しています。
へんろ道とて、元は生活道路。

地元の人が生活に使わなくなった道路は自然に帰すべき物で、
現実に自然に埋没しています。

それを、わざわざ復興してどうする???
そこに住んでいる動物にとっては「歩きへんろ」が通りまわる
ことは迷惑この上ありません。

日和佐で切符を買い、室戸を目指します。

ホームに上がると、昨日、20番、21番であった
女性のお遍路さんがいました。

昨日のお昼に21番、その日はふもとの宿に泊まるという
話だったので、そこから22番まで7キロ、
さらに23番までは20キロ。
とても歩いてきたとは思えません。

「どうしたんですか?」

「昨日、21番までお接待していただいた方に22番まで
送ってもらい、今日泊まる予定の○○に昨日泊まったんです。」

唖然としてしまいました!

あらかじめ宿を予約しないで夕方になって頼むのは
迷惑だという意見を聞いたことがあります。

ところが、夕方になって宿をキャンセルするのは
もっと迷惑ではないでしょうか?

歩き遍路だから予定が立たないから、キャンセルしても良いと
考えているのでしょうか?

知り合いの「へんろ宿」の人の話では、無断キャンセルの
歩き遍路が増えて困っていると聞いたことがあります。

確かに、さまざまな事情で、予約していた宿まで、
どうしてもそこまで進めないこともあるでしょう。

ねんざとか、急病とか医師の処方が必要な事態なら
やむを得ません。

しかし、そこまで歩けないだけという事情なら
他の交通機関を使ってそこまで行くのが当然でしょうし、
先へ進んだとしても、戻るのが当たり前ではないでしょうか?

そんなことが私の頭の中を駆け巡りました。
たぶん不機嫌な顔になったように思います。
そのお遍路さんはそれを察したのか、
会話はそれで終わってしまいました。

それがよかったか悪かったかよくわかりません。

私は宿を予約することなく歩いていたことがありました。
夕方進めるところまで進んで、そこの宿があればお願いする。
無ければどこかの軒を借りる。

しかし、運悪く宿も軒も無い場合があります。
その場合は、深夜まで歩いたこともありますし、
寝ずにベンチで一夜を過ごしたこともありますし、
朝まで歩き続けたこともあります。

夕方になっても寝るところも無く歩き続けていたら、
泊まるところがあるということが如何にありがたい事か
よく判ります。

この時点では今日の宿など決められません。
しかし、泊まるところあるかな???
一瞬の不安が頭をよぎります。

10時45分の海部行き列車に乗ります。

少し早いですが、道の駅「ひわさ」で購入した巻寿司とコルネを食ます。
そういえば、昨日も一昨日もお昼は、パンと飴を補給しただけで
ろくな食事を取っていません。

11時20分にJR四国の終点の海部に着きます。

ここから、たった8キロの阿佐海岸鉄道に乗り換えます。
ワンマンカーに乗ったのはわずか4人。

そのうちの一人は外国人女性。

身長は180を超すと思われる巨体に背中には身長を上回る大きさの
巨大なリュックを担ぎ、両手に一杯の荷物を持っていて、
しかもサンダル履き。

お遍路さんっぽいが、歩けないだろう?

雨にぬれる待合の場所を譲ったら、そこに彼女は荷を降ろし、
話しかけてきた。

「88ヵ所のお参りですか?何日ぐらいかかります?」

お遍路さんではないようである。

程なく列車は阿佐海岸鉄道の終点「甲浦」につく。
やっと徳島から高知に入りました。

何も無いところに作られた「甲浦駅」
高架のホームを降りると、高知方面行きのバスの待合所です。
売店があります、そこのオバサンはお客もほとんどいない
田舎駅ですので、人懐っこそうに話しかけてくれます。
甲浦の在る東洋町はかつて、原発の
高レベル放射性廃棄物最終処分施設を巡って揺れた町です。
本来なら、この先室戸岬を廻って、高知へと向う鉄道が
できるはずだったのですが・・・
車社会の到来と共に置き去りにされてしまいました。

少し待っていると、高知東部交通のバスがやって来ます。
乗客は外国人女性を除いた3人。
黒ずんだ板張りの床が年期を感じさせます。

バスはバシャバシャ雨が車体を叩く中を、室戸へ向います。
海岸沿いの道を走りますが、海は荒れ、白い大きな波が
打ち寄せては、堤防にぶつかり、しぶきを上げています。

日和佐ー室戸の80キロは俗に、歩いたら2泊3日といわれています。
しかし、それは整備された現代の話。
弘法大師の時代には村も無く、山を越え、浜に降り、山を越え、
浜に降りを繰り返し1週間を費やしたことでしょう。

右手は山、左手は海、その間に申し訳程度にある平地を
バスは走り、1時間ほどで、室戸岬に近づきます。
要塞のように家の周りをコンクリートで固められた家が
目立つようになります。
この辺りは台風の本場です。
以前、この辺りで、被っている笠が飛ばされそうな
強風に遭いました。
付近の人に、

「さすがに室戸は風が強いですね」

と言うと

「えっ、そうですか?いつもこんなものですが・・・」

という答えが返ってきました。

巨大なお大師さんが見えて来るとすぐ先は室戸岬です。
バスを降りるボタンを押しました。

室戸岬の先端お大師さんが修行した御厨人窟 (みくろど)の前で
降りるつもりでしたが・・・

なんと・・・御厨人窟を右手に見ながらバスは通過していきます!

オオ~マイブッダ!

御厨人窟 にバス停がないとは!!!

200メートルほど走り、岬ホテルの前でバスは止まりました。
雨は相変わらず降っています。
今来た道を戻り御厨人窟へ向います。

御厨人窟はお大師さんが修行したといわれる岩屋です。

また、岩屋から見える空と海から「空海」という名前を
つけられたともいわれます。

普段は乾いている岩屋ですが、雨がどこからか
流れ込んでいるのでしょうか?

岩屋の中の地面は濡れています。

荒天のためか人も車もやってきません。

静かに1200年前のお大師さんに思いを馳せます。

すぐ前の納経所で納経を受けます。
お婆さんが、

「お坊様の納経は私では恥ずかしいのですが」

といいながら、私よりはるかに達筆で書いてくれました。

御厨人窟から、少し歩くと、最御崎寺への登り口があります。

今はこの室戸岬廻りの道も通る人が少なくありませんが、かつては、
この岬を廻る道は大変な難所で、普通は岬を山越えしてショートカット
していたようです。現在でも、この岬を避けた三津から室戸中心部に
抜ける道路があります。

その道から少し入ったところに四十寺という山があり、四十寺という
お寺があります。24番最御崎寺の奥の院ともいい、
このに24番が在ったともいいますが、位置からすると、
最御崎が難所だったので、ここで札収めをしていたとか、最御崎での
行の拠点という時代があったのかもしれません。

ともあれ、最御崎寺は室戸岬にあるといいながらも、
その切り立った山の平地に在るので、地図上で想像するより遥かに
登らなければなりません。わずか700メートルの距離で
80メートルも登ります。

コンクリートや石畳の通路の上に、落ち葉が積り、
しかも雨にぬれているために滑って登りにくい。

高知の札所では大した登りはないと見て登山靴でなく、
スニーカーを選択したのが、ここでは裏目に出ています。

一歩一歩確かめるように登っていきます。
相変わらず雨は降っています。
汗が出ないうちに何とか登りきり境内に入ります。

本堂の柱や縁にうっすらと緑がかった苔が目立つ辺りは
室戸岬という海にごく近い場所にありながら深山のような
雰囲気を持つ札所であす。

そして木々に囲まれて静かな境内が、雨によってさらに音を
吸収されているような感じがします。

納経所のおじさんが、なんとなく愛想よくしてくれたのも、
お参りが少ないせいでしょうか?

時間を見ると2時近い。

今日の当初の目標は24番、25番、26番という室戸の3札所を
打ちぬけて、27番神峰寺の麓まで進みたいのでしたが・・・

ここから25番まで七キロ、26番までさらに四キロ。

歩きでは3時間。お参りが1時間かかりますので、歩いては無理。
(5時までにお寺に入らないといけない)

日程の消化にはバスの連絡がうまくいくことを願うしかありません。

さらに27番の麓まではバスで1時間あまり。

果たしてどうなるでしょうか?

最御崎寺から来た道ではなく、室戸スカイラインの九十九折を
下っていきます。

目の前には太平洋が広がり、雨もやんで明るくなってきました。

スカイラインを下ったところで20分経っていました。
25番札所津照寺までは4キロぐらいと
勘違いしていたので(実際は七キロ)
こんなにスカイラインは長かったかな?と漠然と考えていました。

さて、道は二つに分かれています。
海岸線を走る新道を選ぶか?旧道を選ぶか?
近いのは多分、新道。
しかし、問題はバスがどちらを走っているか?
旧道を選んでみる。
しばらく進んでバス停が無かったら、新道へ移動する!
この辺りの見極めは難しい!

室戸岬町の旧道を歩いていきます。バス停がありました!
片側にしかないバス停の時刻表を見ると、
次のバスは14:45分ぐらいの予定です。

あと25分待つよりは少し進みます。

町並みは古ぼけた感じがします。
鉄道が通っていないからでしょうか?
時代から取り残されたような感覚さえあります。

室戸はかつては遠洋業業の基地として栄えた町です。
飲み屋の数が往古をしのばせるという話を以前聞きました。
しかし、捕鯨が禁止、マグロもかつてほど捕れなくなった今
あれから15年、人口が2万人を切った町にどんな展望が
あるのでしょうか?

隣の東洋町は高レベル放射性廃棄物最終処分施設を
巡って揺れました。
町民の判断はノー。
しかし、過疎の根本的な解決には至っていません。

時計を見ながら、時刻表を見ながら進みます。
二つの時間が交差する地点。
そこにバス停があれば、いいのですが・・・
無ければアウト?

この時点では知らなかったのですが、四国の田舎のバスの多くは
乗客数を増やすため、フリー乗車・フリー下車システムを
採用している所も多いので、田舎では手を上げれば結構バスは
止まってくれるそうです。

ただ、気になることがありました。
25番札所津照寺までどれ位の所まで進んでいるか?
区間距離を4キロと誤解していたので、(実際は七キロ)
かなり近づいていると考えていました。
バス停で二つぐらいならバスに乗る必要は無いのです。
それを裏付けるように?だんだん家が密集してきて、
町の中心に近づいている様に思えました。(25番札所は街中です)

地図を出して調べればいいのですが、雨天用に荷造り
していますので、簡単に出せません。

近くの商店のおばさんに札所の場所を聞きます。

「歩いて40分、バスで10分ぐらいかな?」

「え~そんなにあるんですか?」

「雨も上がったし、歩いて行き」

「バスで行きます。バス停どこですか?」

「がんばったら35分ぐらい。バスを待つ時間で着くわ」

「・・・」

オバサンは親切にいろいろと説明してくれるのですが、
私は早くバス停に着かないとバスが通過して乗り遅れないかと
気が気ではありません。

おばさんに礼をいい、すぐ近くだという高知東部交通の営業所まで
ダッシュしました。

バスに乗れば3時過ぎには札所に着くだろう!

高知東部交通の営業所について14:55分のバスを待ちますが、
なかなか来ません。
3分遅れぐらいでやっと来ました。
手を挙げて載る意思を示します!
バスが止まり、運転手さんに

「このバスは25番札所の近くまで行きますか?」

と尋ねます。

既にバスが遅れているので、すぐ出発するかと思いましたが、
道路にバスを停めたまま、運転手さんがバスを降ります!

「運転手が代わります」

「ええ~」

交替の運転手さんはなかなか来ません。
しかも、乗り込んでからが、準備が遅い!

後から判ったのですが、路線バスは通過予定時刻より
早く通過するとクレームが来るので、遅めに通過する。
このような営業所で時間調整をするそうです。

そんなことを知らない私は心の中で

「早う出発してくれないと、バスを選んだ意味が無い」

ようやく出発したのは3時過ぎ!

室戸のバス停で降ります。

運転手さんが、

「札所はそこの山ですよ。」

と教えてくれました。

しかし、迷いました。

教えてくれた山に対して来た道を戻るように回り込めば
よかったのですが、直線的に進もうとしたのが間違い。
実際に道が無いのでどんどん離れていきます(汗)
雨が降り始め、気ばかりが焦ります。

3時過ぎに着くつもりの25番札所津照寺に着いたのは、
3時半近くです。
バスに乗った意味がありません(;一_一)

津照寺はかじとり地蔵と呼ばれ、小山にあります。
お寺のすぐ前には室津港がありますので、ここの守護で
あった事は間違いありません。

室戸三山として東寺(24番)西寺(26番)と並べられていますが
二つのお寺と比べる街中にあることも理由でしょうが
境内はコジンマリしています。

ただ、天に向かうように本堂へ石段が伸びています。
足の悪い人なら、見ただけで本堂への参拝を諦め、大師堂で
代拝とする人も見たことがあります。

納経所の前で、荷物を下ろしていると、

「ベンチの上に置いてください」

「濡れているんですが」

「構いませんよ」

24番札所もそうですが、ここの札所も親切でした。

本堂・大師堂をお参りして、時計を見ると4時少し前です。

26番札所には5時前に着けるでしょう。
しかし、下ってきて6時頃のバスに乗ると、
27番の麓は7時くらい?

これはあくまで予定ですが、宿に入るのが7時では
遅すぎます。

雨も降ってきたし、室戸に泊まろうか?

しかし、なんとなく気が進みません。

思い切って進むことにしました。

宿の予定は26番の少し先の奈半利。
26番が終わってバス停まで出たときに電話をしよう。
うまくいけば、6時頃着けるので、許容範囲です。
もし、宿を断られたら、その先でビジネスホテルを探せば
あるだろう。最悪、高知市内まで捜せばあるのでは?

しかし、予想もしない展開が待っていました。

一旦止みかかった雨ですが、再びバシャバシャ音を立てて
降り始めました。

その雨の中を4時少し前に、約4キロ先の
26番金剛頂寺へ向います。

室戸の旧道を歩いていきます。
道行く人は、皆、笑いかけながら挨拶をしてくれます。

「たいへんやな~がんばって」

と声を掛けてくれる人もいます。

26番を目指すという選択は正しかったのだろうか?

室戸で泊まるなら、25番札所で宿を紹介してもらうという手も
ありました。
しかし、街中の25番と違い、山の上にあり、街から離れた
26番ではそれは難しいでしょう。

その先の奈半利を目標にしましたが、宿がある保障はありません。
宿の確保は当然のことながら、遅くなればなるほど
困難になります。

旧道が新道に合流し、街の中心から外れて行くのに
したがって、前方に山が見えてきます。

26番金剛頂寺のある山です。
5時までにここへ着かないと、次へ進めません。

雨の中、焦りますが、なかなか前へは進みません。

得意のバスを使いたいところですが・・・
生憎バスがやってくるのは、4時半過ぎ、

しかも、26番金剛頂寺は登り口から一キロぐらいあります。
バスを待っている間に進んだほうが早いでしょう。

とりあえず、何とか、金剛頂寺の看板が
出ているところまで来ました。

主要道路から右へ折れて登って行くと金剛頂寺ですが、
その登り口の手前の左手に「民宿 うらしま」の看板が
見えました。

休館と地図にはありましたが、店には電気が灯っています。
扉を開けようとすると、店主さんが出てきてくれました。

ずぶぬれで立ったまま、

「今日泊めてもらえますか?」

「いいですよ」

雨の中疲れていたので、ありがたかった。

荷物を置かして貰う。

「26番へ行ってきます」

「間に合うか?」

「大丈夫です」

時計は4時半を指していた。

雨の中、頭陀袋、改良服、納経帳をビニールに巻いて手に持って
出たのだが、それが失敗でした。
荷物が重すぎて持ちにくい。

記憶では26番は主要道から右へ折れてすぐ左に曲がるはずですが・・・
その曲がり角が遥か彼方???

その交差点を左折して突き当りから山道に入るのですが、
これがまた急な山道で、階段状の岩場のようなところを
登っていきます。

途中で息が切れて何度も立ち止まります。

このような急坂は、自分の呼吸と歩みを合わせます。
一歩進んで息をはいて、一歩進んで息を吸う。
それくらいゆっくりした歩みで、森の木々の力を借りながら
進めば、休むことなく登れる。

これまではそれで切り抜けてきましたが・・・
今回は使えません。時間制限があるからです。

進んでは休み進んでは休み、まだか、まだかと気ばかり焦ります。

ようやく26番の駐車場に出ます。
やっとたどり着いた・・・しかし、境内までは女坂・男坂の33段、
42段の結構段差のある石段があります。
奈落の底に突き落とされるような感じです。

私は何度もここには来ていてこの石段の存在は
十分に知っています。

けど、実際に見てガックリ来ました。

たった、75段の石段を休み休み登ります。

山門をくぐりようやく境内に入ります。
雨の中、境内には誰も姿が見えません。
時計を見ると4時45分。
恐ろしく長く感じた15分間でした。

金剛頂寺は室戸三山の中でもっとも大きなお寺です。
この三つの寺院が海沿いの町にあるにもかかわらず、
三つとも申し合わせたように山の中腹に作られているのは、
津波に対する備えでしょうか?
あるいはかつては灯台の役割を果たしていたのでしょうか?

取り急ぎ納経を済ませ、本堂で読経します。

雨の中、さっき上がってきた道を逆に下って行く。
先ほどの登りで足はガクガクになっています。

今回の旅で初めて金剛杖を突きました。

実は私は普段は金剛杖を全く突きません。
手に持って歩いているだけです。

突かないなら、金剛杖など要らないだろうと
いわれそうですが・・・

金剛杖はお大師さんの化身と言われていますので、
お遍路さんは持つのが作法です。

お大師さんと同行二人というのは、心の中で思うだけでなく、
実際に山中で頼りになるのはこの金剛杖だけです。

私も何度助けられたことか?

しかし、いつもこの杖に頼っていたらどうなるか?

徳島辺りでは、歩きのお遍路さんと、車のお遍路さんの区別は
つきにくいですが、愛媛香川辺りに来ると一目瞭然です。

金剛杖の先が磨り減っているのでよく判ります。
中にはかなり短くなっている人もいます。
それだけお大師さんに助けられたということでしょう。

私は1周目のお遍路で、金剛杖を二度と使えないくらい
すり減らしてしまいました。

その教訓から、余程のことが無い限り突かないと決めました。

そうなると、だんだん突くのが勿体なくなってきます。

その結果、歩きで五回お参りしたにも関わらず、
ほとんど杖は磨り減っていません。

杖を突きながら用心深く下っていきます。

雨は上がってきました。

15分ほどで、民宿うらしまに到着します。
新しい建物なので、ずぶぬれで入るのは気が引けましたが、
どうぞといわれるので、合羽を表で払って中へ入ります。

ここは、親切な宿でした。
というより、遍路宿は皆親切です。

突然の来訪に嫌な顔せず、応対してくれます。

「合羽はここにほして」

「荷物はここ」

「洗濯はここで、干すのはここ」

まず、宿に入ったら、金剛杖を洗うのが最初です。
杖を洗い、きれいに拭いて、今日一日の無事を感謝してから
他の事を行ないます。

遍路宿は原則として、布団などは部屋においてあります。
それを自分で敷きます。
ここは、最近改装したようですが、基本は変っていません。
押入れも無く、テレビと小さなテーブルが一つだけ
置いてあります。

洗濯機は以前は頼んで貸してもらっていましたが、
今は乾燥機も結構揃っています。

タオルとか歯ブラシとかは普通の旅館のように
あるわけではありません。

お風呂に入れてもらい、洗濯を仕掛けて食事を
いただきます。

食堂に下りていくと、「お先に」と食事を取られている
年配の女性がいました。ビールを飲んでいるので、
何をしている人だろうと思いましたが・・・
店主との話を聞いているとお遍路さんのようです。

今回の旅で気が付いたことのひとつに、

「一見お遍路さんに見えない人が多い」

というのは発見でした!

以前は、お遍路さんの姿を解いても「お遍路さん」と判る人が
多かったような気がしましたが気のせいでしょうか?

11時頃食べたきりだからか、自分でも驚くほどお腹が空いていて
たくさん食べてしまいました。

さらに部屋の戻ってからもお菓子をむさぼるように
食べてしまいました。

6月5日 四ヶ寺 一社 参拝 歩行距離 11キロ
途中で5時の鐘がなります。
本堂を途中で閉められるかも知れないと思い、
外で拝んでいたのですが、私が終わるまで本堂を閉めるのを
待ってくれました。

納経所の役僧に御礼をいい、大師堂に向います。

読経が雨音にかき消されていました。


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