一行禅師一行禅師は真言宗ではの八祖(密教を伝えてきた8人)の一人とされていますが、密教の枠にとらわれない広さを持っています。 中国では科学者(天文学者ー暦の作成、天体義、地球儀の作成) として、肖像が切手になっています。 若いころは道教に通じて「大衍玄図」「議決」という 著作を残しています。 さらに風水師としても「葬書」(風水はもともとすぐれた土地 に墓地を立てることによって一族の繁栄を図るためのもの である)の注釈を完成させて風水理論の革新をもたらし、 易にも通じて著作があったといわれています。 後に道教の勢力が強かった唐王朝で密教が広まった背景には 一行禅師の力が大きいといわれています。 21歳の時、禅宗において出家して禅を極めています。 禅宗の高僧伝「景徳伝灯録」に名が見えるようです。 続いて戒律を学び、天台を学んだといわれています。 一行禅師は顕教を学んだ上で密教の出会いました。 金剛智三蔵について金剛頂経系の密教を学びました。 そして一行禅師の名を真言宗の第六祖としたのが、 善無畏三蔵と共に「大日経」を翻訳し、その注釈書である 「大日経疏」を著作したことです。 かつては真言宗で大日経を研究することは大日経疏を 研究することでありました。 また、天台宗では「大日経義釈」(大日経疏の校訂版) をもって大日経を学びますが、これも一行禅師の著作です。 仏教界を超えて当時の多彩な学問の世界の第一人者として 名を残した天才一行禅師、惜しむらくは僅か45歳の若さで この世を去ったことであります。 死因は一説によると、不老不死の研究のために水銀 (腐食防止に使われていた)を飲んでいたことだといわれます。 もし、一行禅師があと10年長生きしていたら、日本の仏教も 全く変わっていたに違いない、そう思わせる天才でありました。 ジャンル別一覧
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