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三人寄れば文殊の知恵

三人寄れば文殊の知恵

発業とは何か?

先日信者さんが、

「いい話でしたので、持ってきました。
釈迦に説法かも知れませんが?」

といいながら小冊子を持ってきてくれました。

『ひとと企業の使命 発業(ほつごう)せよ』

発行はA銀行経営相談所

著者はH相宗の前管主

内容はというと

企業の目的は社会貢献であり、それを始めたときの精神が
発業である。発業(業を起こすこと)の精神を無くし、
儲けに走る会社になるとだめになる。企業がいつまでも
生き生きするためには、どのように社会貢献できるか
という使命を忘れてはいけない

というような話です。

なるほど、いい話ですね。といいたいところですが・・・

裏を見ますと

「経営と暮らしの相談に(Aぎん)経営相談所をご利用ください」
「相談内容 経営 法律 税務 貿易」
「講演・研修会等の開催と講師の派遣、
豊富な講師陣をそろえご要望にお応えします」

とあります。

どう見ても儲け主体では?(笑)

小冊子の内容どおり社会貢献の精神を
忘れないでいただきたいところです。

大丈夫でしょうか?A銀行!
といいたいところですが、
企業は利益を追求するのが本道です。
別のところでA銀行が社会貢献していただくのを期待しましょう。

本題は小冊子の内容です。

真言宗では懺悔文(さんげもんー「ざんげ」ではありません)
というものを使います。

我昔所造諸悪業 皆由無始貪瞋痴 
従身語意之所生 一切我今皆懺悔  

出典は華厳経ともいわれています。

「我れ昔より造りし所の諸々の悪業は、みな無始の貪瞋痴による
 身と語と意より生ずる所なり、一切を我れ今皆懺悔したてまつる」

すなわち、自分が遠い昔より(何代も生まれ変わって)造って来た
さまざまな悪い行いは、皆「むさぼり」「怒り」「迷い」によっています。
それは行動と発言と思いの三業から生じたものです。
そのすべてのものについて私は今悔い改めます。

というような意味です。

注)人間のおこないは行動(身)発言(語あるいは口)思い(意)に
分けることができます。

面白いですね。

キリスト教の懺悔などは自分の行いについて悔い改めます。

ところが、これは自分の前世あるいは、無意識の
自分の行動・思い・発言についても、
悪いことをしたに違いないから懺悔するというのです。

一方ジャイナ教という宗教があります。
この宗教は極端に殺生を禁じています。
それ故、信者は漁業・狩猟はもちろん、
農業をしてはいけないそうです。
農業は虫たちの生命を奪うからです。

仏教はそうではありません。

自分が生きて行くということは、他の生命を奪うことであると
自覚しているのです。
だからこそ、自覚している罪のみならず、
無意識あるいは生きて行く上に
やむをえないことに対する懺悔があるのです。 

ところで発業は??? 

業というのは人間のおこないであり、それには
行動(身)発言(口)思い(意)の三つの側面(三業)があります。

普通に生活している限りにおいては悪いことをおこなってしまう
かもしれないことは一昨日に述べました。
ではどうすればいいのでしょう。

密教(真言宗)ではそれに回答を出しています。
ずばり仏様のようにしましょう!

すなわち、仏様の行動・発言・思いをするのです。
密教ではこれを三密といいます。

仏像を見ますといろいろな手の形をしていますが、
これが印といい仏様の行動です。
真言が仏様の言葉です。
そしてこれが難しいのですが、仏様を思い浮かべることによって
仏様の思いに近づくことができる。

この三つをおこなう事が密教の行です。

繰り返しおこなう事によって普段も仏様のようになるはず・・・
といいたいところですが・・・。(汗)

少なくとも、行をおこなう事によって過った方向に行きがちな
人間の行動を元に戻す効果はあるようです。

本題の「発業」ですが、仏教辞典を開く限り不明です。
業を発するというのは???
H相宗に問い合わせいたしましたが、回答ありません。

仏教は本来「世間」から外れた「出世間」のものです。
(世間も出世も仏教用語です。ご存知でしたか)

したがって仏教に世間的な道徳を求めるのはいかがなものか、
また仏教家がそれを説くのはいかがなものか。

というのが私の結論です。


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