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三人寄れば文殊の知恵

三人寄れば文殊の知恵

葬儀に公正証書遺言が必要か?

葬儀の際の喪主は厳しい立場に立たされることがあります。

近親者が他界して悲しむ暇もなく、あわただしく
葬儀の準備に取り掛からなければなりません。

普段付き合いの深い兄弟親戚が多い場合はともかく、
とりあえず、親戚をあわただしく迎え入れることに
追われることも少なくありません。

さらに葬儀の打ち合わせをするときも、
親戚が同席することも多く、周りの眼を気にしながら
進めざるを得ません。

そこで、普段付き合いのない親戚が、

「葬式はこうするもの」

と口を挟んで来ることも少なくありません。

このようなわずらわしさを避けて、最近では家族葬ということで、
本当の近親者のみで葬儀を行なうということもありますが、
社会的に立場がある場合には(普通はそうですが)
マイナスとなることも少なくありません。

そのためには縁起が悪いなどといわずに、
あらかじめ準備しておくことが望ましいです。
一方亡くなる側?も自分が死んだ後どう扱われるのか、
心配する方もいらしゃることでしょう。

故人が

「俺が死んだらこうしてくれ」

と言っていたとしても、
実際には全く違うような葬式をされることは
少なくありません。

したがって、ある程度自分の意思を形にしておきたい
というのも自然かも知れません。

その一つの形として遺言という形があるともいえます。

「死んだら関係ない」

などと言い切れる人はいささか無責任としか思えません。

ただ私は、葬式は故人ではなく遺族が取り仕切るべき
と考えていますので、遺言という形を
取られるのはどうかとも思います。

最近は遺言をするケースが増えているそうですが、
そもそも、遺言を行なうということ自体が、
自分の死後に財産争いが起きる可能性を示唆しています。

財産の分割方法を示しただけでは、争いを助長させるだけで、
何の解決にもなりません。
そのような財産は残すべきではありません。
しかるべきところに寄付するべきです。

遺言で法律的に葬儀方法を示すことも同じです。
直接相手に伝えてなされないことが
法律的手段になされることによってどんな意味があるのでしょう?
形は故人の思うとおりになされるかもしれませんが、
心は全くこもっていないでしょう。
少なくとも宗教的な意味は無いと断言しても
良いのではないでしょうか?

まずは親類縁者とよい関係を築くこと、
そして自分の意思を伝えること、そしてそれ以上に
自分が先祖の供養を行なうことです。

自分が信心深く、周りともよい関係を持っていれば、
自分の意思に近い葬儀を遺族が行なってくれる
可能性は高くなります。


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