前回の謎について、私は39番札所は延光寺ではなく月山、
40番札所は観自在寺ではなく篠山だった可能性が
あると見ています。
四国霊場は江戸時代の江戸時代の初期位まではっきりと
確定していませんでした。
中村市の石見寺というお寺は南路誌によるとかつては四国霊場の
札所だったと記されています。
40番札所は篠山観世音寺を移したと考えれば寺号の謎も本尊の
謎もルートの謎も解けてきます。
篠山は現在でも難所でありそれを平城と呼ばれていた現在の
観自在寺を札所にという動きがあったと思われます。
その時に山の札所であった篠山を海の札所である観自在寺に
移すにあたり、海の札所であった月山を山の札所である
延光寺に移したものと考えられます。
しばらくは両者が札所であった時代が続き、江戸時代の初期に
統一されたのではないでしょうか?
最古の遍路日記といわれる澄禅大徳の日記(1653年)では、
きちんと月山もお参りし、延光寺もお参りしています。
江戸初期までは「初めて四国遍路をするものは必ず月山(月山神社)
か笹山(笹山観世音寺)を参る慣わしになっている。」
ということが元札所を重要視する教えとして伝えられていたのでは
ないでしょうか? 素光
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