鶴舞う形の・・・
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卒業研究はクラスでの発表会で終了だったが私の前に発表したM君が「それでは続きは東郷君の発表で・・・」と終えたので発表後の質疑応答は私が受け持つハメになってしまった。私は人前で話すのは苦手だったが何故かこの時は緊張した記憶が無い。多分、他の人には関心がなかっただろうからね。この時、初めて「OHP/オーバーヘッドプロジェクター」を知った。
2012.09.06
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O沢研での卒業研究はM君と私の研究課題が関連のある物だったが私は「ビデオカメラ」を使ってM君は「ストレージゲージ」を使ってデータ測定する物だった。
2012.09.05
O沢先生は、白髪の高齢者で如何にも老人という風体だったが最新の「電気機器」や「相撲」が好きだったようで大相撲が始まると教授室のテレビで興奮して身を乗り出して観戦している姿が楽しそうだった。
2012.09.04
O先生が使っていた「プログラム関数電卓」は、磁気テープにプログラムを手書き入力するとそれを読み込んで計算してくれる物だったらしい。当時はパソコンなど無く、コンピューターもパンチカードで入力していた時代だったのでコンパクトな「プログラム関数電卓」は、さぞ高価だったろう。
2012.09.02
私達留年生組が入ったのは、如何にも古臭いと言うか伝統的な研究をしている研究室だったがO先生は、新しい機器が好きなのか研究費の殆どを「最新の関数電卓」や当時まだ珍しかった「ビデオレコーダー」などの機器の購入に使っていた様だった。
2012.09.01
大学も四年生になると授業は「卒業論文」の為の研究だけになった。学生はお気に入りの研究室に分かれて実験をしたが人気のある研究室は直ぐに定員に達してしまい謙虚な私達留年組は残された研究室に入った。
2012.08.31
K君は大学を卒業して「特許事務所」へ就職したが私は「弁理士」と言う職業があるのを初めて知った。
2012.08.30
実家に書類を取りに帰ると言うので一度だけ一緒にK君の実家へH君と三人でクルマで行った事があった。足立区の綾瀬と言う地名を初めて知ったが国道122号線のトラックの往来の多いのにも驚いた。
2012.08.29
ある日、H君の寮で遊んでいたら「急ぎでいいアルバイトがあるんだけどあと一人必要なんだ~」とK君が駆け込んで来た。H君は夕方アルバイトがあったので私が代わりに付き合ったのだがそのアルバイトと言うのは「葬儀」の手伝いだった。「おくりびと」と言うほどのものではなかったけれど遺体を移動したり祭壇を倉庫から運び込んだりして小一時間で四千円は効率のいいバイトだった。
2012.08.28
寮生のK君は同じ科の学生だった。部屋には作りかけの大型スピーカーが二台置いてあり座るところも無いくらい趣味の場所となっていた。
2012.08.26
H君のチェリーで寮まで帰ると私のサニーに乗り換えて女の子達を熊谷駅まで送った。国道407号を夜中に熊谷駅まで四人乗りで走ったが期待したことは起こらなかった。
2012.07.30
大洗からの帰り道で食事をすることになり50号沿いの食堂に入って5人で食事した。食事を終えて支払いをする時になったら女の子二人はトイレへ消えてしまい仕方なく我々で支払いを済ませたが「上手い手だね~」とH君が呟いた。
2012.07.29
帰り道はH君と私が交代で運転して免許もクルマも持っていないT君が狭いチェリーの後部座席で女の子二人とまるでハーレム状態で座っていた。
2012.07.28
T君が海でナンパした女の子は二人連れで熊谷から大洗まで電車で海水浴に来ていた。免許もクルマも持っていないT君が誘って一緒に帰る事になった。
2012.07.27
浪人生で東京生活の長かったT君は遊び人だった。海でナンパをすると言うので見ていたら女の子の二人連れに声を掛けて一緒に遊び始めた。
2012.07.26
当時は海水浴場と言うと茨城の大洗海岸が一番ポピュラーだったが大洗の波は結構荒かった。私は浮き輪にお尻を入れて波間に浮かんでいるのが好きだったが浮き輪が無い時は波乗りで波と戯れるのも好きだった。ふとH君の方を見るとH君は顔が水に浸かると必死に顔を拭いていた。H君はカナヅチだった。
2012.07.25
H君が英検を受けた時にお世話になった縁でT君と私と三人で夏休みに海水浴に行った事があった。私がT君を乗せて寮まで行き寮からはH君の「チェリー」で国道50号を茨城の大洗海岸まで走った。
2012.07.24
英検を受けてきたH君にどんな問題が出たのか訊いたら試験官「Who is Ben ?」と訊かれてH君「ベンはベンなんだから誰と訊かれても何て答えたらいいか分からなかった」と言う話が何故か記憶に残ったが英検は何級を受けたのかも?受かったのかも?記憶にない・・・。
2012.07.23
翌朝、T君のアパートから英検会場までH君をクルマで送った。二人共初めての会場で地図を頼りに行ったが何かの柵の向こう側にその建物が見つかったのは時間ギリギリだった。H君はクルマを降りるとその柵を乗り越えて会場へと消えていった。
2012.07.22
T君のアパートの西側は駐車禁止の道路だったが部屋の窓のすぐ外だったので違法駐車していた。朝帰りのT君はアパートで寝ているというので私とH君の二人で商店街へパチンコをしていると「駐車禁止でクルマ持ってかれる~」とT君が慌てて走って来た。T君はまだクルマの免許を持っていなかった。
2012.07.21
「隅田川花火大会」は土曜日で、楽しみにしている「クイズダービー」のある日だった。アパートで三人で「クイズダービー」を観終わってからクルマで出掛けた途端に群馬では想像も出来ない大渋滞にハマった。「隅田川花火大会」の会場まで時間内にたどり着けなかった。
2012.07.20
「英検」でT君のアパートに前泊した夜は「隅田川花火大会」があると言うので夜になったら三人で見に行こうという事になった。
2012.07.03
板橋区成増のT君のアパートへ行く時の目印は「大山商店街」だった。当時、T君は二浪中だったがパチンコやマージャンが好きでアパートにいない事も多かったが下駄箱にアパートの鍵が入れてあったのでT君が不在でも訪問するのには不自由しなかった。
2012.07.02
板橋区成増のT君のアパートは四畳半に小さな台所が付いていたが共同トイレで風呂は無し南の窓の外はすぐ壁だった。それで当時の下宿代が45,000円と言うのは今考えると高い気がする。しかし、一号室だったので西側の窓の外は道路で駐車が可能だった。
2012.07.01
英会話の教材を揃えて勉強していたH君がある日H君「東京に英検を受けに行きたいのでクルマで送ってくれないか?」と言うので私「それなら前日、東京の友人のアパートに泊めて貰えば楽だ」という話になり成増のT君のアパートに前泊することになった。
2012.06.30
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ある日、H君の寮へ遊びに行くと部屋に英会話の教材が有った。「あんなのやるのは馬鹿だよ~」と言っていたH君が二十数万円のクレジットを組んで購入したのが不思議だったが聞いてみると担当は美人のお姉さんだったようだ。
2012.06.29
英会話教材のセールスの電話もよく掛かってきた。殆どが駅前の喫茶店で会って話を聞いてくれというものだったがある日、H君と「只コーヒーをご馳走になろう」とセールスマンと会って話を聞いた事があったが「あんなのやるのは馬鹿だよ~」と言うのがH君の感想だった。
2012.06.28
電車通学していた頃、前橋駅で電車を待っていたら大学生らしき人から「何とか運動」に興味は無いかと訊かれた事があったが学生運動には興味も無いし部活が忙しかったので聞く耳も持たなかった。大学生は余程カモに見えたのか色々な勧誘があった。
2012.06.27
電車通学していた頃、大学からバス停までの帰り道でルートバンが横に停って中からセールスマンが降りて来て「問屋に卸す背広が余ったので安くするから買わないか?」と勧誘された事があった。背広に興味も無かったし金も持っていなかったので即断ったがセールスマンにとって大学生は恰好のカモだったのだろう。
2012.06.26
H君の実家は「塩原太助」で有名なドライブインの近くだった。三人姉妹の真ん中、否、姉さんと妹さんが居たらしいが農家の長男だった。農家の長男なのに実家を出て寮生活をしているのは少し羨ましかった。
2012.06.25
H君はあまり運動神経が良いようではなかったが「クルマの免許の本検の日がクリスマスでおまけして貰って免許貰ったんだ」と本人も言うようにクルマの運転もどこかスムーズでは無かった。ある日、本屋さんの駐車場に停めるときに前進で壁にぶつけてしまった。店内に入ってみると店員さん達が「今の揺れは地震?」と話し合っていたので「地震があったね~」とはぐらかしておいた。
2012.06.24
H君は飲食店でアルバイトをしたり自炊をしていたので私と違って料理も得意そうだった。H君にご馳走になった「カレーライス」はスパイスの利いた辛さと大きめの具がマッチしていてとても美味かった。
2012.06.23
H君はコーヒーをミルで轢いてドリップで飲んでいた。ミルを掃除するブラシと電気カミソリを掃除するブラシは似ていたが柄の白い方がミル用だから間違う事は無いと言っていた。私はH君にブラックコーヒーの味を教えて貰った。
2012.06.22
ある日、H君とテニスをした後でH君の寮の部屋でオレンジジュースを飲んでいたら急激な「胃痛」に襲われた。理由も原因も分からなかったがのたうち回る程の「胃痛」は初めてだった。
2012.06.21
H君は余り運動神経が良いように思えなかったが硬式テニスの経験があり上手かった。授業が無くて暇なときは近くの県営コートで時々一緒にテニスをした。ネットの張り方やラケットの「ラフ&スムーズ」やらテニス関連の事を色々と教えて貰った。
2012.06.20
桐生の寮に移って間も無くH君はアルバイトした金でクルマを買った。アルバイトだけで生活費を賄い、クルマも買ったH君は凄いと思ったが買ったクルマはブルーメタリックの「チェリー4ドアセダンGL」だった。
2012.06.18
ある日、寮に遊びに行って寮生とバイクの話をしていたら触発されたH君が友達のバイクを借りて乗り出して行った。戻ってくるまで大分時間が掛かったので私「もしかして警察にでも捕まった?」とH君に訊いたら静かに頷いた。それ以来、H君はバイクに興味を示さなかった。
2012.06.17
ある日、寮に遊びに行ったらやけにバルサン臭かったのでH君に尋ねたら「抜き打ちの避難訓練」があったそうで寮生も一年目こそ「避難訓練」になるけれど二年目からは「避難訓練」だと言う事は直ぐに気がついて「抜き打ちの避難訓練」も余り意味が無さそうだった。
2012.06.16
試験関係の情報は寮生のH君が寮生のコネクションを通して色々教えてくれた。ある困難な試験の前日に私は半ば諦めて寝てしまったが夜中にH君がわざわざうちまで来てくれて翌日の試験の傾向と対策を教えてくれた。その時の恩は今でも忘れられない。
2012.06.15
大学の寮には様々な学科の学生が居たが寮生同士のコネクションは素晴らしかった。試験の傾向から解答まで情報は豊富だった。
2012.06.14
H君の入っていた寮には様々な科の学生が入寮していたがバイクやクルマを弄ったり色々な趣味を楽しんでいてみんな生き生きと生活している感じがした。
2012.06.13
H君の入っていた寮は古いが鉄筋建てで二年生から四年生が入寮していた。二年生は二人で一部屋を使用し三年生からは一人で一部屋を使えたがカギをかけている部屋は殆ど無かった。遊びに行くと様々な科の学生と知り合う事が出来た。
2012.06.12
私が国立一期校を諦めて二期校にした理由の一つに一期校の寮に入れなかったという事もあった。大学から下宿の斡旋もあったが下宿代と生活費の仕送りは当時の我が家には困難だった。もっとも地元の大学にした一番の理由は我が家の労働力を減らさない為だったのだろうけど・・・。
2012.06.11
もう一人の留年生のH君は沼田の出身だったが一年の時から寮生活をしていた。桐生の寮に移ってからは私も時々遊びに行って寮生活を見学させて貰った。
2012.06.10
M君の桐生の下宿には男子高校生の下宿人も居た。ある日、その高校生の部屋から制服の乱れた女子高生が泣きながら飛び出して来た。その制服は地元でもちょっと有名な高校だった。
2012.06.09
M君が前橋から桐生のアパートへ引っ越すときはM君のバイト仲間が一人軽トラを出してくれたが軽トラ一台分の荷物でも三人だけで引越しは大変だった。引越しには人海戦術が必要だと悟った。
2012.06.08
M君からI商事のアルバイトを紹介して貰ってからは春休みは毎年I商事でアルバイトをするようになった。I商事のアルバイトは社会勉強にもなったし仕事内容も私に一番合っていたかも知れない。
2012.06.07
M君の生活はアルバイトが最優先で学業は二の次だった。泊まり込みでアルバイトに行ったりもしていたので私が授業の出欠の代筆や代返をした事もあった。
2012.06.06
M君の持論は「硬い筋肉は持久力が無い」だった。私の「上腕二頭筋」と比べると確かにM君のそれはプニョプニョしていた。
2012.06.05
M君は格闘技全般にも詳しかった。空手、少林寺拳法、ボクシング、レスリング・・・。しかし残念ながら認許は一つも持っていなかった。
2012.06.04