意識の定着-4
「数値化」は非常に大切なことです。但し、実際私達は数値的なことは判断できても、そもそも「物差し」の基準がないと理解し辛い現実もあります。それとその「基準」が今までの生活の中でどこまでのキャパシティかにもよると思います。例えば生命の尊厳・・・何を基準にするかにもよりますが、皆さんは魚をさばいたことがあるでしょうか?魚をご自分で切り刻むということです。ミンチにしてつくねや味噌を合えたりなども美味しいですよね。料理の時は包丁を二刀流とし、トントンとマシンガンのような速さで魚達を切り刻だりする人もいますね。それかシュレッダーのように粉砕機にかけるのでしょうか?これが魚ではなく人間だったら「残酷」であると同時に犯罪ですよね。それならば鳥・豚・牛だったらよいのでしょうか?私は完全菜食主義者でもなければ、動物愛好家でもありませんし、グリンピース一員でもありません。私の書き込みの趣旨「モノ作り」とかけ離れているようですが、そうではありません。現代の「ものづくり」がそれを「麻痺」させているのです。私は動物でも植物でも、最低必要分は摂取することは間違いではないと理解しますが、現代は「過剰」過ぎるのです。そしてその行為が「命」の尊厳の基準低下をまねいています。私は過去に「牛肉価格が今の10倍でもよい」と書いたのはそんなところにあります。命の価値を少しでも守る為の基準です。今世界では15~20億頭とも言われる牛達、鳥に関しては100億羽以上生産され食料や飼料になっています。皆さんはその「命の価値」を1つの事柄だけに集中したりしていませんか?命は全てに対して「平等」です。その平等とは全て一緒というわけではなく、生態系を維持する為の平等でなければいけません。