1999夏 九州で見た車両たち 3(終)
1999年の九州旅行では「生きている火山(桜島・阿蘇)を見に行こう」「日本最南端の駅に行こう」「巨大リゾートを見に行こう」等々の目的を挙げてプランニングしました。決して鉄道乗りつぶしが目的ではなかったのですが、その中でも様々な路線に乗って車両を見てみようと思っていました。ちなみにきっぷは、今はなき「周遊きっぷ」の九州ゾーン。行きは羽越~上越~東海道~山陽~伯備~山陰~山口線~山陽で、なんと11日間有効帰りはオーソドックスに、山陽~湖西~北陸~信越~羽越で、それでも9日間有効でした。1999夏 九州旅行 15 posted by (C)Traveler Kazu指宿枕崎線 山川 西鹿児島から、当時日本最南端の駅だった「西大山」へと移動。快速「なのはな」号でした。1999夏 九州旅行 14 posted by (C)Traveler Kazu指宿枕崎線 西大山 山川で枕崎行に乗り継いで十数分。4日目にしてやっとたどり着いた日本最南端の駅は、南国ムードが溢れかえっていました。開聞岳もすっきり見渡せました。北緯31度11分・・・緯度は我が秋田と10度近い差があります。こういった駅に降り立つと、次の列車まで何時間も・・・という悲劇に見舞われる心配もありますが、このときは運よく(ダイヤよく?)反対列車山川ゆきまでの時間は数十分でした。その後はもちろん、指宿砂蒸し「砂楽」で砂蒸し風呂を体験。1999夏 九州旅行 16 posted by (C)Traveler Kazu鹿児島市電 鹿児島の路面電車。今この車両が走っているかどうかは分かりかねますが、東日本では路面電車は珍しいのでやはり撮りまくりました。東・北日本で・・・札幌と東京だけだよね??1999夏 九州旅行 17 posted by (C)Traveler Kazu 西鹿児島駅。駅舎はすでに、新幹線対応の構造に建て替えられていました。熊本~阿蘇を巡り、5日目の夜は夜行。1999夏 九州旅行 18 posted by (C)Traveler Kazu これも廃止になった特急「ドリームにちりん」。急行「日南」のあとを継いで博多~宮崎空港間を走っていました。この時は787系でした。急行の跡継ぎ列車だったので、こまめに停車していました。現在、博多→大分間は「ソニック61号」、延岡→宮崎空港間は「ひゅうが1号」が走っていますが、大分~延岡間は昼間しかありません。この時も、延岡から続々と乗車してきて目が覚めた記憶があります。その後青島まで足を延ばし、戻ってシーガイア見物、特急「にちりんシーガイア」で別府まで戻り1泊。翌朝、地獄めぐりの定期観光に乗りました。 1999夏 九州旅行 19 posted by (C)Traveler Kazuこのバスも今見ればレトロな感じ。別府から城島高原を路線バスで超え、湯布院散策。特急「ゆふ」(ゆふいんの森に乗る金はなく)で日田へ移動しやはり散策。豆田町など。1999夏 九州旅行 20 posted by (C)Traveler Kazu久大本線 日田 日田からは、当時もうすでに風前の灯となっていた「客車の普通列車」に久留米まで乗車。車両こそ急行用の12系でしたが、各駅に停車するごとに伝わってくる振動と、エンジンもモーターもついていなので走行中は静かな車内にジョイント音だけが響いていました。1999夏 九州旅行 21 posted by (C)Traveler Kazu山陽新幹線 博多 最後は、当時最新鋭新幹線「700系」もちろんN700系でもN700Aでもありません。列車はもちろん「のぞみ」です。隣には、まだかろうじて2階建て連結、食堂営業で東京~博多運用が残っていた100系が写っていますね。よく見るとG編成(食堂ではなくカフェテリア連結)ですね。この後、新大阪で寝台特急「日本海3号」に乗り継ぎ、秋田に帰りました。 ホテル法華クラブ鹿児島 東横イン博多口駅前祇園 コートホテル博多駅前 九州では、これらのホテルに泊まりました。「法華クラブ鹿児島店」には2泊。古い建物でしたが、近年、改築したようですね。「東横イン博多祇園」は店名が若干変わっています。「マルコーイン博多」は「コートホテル博多」に。別府で泊まったビジホは、楽天で検索ヒットしませんでした。古くて狭かったので、廃業したかな?