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第4章法然らが上奏によって流罪になったことを示す
その上、去る元仁年間に延暦・幸福の両寺から度々奏聞がなされ、勅撰・御教書を申し下して法然の「選択集」の版木を比叡山延暦寺の大講堂に取り上げ、三世の仏恩を報じるために焼き捨てさせた。法然の墓所に対しては、感神院(註16)の犬神人(註17)に仰せ付けて破壊させた。法然の門弟である隆寛・聖光・成覚・薩生らは遠国に流罪され、その後いまだに処罰を許されていない。どうして「まだ意見書を提出していない」といえるだろうか。 註16京都・祇園の八坂神社の古い名称。 註17京都・祇園の八坂神社等に属し、境内の掃除をつかさどったり、不浄の物を取り捨てる役目をもった人々。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.07.27 11:17:55
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