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テーマ:生き方上手(685)
カテゴリ:クスリ・自己啓発
町沢静夫(1999):「なぜ「いい人」は心を病むのか」PHP研究所. 親友だから悩みを打ち明けられない 私は今子どもたちが一番ほしがっているのは,「親しさ」だと思っています。 今の子どもたちの関係というのは実に浅い。 だから,彼らの間では「親友」という言葉がすでに死語になっています。 本当は,彼らはいやなこともすべて含めてさらけ出しあえる本音の親しさがほしいのですが,それは得るべくもなくなっています。 彼らに言わせれば,親友とは自分の悩みや嫌なことは絶対に話さない仲なのだそうです。 そんなことを話したら嫌われてしまう,親友に逃げられてしまうというのです。 だから,みんなが人に嫌われない「いい子」になってしまいます。 ではそういう本音の部分は誰に話すのかというと,お母さんだといいます。 お母さんが親友の嫌な部分を全部引き受けているために,彼らの本当の親友にはいいこと,楽しいことしか話さない。 だから彼らは真の親友を失っていると言えそうです。 携帯電話がはやるのも,フェイス・トゥ・フェイスの対人関係が苦手だからという側面があると思います。 電話なら直接顔が見えないから,安心して長電話ができるのです。 今NTTを一番喜ばせているのは,女子中学生,高校生です。 インターネットは特に対人恐怖のひとで「オタク」が多く,ひそかな犯罪もそれによって生じることもあります。 直接会うと,表情が手に取るようにわかるから下手をすれば相手を傷つけてしまうかもしれない。 また,自分も傷つけられたくない。 彼らもやはり「いい人」でいたいのです。 それならば,電話なら顔も見えず間接的ですから,割に気を使わないで自分をさらけ出せるというわけで空前の携帯電話ブームが起きているのです。 なぜそんなことになってしまったのでしょう。 一つには,子ども同士で遊ぶことがなくなってしまったということがあげられると思います。 そのため,お互いの心や感情の結び付け方がわからなくなってしまった。 一緒に遊んでいれば自然に覚えることなのですが,社会から遊びが奪われてしまったということではないでしょうか。 現代は,受験,塾,習い事で時間が奪われ,遊ぶ場所もなくなってしまいました。 ですから,今の子どもたちは遊ぶのにアポイントメントをとらなければならないといいます。 「何曜日の何時から何時までならば空いているけれど,あとは時間がないなあ」と言ってゲームセンターなどで会う約束をします。 そして何をやっているかというと,一人がゲームをやっていてもう一人は黙ってそれを見ているだけというような異様な光景を現出しているのです。 時々家で遊んでいる子どもたちを見ていても,二人だけがファミコンをやっていて後の三人は黙ってコミックを読んでいるなどということが普通になっています。 要するに,本当の親しさに触れるような機会は彼らから喪失してしまったといえるでしょう。 ---------------------------- 今は同じ境遇にいる人同士がオンライン上で集まって本音を語り合えます。 逃げ場があることが一人でいることをより助長しているような気もします。 子どもたちの遊び場が消えて,親が必死に受験戦争に駆り立てることも,一人でいることを助長しています。 小さい頃に家の近くに草が伸び放題伸びた空き地が遊び場でした。 近くの子どもと一緒になってよく遊んでいました。 でも,あるとき駐車場に変わってしまいました。 とても寂しかった記憶があります。 ゲーム機は買ってもらえなくて友だちのゲームの話題に全然ついていけなくて寂しい思いをしました。 今となってはこれでよかったのだと思えます。 年間3万人の自殺者が出る時代。 リアルには本音を誰にも語ることができずにみな必死になって生きています。 今日は小6の女の子が自殺したニュースが出ていました。 日常生活で幸せだと思う瞬間がいったいどれくらいあるんだろう。 でも,自殺したい人だって本当は生きたいはず。 100%死にたいと思ってる人はいないと信じています。 なぜなら,死ぬことそれ自体は,彼らが望んだ生き方ではなかったはずだから。 大人になれば生活のために苦しい思いをすることもあるかもしれないけれど,子どものときは何も考えずに笑っていられるようにしたい。 しかし,大人が決めたルールがそれを許していないような気がします。 夜の電車内で塾のカバンを背負った塾帰りの子どもたちがはしゃぎながら何度も行ったり来たり走り回っていたのを見たことがあります。 乗客は少なかったけど乗り合わせた誰もが腹を立てていたと思います。 僕もその一人でした。 でも誰も注意はしませんでした。 子どもたちにしたら,帰り道の車内にしか遊び場がないのかもしれないと思うと,かわいそうな気もしました。 今週の「あいのり」では,ラオスでの子どもたちの生活が紹介されていました。 みな親の手伝いをしながら,学校に通うので,忙しい家庭はある程度年齢を重ねてから学校に通わせることもあるそうです。 だから小学5年生でも年齢にはバラつきがあるそうです。 みなが同じように家事を手伝います。 家族が同じ屋根の下で農業を営みながら自給自足の生活をしています。 子どもたちはコマ回しや,パチンコ,チャンバラ,ゴムとび,縄跳びなどをして遊んでいました。 まさに三丁目の夕日の世界。 驚いたのは人数がとても多いことです。 誰かが遊んでいると,ほかの子が自然と集まってきてみんなで遊び始めます。 みなが人並みの生活をしているんだという平等の感覚をもっているからこそ,争ったり孤立したりすることなく助け合って生きていけるのだと思いました。 ラオスでは自殺者は年間に1人いるかどうかだそうです。 それに比べて日本はなんて生きにくいことか。 苦しいことはたくさんあるけど,せめて自分だけは笑顔と希望は忘れずに次の世代に夢を与える仕事をしなければなぁ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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