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カテゴリ:お出かけ
高知市内散策をしました.
材木町 材木町はもと片町だったのを、町人が自力で町のなかに掘川を通して両側町にしたので、二代藩主忠義より材木の専売権を与えられ、同じころ朝倉町の納屋堀も、城下に集まる塩魚類の専売権を与えられている。 (高知市の歴史より) 今は高知市はりまや町という地名です. よさこいで有名なほにや本社跡が. 7月に帯屋町ダイエー跡に移転しました. 帯屋町方面へ歩くと,よさこい情報交流館近くに魚の棚商店街という路地を見つけました. はりまや町商店街を突っ切った時には気づかなかった. はりまや橋商店街から北へ,全長約80メートル,幅約3メートルに約20店が軒を並べるこじんまりとした商店街。その歴史は古く,江戸時代初期(1661頃)に,土佐藩3代藩主の山内忠豊によって開設されたといわれています。その名の通り,魚を扱う店が多く,そのほか数百種類のコロッケを販売する惣菜店も人気です。 (高知市ホームページ) 紺屋町 城下町が作られたとき,曽我六兵衛ほか数人の紺屋が住んでいたことに由来する町名. 江戸時代を通じて綿屋,糸屋,呉服問屋など繊維関係の大店が多く,明治時代に入っても呉服,米,紙などの問屋街であった. わずかに呉服卸の文字が見えます.かつては呉服問屋だったことが分かります. 今はおしゃれな雑貨屋やブライダルサロンなどがあります. 土佐の民謡に,「高知町づくし」があります. この歌には,上記の地名が出てきます. ♬1番 高知の松ヶ鼻 番所を西へ行く 農人町 菜園場 新堀 魚の棚 紺屋町 種崎町うちこして 京町行くとはや 会所が建っている 程なく使者屋をうちこして 堺町 本町 八丁通します そこらで升形 本丁つき抜け 観音堂 ♬2番 旭の蛍橋 伊野から西へ行く 日下駅 西佐川 斗賀野に 須崎の金扉湾 新庄川うち渡り 久礼坂越すとはや 窪川 岩本寺 入野の松原はや過ぎて 四万十川 中村 宿毛に 片島や そこらで こづくし 土佐の東西ひとまたぎ ♬3番 高知の舟遊び 番所を東へ行く 松ヶ鼻 五台山 吸江前より法師前 のどかに海原へ そろそろ乗り出す 抑えましょう 控えましょう それから御畳瀬の初鰹 初鰹 だんだん日の手も廻りかけ そこらで拳酒 四、五杯滝飲み 大騒ぎ 高知の旧地名が景色とともに数珠つなぎで盛り込まれた唄 元来は「高知町廻り歌」として、 高知市の花街で唄われていたものが 「手まり歌」になったものです。 旧高知城下の町名を、東から西へ詠みこんでいます。 (濱長ホームページ) 今ではお座敷遊びで芸妓さんが唄ってくれるようです. お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2014.10.13 00:30:15
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