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テーマ:芸能ニュース(18583)
カテゴリ:TV・ドラマ・サスペンス・映画・芸能
「夢路いとし・喜味こいし」の兄弟漫才で親しまれた喜味こいし(きみ・こいし、本名・篠原勲=しのはら・いさお)さんが23日午後1時38分、肺がんのため大阪市北区の病院で死去した。83歳。埼玉県出身。1年前から体調を崩し、入退院を繰り返していた。03年9月に他界した兄・夢路いとしさんとの兄弟漫才は、時代を取り入れたネタと上品な語り口で多くのファンに愛された。
戦前から活躍した上方を代表するベテラン漫才師がこの世を去った。 〔中略〕 兄のいとしさん(享年78)とのしゃべくり漫才で一世を風びした。いとしさんが話を繰り広げつつ放り込む「ボケ」を、こいしさんが楽々と受け止めて「ツッコミ」を入れるスタイル。時にボケ返し、ボケとツッコミを瞬時に入れ替え、自在な呼吸はまさに名人芸。「漫才の教科書」とも評され、中田カウス・ボタンや上岡龍太郎(68)をはじめ、多くの芸人の手本とされた。 03年9月にいとしさんが他界した際には「いとし、こいしの漫才は終わり」と漫才の引退を宣言。以降は1人で講演などの活動を続けてきた。 旅回りの一座に生まれ、いとしさんとともに子供の頃から漫才師として舞台に立った。戦前は吉本興業に所属し、戦後は漫才の父、故秋田実に師事。無駄を省いた話芸で上方演芸界を代表するコンビとなった。故ミヤコ蝶々さんとの芝居では喜劇役者としても活躍した。【スポニチアネックスから引用】 関東の方にはあまりなじみがないかもしれませんが、関西を代表するお笑いの重鎮といえば、夢路いとし・喜味こいしさん(以下、いとこいさん)でした。関西のお笑いといえば、ドツキ漫才やテンポがとにかく早い漫才が主流ですが、いとこいさんの漫才といえばとにかく「客をいじらない・身内(楽屋)ネタをしない・人をどつかない」というそれらの漫才とは対極にあるようなネタを長らく続けておられました。 また、芸暦が長い超ベテランで重鎮でありながらご意見番面することなく、またえらぶることもない振る舞いはどっかの誰かさんはもっと見習わないといけないんじゃないの、って言いたくなりますね。 さて、私が子どもの頃は漫才だけでなく、「ガッチリ買いまショウ」などの番組において軽妙な司会もされておられて、兄の故・夢路いとしさんとともに番組を盛り上げられていました。もちろん、漫才も子どもだった私が見ても十分に笑える内容で、肩に力を入れずに楽しめるものでした。 その当時のいくつかのネタは、You Tubeでも見られましたが今見ても十分におもしろいと思うし、色あせていませんね。兄弟と言うこともあってトークの噛み合いが絶妙で、 夢路いとしさん「鬼瓦といえば、君の奥さん元気か?」 喜味こいしさん「なんで鬼瓦で思い出すねん」 なんていうネタは、定番のようなネタでした。 そういえば、私が高校生の頃に体育の授業でストレッチをしていたのですが、同級生が一人二役でいとこいさんのネタをボソボソ言いながらストレッチをしていて、実はその前日にテレビでやっていたネタだったのですが、思い出し笑いしたくらいでした・・・。 ところで、そんな関西のお笑いの重鎮だったいとこいさんですが、演目の出番は大トリではなく必ずその前を務めることが多かったそうで、これもいとこいさんならではの考えがあってのことなんでしょうね。 いとこいさんの味のあるお笑いは、もう伝説になってしまったんですね・・・。 喜味こいしさんのご冥福をお祈りします・・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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