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さすらいの天才不良文学中年

さすらいの天才不良文学中年

世界の画家10人、種村国夫、加山又造

世界に通用する日本の画家10人(前編)

 本日より、三日間、関ネットワークス発行「情報の缶詰」所収の「世界に通用する日本の画家10人」を掲載します。


世界に通用する日本の画家10人

 今年の初詣は「上野の森美術館」に出向いた。「没後40年レオナール・フジタ展」が開催されていたからである。美術館に初詣とは洒落ているではないか。なに、実際は、美術館の隣にある上野寛永寺にお参りをしたのであるが。

 さて、道中、連れ合いと話しながら、「レオナール・フジタ展」の藤田嗣治以外に世界で通用する日本の画家は誰だろうという話題で盛り上がった。

 その他に挙げるとしたら、北斎しかいないのではないか、いや、岡本太郎もいる、写楽ではダメかと話題が盛り上がり、勝手に世界で通用する日本の画家10人を決めてしまった。

ま、以下、ご覧あれ。


第1位 レオナール・フジタ

 日本を代表する画家を一人だけ挙げるとしたら、やはり、おいらはレオナール・フジタ(藤田嗣治)にしたい。


パリのマドレーヌ


 藤田は東洋と西洋の芸術を融合させ、繊細で流麗な抒情世界を創りあげた不世出の天才である。彼の描いた裸婦は、我々東洋人から見ればパリの華やかさに満ち溢れているが、西洋人にとっては東洋の異国情緒に溢れた絵なのだ。

 なお、藤田同様、数多の画家がパリで腕を磨いたが、おいらの眼鏡に適うのは佐伯雄三しかいない。東郷青児は人気だけで、中身が物足りない。


第2位 葛飾北斎

 やはり、北斎である。写楽も捨て難いが、浮世絵代表を一人選ぶとなると、北斎に軍配が上がる。


北斎


 それは何故か。日本の浮世絵の父であり、その後の浮世絵の手本になったからである。

 歌麿、豊国、春信、広重、芳年などもいるが、北斎の着想、構図、手法(肉筆)には敵わない。ゴッホなど西洋印象画派に影響を与えたのは北斎である。


第3位 岡本太郎

 既存の権威や既成概念に囚われず、常に独自の世界を創り上げることに挑戦し続けた男、それが岡本太郎である。岡本太郎の芸術を一言で表すと、「反骨」であろう。


明日の神話1


 彼に匹敵する世界の画家は、ピカソとダリである。

 さて、彼の反骨精神を支えたものは何であろうか。それは徹底したオリジナリティである。芸術はオリジナリティが勝負なのである。真似は芸術ではない(続く)。


世界に通用する日本の画家10人(中編)


第4位 横山大観

 日本画の巨匠として、横山大観を超える画家はいない。島根の安来市にある足立美術館に大観が多数展示されており、実物を目の前で観ると圧倒される。大観の作品は日本の宝である。


大観


 日本画家として、菱田春草、下村観山、前田青頓、池田遥邨、上村松篁、小野竹喬、奥村土牛、加山又造、平山郁夫(順不同)などがいるが、大観と比較しては可哀想である。


第5位 棟方志功

 ご存知、日本のゴッホである。志功の作品は、倉敷にある大原美術館の東洋館にも多数展示されている。


志功


 日本人は志功の版画が好きである。それは、「アイシテモ愛しきれない オドロイテモ驚ききれない ヨロコンデモ喜びきれない カナシンデモ悲しみきれない それが板画です」という志功の心が伝わってくるからである。

 ところで、おいらが学生時代にフジテレビで観た「おかしな夫婦」(昭和46~47年)は面白かったなぁ。宗木五郎(志功)役の渥美清と「ゴロチャン~」と云う十朱幸代のコンビは抜群だった。志功と云うと、未だに渥美清のイメージがダブるのはおいらだけだろうか。


 以上が日本を代表する画家5人である。では、10人選ぶとすると誰が入るだろう。


第6位 東洲斎写楽

 番外筆頭は、やはり写楽である。

 写楽の仕事は4期に分類され、第1期の大首絵(役者絵28枚)だけが写楽本人の描いた絵と思われる。写楽はときの版元である蔦屋重三郎がスターにした画師であり、第2期以降はゴーストライター(恐らく豊国など)によるものであろう。第1期の絵は一見、素人が描いたヘタウマのようでもあるが、見る者の心を打つ。


写楽


 写楽が消えたのは、版元から嫌われたか、何らかの理由で筆を折ったのだ。謎が多いところがまた写楽の魅力でもある(続く)。


世界に通用する日本の画家10人(後編)


第7位 横尾忠則

 世界に通用するイラストレーターである。横尾の凄味は、日本人の持つ秘められた内面性を外部に容赦なくさらけ出したという点に尽きる。


横尾ポスター


 それは、小さなころ見た見世物小屋のテントの隙間から漏れた白昼夢の世界であり、極彩色の浮世絵に出てくる秘め事であり、いかにも怪しげな土着の宗教性である。彼は、日本人の持つ原罪をあけすけに目の前に引きずり出したという稀有の天才である。

 横尾氏と同時代に生きていることに、おいら達は感謝しなければならない。

 イラストレーターとして、伊坂芳太郎、黒田清太郎、林静一、金子國義などもいるが、遠く及ばない。


第8位 黒田清輝

 小学校の教科書に載っていたので、外すわけにはいくまい。日本に印象派系の洋画を導入した先駆者である。そういう点で彼の功績は大きい。黒田の一枚といえば、勿論「湖畔」(1897年)である(モデルは後に夫人)。


湖畔


 こうしてみると、青木繁、岸田劉生、梅原龍三郎、安井曾太郎、小磯良平、古賀春江(順不同)など、黒田の血を継ぐ日本の洋画家も捨てたものではない。


9.奈良美智

 横尾と並んで現存する気鋭である。不思議な感覚に陥るポップアート系の画家である。「睨みつける女の子」をテーマにした一連のドロ-イングが彼の代表作。彼の画の良さは観ないと分からない。



奈良美智


 同じくポップアーティストである村上隆と並んで日本の現代美術を代表する画家である。画廊では彼の落書きが一枚数十万円する。日本よりも海外で評価が高い。


10.竹久夢二

 さて、最後は美人画の竹久夢二を挙げねばなるまい。日本人は藤田嗣治、東郷青児、棟方志功に並んで竹久夢二も好きなのだ。


竹久夢二


 夢二は彼独自の世界を創り上げたが、惜しむらくはその世界に甘んじた。そこが夢二の限界である。

 なお、 美人を得意とした画家といえば、伊藤深水、岩田専太郎、米倉斉加年、小島功などもいるが、ご愛敬か。


 こうしてみると、日本人の画家10人も捨てたものではない。では、「世界を代表する画家10人は誰であろうか」。そう考えると、また、絵の愉しみは尽きない(この項、終り)。



東京国立近代美術館は偉い

 嗣治の入場券を窓口で購入したら、東京国立近代美術館の常設展(同美術館の2階から4階)の入場券も付いてきたので、これも観る。

 流石に、天下の東京国立近代美術館である。伊達ではない、日本の誇る近代(主として大正以降)の名作が所狭しと展示してある。

 なかでも、安井曾太郎、佐伯祐三、古賀春江の3点が気に入った。


S.Yasui


 安井曾太郎の金蓉(Portrait of Chin-Jung,1934)は、なかなかのものである。特に、この油彩は油彩の一部が大きくひび割れし、修復されているのだが、その修復に至る経緯と修復の過程とが事細かに解説してあるところが良い。

 下の層に塗った絵の具が充分乾かないうちに、その上の層に違う種類の絵の具を塗ったため、渇きの速度が異なることによって、半端ではない大きなひび割れが発生したらしい。

 この美術館の偉いところは、その解説を行うとともに、実際に修復した油彩を目の前で観ることが出来るという点にある。知的好奇心を存分に満たしてくれる。美術館はこうでなくっちゃいけない。


Y.Saeki


 佐伯の油彩は、天才というのに相応しい。やはり、本物を目の前で観るべきである。どれだけ眺めていても飽きない。それだけに、この作品の完成度は高い(ガス灯と広告、1927)。


H.Koga


 古賀春江も素晴らしい。思わず、こういう小説を書きたいものだと考えた。絵は、小説が何百枚という原稿用紙を使ってまで表現したい世界を、たった一枚で見せることの出来る芸術だ。絵が芸術と名の付く所以である(海、1929)。

 お薦めする。一度だけで良い、東京国立近代美術館を訪問されたい。


横尾忠則は天才である

「冒険王・横尾忠則」展が都内の世田谷美術館で開催されている(来月15日まで)。


横尾展


 先週のウルビーノ展に引き続き、今週、横尾展にも行ってきた。

 圧巻は横尾の初期のイラスト原画と色指定紙、アイデアスケッチなどである。横尾の創作現場に立ち会うことが出来るのだ。

 これまでもこのブログで述べているが、横尾作品の特徴とは、日本人の持つ秘められた内面性を外部に容赦なくさらけ出したという点に尽きる。

 それは、小さなころ見た見世物小屋のテントの隙間から漏れた白昼夢の世界であり、極彩色の浮世絵に出てくる秘め事であり、いかにも怪しげな土着の宗教性であったりするのだ。彼は、日本人の持つ原罪をあけすけに目の前に引きずり出したという稀有の天才である。

 さて、今回の展示会での苦言を一つ。

 横尾グッズが高価すぎるのである。今回の展示ポスターが一枚5,000円である。Tシャツが一着7,000円である。図録以外は手が出ない値段である。

「安かろう、悪かろう」とさせたくないのは理解できる。稀少価値を出させたいというのも頷ける。しかし、勘違いをしてはいけない。皆、横尾グッズは欲しいのである。しかも、横尾グッズは時間が経てば高くなるのである。最初から高価にしなくても良いではないか。

 でも、何か、理由があるんだろうな~。


日光月光菩薩像は凄い

 まだ見ていない人は幸せである。今後の人生で、この両菩薩像を拝むことが出来るのだから。


日光月光菩薩


 と、まで云われてきた奈良薬師寺の日光・月光菩薩像(国宝)を先日見てきた。

 東京国立博物館で「平城遷都1300年記念 国宝薬師寺展」が開催されているからである(6月8日まで)。

 感想は凄いに尽きる。日本の仏像の最高傑作に違いない。これは見ないことには分からない。

1.思った以上にでかい。

2.デッサンが優れているので、違和感がない。

3.これを今から1300年前の技術で完璧な銅像に仕上げている力量には驚くばかりである。

4.もとより、心が洗われる思いである。よくもまあ、「癒やし」の仏像と云ったものよ。

 さて、この仏像、見ているだけで心が落ち着く。恐らく1300年前も、皇室や支配階級のみならず、臣民もこの仏像を拝観して同じ気分になったのであろう。病(やまい)は気からと云うが、気から病にはならず、いや、稀にはこの仏像のお蔭で病が治ることもあったに違いない。

 この展覧会には、両菩薩像のほかに、聖観音菩薩立像(国宝)や吉祥天像(国宝)など門外不出の名品が展示されている。薬師寺の外での公開はもちろん初めてである。

 時間のない方には、両菩薩像だけの一見をお勧めする。至福の時間が味わえることは間違いない。しかし、この菩薩を初めて見たときの驚き、という幸せを今後味わうことが出来なくなるが…。


岡本太郎の凄味

 既存の権威や既成概念に囚われず、常に独自の世界を創り上げることに挑戦し続けた男、それが岡本太郎である。


明日の神話3


 おいらが思うに、世界の「Taro OKAMOTO」に匹敵する画家は、ピカソとダリであろう。

 ピカソのゲルニカは観る者を圧倒させる(おいらは偶々フィラデルフア美術館で展示中に観た)。ダリの絵もチューリッヒ美術館で観た(ダリ展)。ダリの絵やオブジェには度肝を抜かれる。

 しかし、ピカソは良く観ると常識的なところがある。これに対し、ダリは危ない。三人の中で一番収まりが良いのは、岡本太郎である。

 さて、上の「明日の神話」にまつわる話しを一つ。

 おいらもそうだが、絵は硝子越しではなく、素通しで観たいものである。国内の美術館に展示されている絵は、ほとんどが硝子で保護されているが、海外では剥き出しのままが多い。

 岡本太郎も自らの作品をそうさせており、傷付けられたら「自分で修復する」とまで云っていた。実際、本人の絵画「コントルポアン」は傷付けられたが修復している。だから、「明日の神話」も故人の意思を尊重して、剥き出しのまま渋谷マークシティの連絡通路に展示されている。

 さて、岡本太郎の芸術を一言で表すと、「反骨」であろう。これは彼の生き方、いや、誰の人生にも通用する言葉である。

 暗い世相になりそうな2009年は、反骨の精神で行きたいものである。


祝アクセス数、106,000突破

 6月13日(土)、謎の不良中年のブログアクセス数が106,000を突破しました。

 106,000突破は偏に皆様のおかげのたまものです。深く感謝し、有難く厚く御礼申し上げます。


桃井かおりLP『おもしろ遊戯』


 お礼に、おいらの秘蔵コレクションから、「桃井かおりLP『おもしろ遊戯』CBSソニー」(82年)をお披露目します。


 前にもこのブログでお話ししましたが、勤務先が神保町というのはおいらにとって天国です。神保町にはレコード店まであるのです。

 レコードは文化です。

 しかし、その文化は死滅しました。そもそもレコード・プレーヤーが絶滅寸前です。おいらもかろうじて皿回し(レコード・プレーヤー)を持っていますが、扱うのが少々面倒です。

 だが、LPジャケットほど情緒のあるものはありません。立派なオブジェです。飾り方を考えれば、美術品にもなります。

 この桃井かおりのLPジャケットは横尾忠則による味のある画ですが(中身は試聴盤で希少品)、神保町のワゴンセールで一山いくらの中に埋もれていたものです。

 廉価で購入できたのは良いのですが、こうして古い文化は消えていくのです。


 次回は、107,000ヒットを目指して精進いたしますので、これからもよろしくご指導のほどお願い申し上げます。


 2009年6月15日(月)


 謎の不良中年 柚木 惇 記


夢の競演、東京都美術館

 日本国内の美術館には、多数の名品がコレクションされている。


夢の競演1


 損保ジャパン美術館のゴッホ「ひまわり」や倉敷の大原美術館に展示してあるゴーギャン「かぐわしき大地」などのように私的美術館が所蔵する名作の枚挙には暇がない。

 もとより国立美術館にも見返り美人図(東京国立博物館所蔵)などのように一生の内に一度は見ておきたい名作が多数ある。

 さらに、公立美術館にも多数の名品がある。何故か日本にはやたら公立美術館が多い。優に100は超えるのである。ただし、残念ながら公立美術館には目玉となる名品が少ない。箱物行政のなせる業か。

 ところが、各公立美術館の目玉品を一堂に会させると、話しは変わってくる。

 この「日本の美術館名品展」(東京都美術館開催)はそれを実現した夢の競演であった(7月5日まで)。


夢の競演2


 全国にある約100の公立美術館が、コレクションの中から選りすぐりを上野の東京都美術館に集めたのである。

 こりゃ、凄いわ。

 流石に一等賞を集めた展覧会だけのことはある。観るのに「力がいる」のである。絵を観るのは、ある意味で真剣勝負である。一枚、一枚、勝った負けたの勝負なのである。

 負けるという意味は、その絵に圧倒されるということである。普段は、一つの美術展で負けてしまう絵は数えるしかない。

 それが、今回の絵は夢の競演である。オールスターである。

 これでもかと自信作をぶつけてくるのである。フジタあり、大観あり、エゴン・シ-レあり、カンディンスキーありである。

 恥ずかしながら、カンディンスキーを今回初めて観た。こりゃ、凄いわ。天才だねぇ。エゴン・シ-レも魅せられるねぇ。

 美術館を出た後は、疲労困憊であった。

 それほど凄かった。こういう美術展は、もう止めてほしいゎ。


祝アクセス数、116,000突破

 昨日、謎の不良中年のブログアクセス数が116,000を突破しました。栄えある116,000達成者は、「*.cyberhome.ne.jp」さんでした。ありがとうございます。

 116,000突破は偏に皆様のおかげのたまものです。深く感謝し、有難く厚く御礼申し上げます。


ジョニー1


ジョニー2


 お礼に、おいらの秘蔵コレクションから、LP「ジョニー大倉『チャイナタウンから来た男』」(82年、徳間音工)をお披露目します。

 ジャケットは、おいらの大好きな横尾忠則が描いています。


 さて、ツウはジョニーを好むのです。

 個性派の俳優として、ジョニーは数多くの映画にも出演しています。「遠雷」(81年、ATG、根岸吉太郎監督)では、日本アカデミー賞優秀助演男優賞に輝いています。

 奇行も報道されることがありましたが、ジョニーの場合は「それがどうした」なんだよねぇ~。


 次回は、117,000ヒットを目指して精進いたしますので、これからもよろしくご指導のほどお願い申し上げます。


 2009年8月24日(月)


 謎の不良中年 柚木 惇 記


本日と明日はお休み

 本日と明日は休日につき、お休みです。


メザシ


 写真は、おいらの伯母の描いた絵手紙(ハガキに水彩)です。

 これは唸るほど上手い。本当のメザシ(広島ではウルメと云わない)のように見えます。説明書きも味があって良い。伯母、6年前の作品です(今年、84歳)。


 月曜日より再開いたしますので、皆様よろしゅうに。


平成21年12月19日(土)


 謎の不良中年 柚木 惇 記す


祝アクセス数、149,000突破 アクセス数150,000前夜祭

 3月18日(木)、謎の不良中年のブログアクセス数が記念すべき149,000を突破しました。栄えある149,000達成者は、「202.131.*.*」さんでした。ありがとうございます。

 149,000突破は偏に皆様のおかげのたまものです。深く感謝し、有難く厚く御礼申し上げます。

 アクセス数150,000はいよいよ目前です。その前夜祭として、おいらの秘蔵コレクションから、「『切り絵』(作者不詳、作成年不明)」をお披露目します。


謎の切り絵1


 広島本通商店街の骨董屋「桃源」で入手したものです。店舗、右手奥に平積みにしてあり、人目を引く出来栄えの色紙でした。

 手にとってみると、これが切り絵。曲線や細部に至る微妙な部分も実に巧く創り上げています。構図も配色も見事です。瞑想しているインド?の僧侶がまた良いですなぁ。

 驚いたのは、裏面にも切り絵が貼ってあったことです(写真下)。


謎の切り絵2


 この謎の切り絵をわずか500円でゲット。現在、おいらの書斎でおいらの目を楽しませてくれています。この切り絵、傍にあるだけで、心が落ち着きます。

 しかし、これは一体誰の絵なのでしょう。店主のお母さんに伺ったところ、大阪の市場で入手したことしか分からないそうです。 誰かがこの切り絵を創ったには違いないんですがねぇ。興味津津でありまんもす。


 次回は、記念すべき150,000ヒットを目指して精進いたします。おいらの予想では3月23日(火)ごろに達成するものと思われます。栄えあるアクセス数15万達成記念では、あっと驚く、おいらの秘蔵品をご紹介しませう。

 それでは、これからもよろしくご指導のほどお願い申し上げます。


 2010年3月19日(金)


 謎の不良中年 柚木 惇 記


 本日と明日はお休み

 本日と明日は休日につき、お休みです。


マリリン

 写真は、36年前の美術雑誌「芸術生活」(74年12月号)。

 ポップアートの巨匠、アンディ・ウォーホル特集号です。

 ウォーホルは40歳のとき(68年)に、「全男性抹殺団(Society for Cutting Up Men)」のメンバーだったバレリー・ソラナス(女性)に拳銃で狙撃されます。

 ソラナスはウォーホルに自作の映画脚本を渡したり、ウォーホルの映画に出演したことがあったといいます。

 ソラナスはウォーホル目がけて弾丸を三発発射し、最初の二発は外れましたが、三発目が彼の左肺、脾臓、胃、肝臓を貫通しました。ウォーホルは重体となりましたが、一命をとりとめるのです。

 う~ん、ウォーホルは私生活でも波乱万丈だったのじゃのぅ~。


 それでは、皆様よろしゅうに。


平成22年12月4日(土)


 謎の不良中年 柚木惇 記す


祝アクセス数、340,000突破

 7月3日(火)、謎の不良中年のブログアクセス数が記念すべき340,000を突破しました。

 340,000突破は偏に皆様のおかげのたまものです。深く感謝し、有難く厚く御礼申し上げます。


種村国夫.jpg


 お礼に、おいらの秘蔵コレクションから、知る人ぞ知る種村国夫氏の「イラスト色紙(氏の代表的なイラスト)」をお披露目します。

 週刊文春でエロティックなイラストを描くイラストレーターとして有名ですなぁ。

 しかし、氏は、「平凡パンチ」創刊時からイラストを描いておられ、同時に世界一周の客船に乗って港の風景を描く「港シリーズ」などを代表作とされる多才な画家です。

 43年(昭和18年)生まれですから、今年69歳のはずです。古希を前にしてこの、ぞくぞくする絵。いやぁ、まだ若いわぁ。人間、こうでなくっちゃ。


 次回は、350,000ヒットを目指して精進いたしますので、これからもよろしくご指導のほどお願い申し上げます。


 2012年7月5日(木)


 謎の不良中年 柚木 惇 記



伯母の絵画展に出向く

 今年も夏の暑い時期に六本木の国立新美術館に出向いた。


伯母絵画展1.jpg


 毎年8月に、広島在住である伯母の描いた俳画(水墨画)の展示される絵画展が国立新美術館で開催されるからである。

 絵画展の名称は、「日美展(第18回総合水墨画展)」である。


伯母絵画展3.jpg


 伯母は、還暦を過ぎて水墨画を始めたと記憶している。母の姉である。おいらの母は今年85歳。姉は母の3歳年上だから、今年88歳である。

 実は、おいらの母は油彩を描いていた。その母は還暦を過ぎて油絵に目覚め、60の手習いで油彩を始めたという経緯がある。我田引水だが、母の油彩は60から始めた割には上手い。グランマモーゼズには遠く及ばないが、絵のセンスだけはある。

 絵は才能である。母には絵の才能の片鱗が見受けられたのか、母に油彩を教えた先生は力が入ったようだ。

 母方の血筋には絵心が備わっているのだろう。伯母も絵心があるし、何より小学校校長をしていた祖父の絵は上手く、若いころから短冊に短歌と絵を描いていた。祖母も器用に絵を描いていたという記憶がある。

 その母の姉である。絵が下手なはずがない。

 おいらの母は現在寝たきりなのでもう絵を描くことはできないが、伯母はバリバリの現役である。水墨画を始めてから毎年この日美展に入賞し続けている。特に一昨年の作品は、同展で優秀賞の栄誉に輝いたほどの実力である。


伯母絵画展2.jpg


 写真上は、その作品。画面左上に泳ぐ金魚は絶品である。

 さて、その伯母には今後も毎年水墨画を出品し続けて欲しい。

 水墨画が生き甲斐になっているとまでは云わないが、この展覧会に作品を出すのが愉しみであると思う。

 それは、おいらにとっても同じである。毎年夏には六本木で伯母の絵に会える、という愉しみがあるからである。

 そういう不思議な力が、絵にはある。

 描く人も、観る人も、絵から力を貰うのである。89才の伯母さんの描く来年の絵が、今から愉しみなのである。


西洋と東洋の融合(前篇)

 ルーブル美術館の至宝といわれる作品の一つにフランスの巨匠ドミニク・アングルが描いた「トルコ風呂」(1863年)がある。


トルコ風呂.jpg


 珍しく円形のキャンパスに描かれたトルコ風呂風景である。日本にも10年前にやってきたので(2005年横浜美術館「ルーブル美術館展」)、ご覧になった方もいるに違いない。

 では、この一見卑猥そうな絵がなぜ西洋と東洋の融合なのか。

 そのカギを解くには、アングルの絵から調べてみなければ分からない。アングルと聞いて「泉」(写真下)や「グランド・オダリスク」の作者だと答える人は絵画通である。


泉.jpg


 余談だが、おいらも中学生時代の美術の教科書で「泉」を観てエロい絵だなぁと鼻血を出した記憶がある。早い話しが子供には刺激が強すぎる絵なのである。

 さて、女性の裸が芸術美として認められたのは中世以降である。それまで裸が芸術美として認められていたのは、もっぱら男性の裸のみであった。レオナルド・ダビンチやラファエロを始めとして、筋肉美を扱った絵や彫刻は皆、男性であったのだ(三島由紀夫などは喜んでいたのだろうなぁ)。

 実際、それまで女性の裸は神話か宗教画の中でしか描かれなかったのである。

 ところが中世アカデミズムの巨匠であったアングルは1808年に「浴女」を、1818年に「グランド・オダリスク」を、1856年に「泉」を、1863年に集大成と思われる「トルコ風呂」を描く。

 見方によってはエロ画のオンパレードである。それもそのはず、今でこそこれらの絵は凡庸なヌードにしか観えないが、当時としては衝撃として受け取られていたのである。

 だが、その絵も精密なデッサンを基にし、端正な形式美を追求しており、そのいずれもが紛れもなく傑作である(この項続く)。



加山又造展に行く

 日本橋高島屋で開催中の「加山又造展」に出向いた。


加山又造1.jpg


 持つべきものは友である。気の置けない先輩からこの展覧会の招待券をいただいたので、早速、日本橋に足を運んだ。

 加山又造、知る人ぞ知る、日本画界の巨匠。


加山又造2.jpg


 加山又造の乾いた美は完成され尽くした美だと思っていたが、やはり、若いときからの作品を通じて拝見するとオリジナリティは一夜にしては出来上がらなかった、という変遷がよく分かった。加山又造も人間なのだ。

 一夜にして加山又造になったのではない。具体的には、若いときにルソーの影響を強く受けていたのである。おいらは腰が抜けるのではないかと思うほどそのことに驚いたのである。

 結局、加山又造のあの乾いた美の原型が出来上がるのが40代である。

 生まれたのが京都西陣の和装図案家。小さいころから日本画の素養に恵まれていたと思っていたが、それは一部にしかすぎない。

 巨匠でさえ、自分のオリジナリティを探すために洋画を習得したり、常に新しい技法を取り入れようと苦労していたのである。

 そうして、裸婦でさえも加山又造の絵にしてしまうのである。


加山又造3.jpg


 もう一つ。

 某雑誌に数年間に渡って掲載された鳥の絵が展示されていたのだが、これが意外にヘタウマである。乾いた美に昇華されていないのである。

 しかし、これらの作品群は加山又造が愉しみながら描いた絵なのだと分かるのである。心を開放して、好きな鳥の絵を描く。そういう気分が観るものの眼に映るのである。

 恐らく加山又造は絵を2種類に分けて考えていたのではあるまいか。仕事の絵と余暇の絵とである。そう思うと、趣のある加山の人生である。

 なお、日本橋展終了の後は、新潟県立美術館や各地の高島屋など全国を巡回する予定である。観て得をしたと思う美術展に仕上がっている。



「江戸の琳派芸術展」はすごいだにゃぁ

 遅ればせながら江戸琳派展に行ってきた。11月5日(日)までの開催である(於・日比谷「出光美術館」)。


琳派展.jpg


 親しいお方から招待券をいただいたので、こういうのは素直に嬉しい。

 さて、おいらの琳派のイメージはやはり京都の華やかな琳派芸術である。だから、本音は今更、琳派と云われてもねぇ、であった。

 ところが、この企画展を観て感嘆。

 19世紀に入り江戸の酒井抱一(ほういつ)が17世紀の京都琳派を発掘し、新たに「江戸琳派」として蘇生させたのである。

 しかも、抱一の門下からは魅力的な弟子が輩出し、その中には光琳や抱一を凌駕するとも云える鈴木其一(きいつ)までが現われるのである。

 今回の美術展ではその抱一と其一とに焦点を当て、京都琳派がいかにして江戸琳派として生き返ったか、がよく分かる内容となっている。

 おいらは若い頃ミュンヘン博物館を訪問したときのことを思い出していた。

 そこでは、どうして自動車が生まれたかが、自転車の誕生から順を追って誰でも分かるように展示されていたのである。ドイツ人はこういうのを子供のときから観ているので理科系が苦手になる分けがないのである。

 さすがドイツの国民性だと唸ったものだにゃぁ~。

 今回の出光美術館もそれと同じで、京都琳派と江戸琳派の対比、抱一琳派と其一琳派を巧い具合に比較させているので、江戸琳派の誕生が手に取るように分かるのである。

 抱一も其一もその構図、色彩ともオリジナルの京都琳派を凌駕し、それぞれが本家の琳派を江戸琳派として自分のものにしているのだと膝を叩くのである。

 いやぁ、この企画展は成功、成功、大成功。

 それにしても毎回思うのだが、出光美術館は良い作品を沢山持ってるなぁ。すごいよ、脱帽。


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