今日の一言
私とは私の世界のことである。
ヴィトゲンシュタイン『論理哲学論考』
■私たちを作ったもの。
そんなことを勝手に考察。
■人が精神作用を理解するためのモデルは、
その時代の技術を反映しています。
■例えば、17世紀には、人びとは心をあたかもそれが鏡かレンズででもあるように捉えており、
これは、当時の光学とレンズ造りの分野の発達を反映しています。
19世紀末から20世紀の初期には、心を脳全体に回路と継電器を配置した巨大な電話の交換組織と見なす人びともいました。
■ここ最近では、新しい精神モデルが用いられています。
そう、『コンピュータ』です。
このモデルは、私たちの思考を説明するのに、大変役に立っていると思います。
大変優秀な『コンピューターウイルス』をつくったとします。
■ある時をさかいに、『コンピューターウイルス』は考えはじめます。
「私たちは、なぜここにいるんだろうか?」
「私たちの生きる目的ってなんだろうか?」
■そこで、彼らを作ったプログラマーに聞いてみます。
「私たちはどうして、なんのために生きているんですか?」
■彼らをつくった、プログラマーは考えます。
「こいつらの行動はすべて、俺の手の内にあるし、
こいつたちが自由意志だと思っていることも俺が組み込んだ
プログラミングにすぎない。
このパソコンを破壊すれば、こいつたちの活動も終わるわけだから
俺はこいつらにとって『神』的な存在なわけだ。」
「だからってこいつらの存在理由ってなんだろう?」
「俺の暇つぶし?興味があったから?う〜ん、、、。」
そして、ある回答をします。
■「そんなこた知らんよ、俺を作った『神』にでも聞いてくれ。」
そう、これが延々続くわけです。
■作ったものを、作ったものがいるわけで、そのまた上にも・・・。
結局、「生きる意味」ってやつは自分で見いだす意外に方法が無いんだと思います。
関係性という意味では「生きる意味、意義」というものは存在しますが、
本来の意味で「生まれた理由」というのは自分で決めるしかないんですかね。