Pont du Gard (Provence)本日は南仏プロヴァンス(Provence)アヴィニョン郊外です。 アヴィニョンについては、サン・ベネゼ橋(Le Pont St.Benezet)が有名で、歴史地区は世界遺産に登録されていますが、今日は郊外に目を向けます。 上の絵は、ガルドン川に架かるポン・デュ・ガール(Pont du Gard)です。 下の絵は、アビニヨンとはローヌ川を挟んで反対側にあるサンタンドレ要塞(Fort St-Andre)です。 プロヴァンス(Provence)はマルセイユ(Marseille)、アヴィニョン(Avignon)、アルル(Arles)、エックス・アン・プロヴァンス(Aix-en-Provence)などの町を含みます。この地域の歴史はギリシア時代に遡ります。とくにローマ時代には大いに繁栄しました。 アルルやニームには円形劇場やポン・デュ・ガールなど数々のローマの遺跡が残ります。 プロヴァンスという名前は、植民都市を意味する「プロヴィンキア」から来ています。 9世紀に、プロヴァンス王国が創設されました。 その後変遷を重ね、ブルゴーニュ公国や神聖ローマ帝国の領土となり、 15世紀後半にフランスに併合されました。 こうした歴史のなかで独自の「プロヴァンス文化」が生まれました。地域の言葉は、プロヴァンス訛りのフランス語となっています。 印象派の画家たち(ゴッホやゴーギャン、セザンヌら)はアルル(Arles)やエクス・アン・プロヴァンス(Aix-en-Provence)などプロヴァンス(Provence)に惹き付けられ、名作の数々を描きました。 さて、ボン・デュ・ガール(ガール橋)(Pont du Gard)ですが、この橋は、紀元前19年 アウグストゥス帝の時代にローマ人により建造されました。橋の西北部にある山地から、かつては小ローマといわれたニーム(現在はガール県の県庁所在地)へ水を供給するためのものです。 この水道橋を含む石造の導水路は、全長50km。平均の傾斜角は1キロメートルあたり34センチメートル、一日の給水量は約2万立方メートルでありました。 橋の高さは、約49m。3段にアーチを重ね、一番上の第3層に水道が流れます。 橋を研究したデータによりますと、 ・第1層は長さ約155m、高さ約20m。スパン(アーチの幅)は一番狭いところで15.75m、川を跨ぐ一番広いところで21.5mの6つのアーチになっており、路面は水平ではなく、中央を少し高くしています。 ・第2層は幅7mの人道橋を造っています。 1743年に拡張され車行が可能な道路橋として使われています。ほとんど第1層の繰返しで長さ約265m、高さ21m、幅5mでアーチの数は11あります。 ・第3層は約300mの長さのがあり、約8.5mの高さ、約3mの幅となっています。35の小さな連続アーチの上に水路が造られている。 水路自体は幅約1.2m、高さは大人の身長に足りないくらいで、内部はセメントで塗られ、石蓋がかぶせられています。 水路は水源からニームまでわずか17mの落差があるだけで、水路の勾配は1kmにつき34cmあまりあるにすぎないという、大変精巧な造りになっています。 世界文化遺産登録・・1985年(ポン・ヂュ・ガール(ローマの水道橋))。 次に、サンタンドレ要塞(Fort St-Andre) ですが、この要塞は、アビニヨンとはローヌ川を挟んで反対側にあるビルヌーブ・レ・サビニヨン村にあります。ギリシャ時代の遺跡です。内部は博物館になっています。 地下や海底から見つかった遺跡を展示しています。 この要塞から、逆にアヴィニョン方向を眺めても同じような景色で、町を城塞が取り囲んでおり、このような草原のなかで、歴史のスポットに迷い込んだ感があります。 アヴィニョンには、12世紀に建てられ、17世紀に洪水で半分が流されたサン・ベネゼ橋(Le Pont St.Benezet、アヴィニヨン橋) が有名ですがそのほかにも次のような名所があり、暦地区は、世界文化遺産に登録されています。 ・教皇宮殿(Le Palais des Papes)--14世紀、ローマから移った法王のために建てられた宮殿兼城塞です。 10基の塔を巡らした堅牢な造りとなっています。外壁の内側は1万5000平方メートル。 ・プチ・パレ美術館(Musee du petit Palais)--14~15世紀に大司教の館だった美術館です。中世やルネサンス期の絵画、彫刻が展示されてます。ボッティチェリの「聖母子」が有名です。 ・ドン岩壁公園(Rocher des Doms)--法王庁に隣接した丘の上の公園です。かつては自然の要塞の役割を果たしていた岩盤の上にあります。 テラスからはローヌ川、サン・ベネゼ橋、対岸のサンタンドレ要塞、旧市街、アルピーユ山脈などが一望できます。 ・時計台広場(Palace de l'Horloge)--仕掛けの人形が定時を告げます。周囲にはカフェやレストランが軒を連ねます。 明日は、イギリス。!! 追伸: プロヴァンスを知るいい本があります。 ピータメイル著「A Year in Provence」 (日本語では)「南仏プロバンスの12か月」 :河出書房新社:池央耿 訳 ピータメイル==ロンドンとNYを行き来していた広告マン。15年働いた後、妻と犬をつれてプロヴァンスに移り住む、小説活動。続編に「Toujours Provence」などがあります。 ローマ水道・・補足 古代ローマ人がローマ市およびその領土の各所に築いた給水用水道です。 現存するのは、 ・ローマ市近郊や、 ・スペイン・セゴビアのローマ水道(Acueductro Romano) ・フランス・アヴィニョン近郊のポン・デュ・ガール(Pont du Gard)などです。 ローマ市近郊 前312年に当時の有名な政治家クライディウス(Appius Claudius Caecus)が築きましたアッピア水道を先駆として、紀元226年完成のアレクサンドリア水道までの11本。 一番長い水道はマルキア水道で、アゴスタ近傍アニオ川北方の泉からローマ市カラカラ、ミナリス、クィリナリスへ91.3kmです。 11箇所の水道は、ローマ周辺の泉や湖から人工の水路で水を取り入れ、沈殿池で不純物を取り去り、さらにローマ市のまわりの丘上の貯水槽に導き、ここから3本の主給水管で排水層に至り、陶管、鉛管、青銅管で公衆浴場、住宅、噴水、公共建築などに給水しました。全量は150万の都市の給水が可能だったと言われています。 ポン・デュ・ガール(Pont du Gard) 橋の西北部にある山地から、かつては小ローマといわれたニーム(現在はガール県の県庁所在地)へ水を供給するためのものです。 スペイン・セゴビアのローマ水道(Acueductro Romano)の水源は、フェンフリア山脈から発するアセベタ川の水で、セゴビアまで引いたものです。 ”ローマ時代に築かれた水道”というのがすべてのキーワードです。 ジャンル別一覧
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