二軒小屋→下部温泉2005.3.29本日は、日本横断マラソンのドキュメンタリー(約300km)の6日目です。 本日のコースは下記6.二軒小屋ー伝付峠(2000m)ー新倉-下部温泉です。 絵は伝付峠(2000m:でんつけとうげ)より幾多の山稜を越えて見える富士山の眺望です。雲がたなびくあたり、下部温泉が本日の目的地です。 富士山直前の山々が、富士山外輪山で、雨ケ岳(1771.7m)(左側の山)、毛無山(1945.5m)(右側の山で直線3kmの間隔があります。 手前の山は富士川より西側の山々で、一番左の山が御殿山(1669.3m)、富士見山(1639.5m)右側の山でこれも直線3kmしか離れていませんので、ほとんど平らに見える山です。 手前の谷筋は、新倉まで内河内川筋で、秘境地帯になります。 1.JR中央線・南木曽-妻籠-上清内路-昼神温泉-飯田駅 (約50km) 2.飯田駅-松川ー鹿塩-塩湯温泉(約40km) 3.塩湯温泉ー三伏峠(2607m)(20km、標高差2000m) 4.三伏峠ー荒川小屋(10km、標高差3000m) 5.荒川小屋ー荒川岳(3141m)ー二軒小屋(10km、標高差3000m) 6.二軒小屋ー伝付峠(2000m)ー新倉-下部温泉(25km) 7.下部温泉ー富士五湖ー富士吉田市(40km) 8.富士吉田市ー相模原市(60km) 本日のコース(Yahoo-mapを編集しました) 詳細 今日も500mの登りで、一気に転付峠(伝付峠)(でんつけ)(2000m)へ。ここはかって、ボッカ(荷運び)が100kgの食料を田代口から二軒小屋まで運び込んだ道で、昔はもっとしっかりしていたといいます。(下記、事典:伊那街道参照ください。)貴重な写真が東海フォレストの社長が撮っており、ロッジの壁にずらりと貼られていました。 鉄砲という材木を下流に運ぶ仕掛けの写真がありました。木組で人口のダムを作り、そのダムに材木を浮かべてから、ダムを決壊させて、一気に下流に木材を流す仕掛けです。この古道を行きます。道は荒れていました。ようやく転付峠(伝付峠)(でんつけ)(2000m)へ到着。 絵は伝付峠より西側を見た図ですです。 中央の山が赤石岳、そのすぐ右側が荒川岳(悪沢岳 又の名を荒川三山-東岳)、千枚岳で、昨日は手前の山稜を下りに下って二軒小屋に到達しました。一番下に黒く三日月に見えるのが、大井川-東俣で、盲腸のように迂回している部分です。小さな山があり、向こう側にダムが設けられています。崩落地帯と、ダムがあるため、登山道は大きくこれらを回る込む道となっていました。 絵は山梨県側の内河内川(うちかわちがわ)の渓谷です。 ・・岩壁が続く谷間に道は、木道、桟道が敷かれ柵やロープが付けれていますが、東京電力管理小屋に行くための作業道路というのが現在の主目的のようです。 伝付峠から、すぐ車が入れる林道かナと、たかをくくったがこれが大きな誤算でした。激流の中を渡渉すること数百回。これまでか。とおもう渓流下りとなりました。くずれかけた桟(かけはし)、落石で埋まった谷、滝をまたぎ、洞窟を潜り抜け、5時間もかかってようやく発電所に。 田代発電所の伝付峠方向の登山口に1枚の看板。「崩落箇所あり登山禁止!」と。ここから6kmの林道。山また山。ところがここが、糸魚川→静岡線の中央構造帯の東側に辺縁だったらしく、富士川の支流 早川右岸(西側)の千枚岩と、早川左岸(東側)の凝灰岩(ぎょうかい)のぶつかり合う、大断層地帯であったわけです。(下記、事典:断層 を参照ください。)。 崩落地かと思っていたところは記念碑が立っており、逆断層が露出しているという。「見る人が見れば違うものだな」と感心。昼下がりの、新倉(あらくら)に到着。アルプスの北方向から来たバス、避けようとして手を上げたら止まってしまった。ドアがさっと開き、そこに居た大勢のアルピニストと目が合う。30kmくらい先の身延駅に向かっているわけだが、乗るわけにいかず、パス。次の手段は郵便局。JAで尋ねた時に教えてくれた「ユーパックできますか?」のセリフ。・・「ハイ!!!」。局員が3人も飛んできた。荷づくりをする人、住所を貼り付ける人、親切な対応にびっくり。ここで、登山靴や山の道具、リュックを宅配に。軽装になって飛ぶような気持ちで一路下部(しもべ)温泉へ。これがまた遠い! 事典:伝付峠、伊那街道、断層、 伝付峠 早川から大井川上流へ至る道はかつていくつものルートがありましたが、現在では伝付峠を越えるルートが唯一となっています。この道も大井川上流の東俣林道ができ二軒小屋までリムジンバスが通るようになって、登山者の姿は減っています。しかしながら、明治期に「伊奈街道」として整備されたこともあり、その多くが歩きやすく落ち着いた立派な歩道となっている。峠の祠や崖沿いの手をかけた道など歴史を感じることもできるので、静かな散策を好む人には魅力的なルートといえる。ここでは内河内川入口の新倉で日本を東西に分ける大断層、糸魚川-静岡構造線を観察し、強く変形したスレート(粘板岩)や結晶片岩と内河内川の渓谷美を楽しみながら峠まで散策するコースがお勧め(注:2000年9月、2003年6-9月の増水、崩落で通行は困難となっています。) 伊奈街道 「伊奈街道」は、西側の伊那谷(天竜川が流れる谷筋を伊那谷といいます。その西側に中央アルプスを擁します。大鹿から小渋川を経て伊那・松川に出る道が古来の道にあたります。)と富士川谷(切石)とをつなぐために明治5~6年に計画され、明治19年頃に完成した道幅2間(3m60cm)の広域道路です。伊那谷に駿河の海産物を運ぶことが主な目的とされました。 そのルートは、新倉から伝付峠を越えて大井川上流西俣(荒川岳の北側、蝙蝠岳も南側の大井川西俣渓谷-いまは道がありません。)を遡り、三伏峠を越えて大鹿村大河原へとつないでいます。長野県と山梨県の折半で費用が出され、関係する村からの人足によって工事がなされたといいます。伊那谷から身延山参りにいくらか利用されたらしいが、南アルプスの中央部を横断していて、保守管理がたいへんなため、数年で通れなくなってしまいました。 この「伊奈街道」の痕跡が一番よく残っているのが新倉広河原から伝付峠を経て二軒小屋へ至るルートです。村人の手で掘られた崖沿いの道などが残っていますが、二軒小屋までは、ダム建設などのなめに最近まで、ボッカが行ききしました。 断層 新倉の糸静線の露頭 ・・糸魚川-静岡構造線(糸静線)は日本列島を南北に横断する大断層で、糸魚川から松本、諏訪を通り静岡へとつながっている。西側には日本列島の基盤をなす岩石が分布し、東側にはフォッサマグナの新期の堆積物が広がっている。この付近では早川沿いを南北に走っていて、赤石山地と巨摩山地の境界をなしています。 この糸静線が、内河内川の入口のところにある大きな崖(国天然記念物指定)で観察できます。ここでは高さ30mにわたって断層面が露出しており、西側の瀬戸川層群のスレート(粘板岩)が東側の火山砕屑岩の上へのし上がっています。 山が隆起するはるか前(新第三紀中新世)、伊豆諸島が本州中央部に衝突して強く押したために、赤石山地が逆くの字に折れ曲がるとともに左横ずれ断層群によって大地が切り裂かれました。その代表的な断層が糸静線です。 明日は、下部温泉(山梨県)から富士樹海を通過し、富士吉田市(40km)へ。 |