カテゴリ:南アルプス
南アルプス・スケッチ紀行(回想録その11・・8/15(月ーその1)_story(2457) 2011.8.29
8泊9日の南アルプスの南部の3000m峰を渡り歩いてきた。旅での徒然を記します。先頭に絵をまとめて置きます。写真は本文(■で始まる文章)中に配置。 茶臼小屋から富士山 Picture1 (4時50分) 茶臼小屋は富士山の真西にあたる。 山の端に富士山が見えるはずである。 夕刻に確認。朝方テントから抜け出ると目の前に富士山が赤く燃えていた。 逆光であるが光が富士を包んでいるのでろう。 茶臼岳から上河内岳(2803.0)、聖岳(3013)を望む Picture2 (6時17分) 小屋を6時に出て早や茶臼岳の頂上である。 健脚青年の速歩ぶりには舌をまく。 中央200名山の上河内岳(2803.0m) 左、聖岳(3013m) 頂上部左から前聖岳(3013m)、奥聖岳(2978.3m)、東聖岳(2800m) 展望台から光石を望む Picture3 光石まで下り10分という位置。(9時19分) 向こうの山(崩落している山)が加加森山(:かかもりやま 2418.9m) 展望台にはテン場で会った女性が到着していた。 朝早くテントを置いたまま出立したようである。 彼女もピストンで身軽であった。 光岳頂上近くのセンジヶ原 Picture4 (10時33分) 光岳小屋でカップラーメンとお汁粉を頂く。 霧が湧いてきた。 折り返しのスタートである。近くのセンジヶ原をスケッチ。 この時間以降すれ違う人達は、光岳小屋泊まりの人たちに違いない。 ■ 8/14(日) 昨夜2つの出会いがあった。 その一つ。我々3人はテントも張り終え、夕食までの時間にたっぷり2時間の余裕があった。雨模様ということもあって小屋の一部であったサロン風の「炊事室」に陣取っていた時だ。 一人の女性が入ってきた。これから自炊するがよいかと。 正統派である。我われこそ出て行かなければならないが、3人が隅にかたまり、山の話を続けていた。 女性はガスストーブを用意したり、カレーのルーを温めはじめた。 我われは見るでもないが、ちらちらと女性の一挙手一動を注視していた。 大学山岳部出身の男性がついに口を開いた。「あのー一般的には、アルファ米の方を先に作ります。お湯を入れて20分かかるため、先にアルファ米を段取りして、その後他の料理を作った方が、すべてが温かいうちに食べられるという裁断です。」 などとだんだんちょっかいを出していく。 女性は見るところ「山ガール」で20代後半から30代前半。今回が2度目のテントという。光岳、聖岳ピストンを考えて、茶臼に2日テントを張りっぱなしにしておくとのこと。 小生も生のアルファ米なるものをもらって齧りながら次第に話しかけていく。 その2.午後5時の食事間に小屋に入ると全員すでに食事中であった。すこし早くスタートしたようである。 我われ3人は、一人の女性客と相席となった。山の話に皆はすぐ打ち解けあった。 これが後で「神なる存在」となる神々しい方となった。 女性は、神戸(新幹線新神戸駅の北にお住まいである)から車で易老渡までやってきていた。明日は光岳に登るという。阪神淡路大震災では実家が倒壊したという。両親はその後も元気であったが最近母が亡くなった、父は90歳を過ぎてまだ元気であるという。 比較的被災の少なかった地区であったので、相即おにぎりを下の地区に持っていったりと活躍された。近々宮城に行ってボランティアをするという。お返しの意味もあるが、震災に逢われてなおかつボランティアをしたいと言われる。感涙である。 茶臼小屋から朝日を望む Photo1・・2011.8.15 5:08 ■さて、テントなどを片づけたりゆっくりしていた。朝のスタートを6時と決めて身辺を整理。turbo717は光岳ピストンをするので、リュックを小屋で預かってもらう。 山岳部の方は、ここから山を降りる。健脚青年は光岳から寸又峡へと40kmを歩く予定とのこと。どこまで超人なのか? 途中の箇所でガケ崩れが判っているため心配顔。 コルまで一気に駆け上がり、茶臼登頂。この間17分。飛ぶように速い。ここでスケッチタイムをもらうため先に行ってもらう。本音はすでに息が切れていたので休息の意味の方が大きい。 Picture2. 先を追いかける。稜線のお花畑や開けた空間の丘に向かって斜めに上がっていく箇所で、人の声が聞こえる。昨晩夕食で一緒になった女性が降りてきた他の人と話をしていたのだ。 喜望峰で強健青年に追いつく。仁田岳(:にっただけ 2523.8m)への分岐である。身軽な小生は光岳往復を控えているので先を急がせてもらう。 光岳へのゴーロ Photo2・・2011.8.15 8:38 2200mから2500mにかけて300mがこんな調子 ■ 岩がゴロゴロしている場所だから”ゴーロ”と呼ぶのであろうか。 要する増水時は滝となるような谷筋を一気に登る。登り切った平地はセンジヶ原という湿原の始まり。亀甲状土が見られる場所でもある。イザルヶ岳分岐に水場があった。 光岳小屋 Photo3・・2011.8.15 9:03 ■この小屋の入口に、寸又峡へ降りる登山者は小屋に相談とあった。 光岳頂上 Photo4・・2011.8.15 9:15 夢であった光岳にやっと到着。 しかし視界が効かない。 展望台移動。(Picture3) ■光岳頂上は視界がきかない、その替り近くの展望台へ行けと案内があった。人の声がした。テントの山ガールがすでに到着をしていた。相当早く出てきたようである。 光石をスケッチ(Picture3)などをして光岳小屋に到着すると、健脚青年がやってきた。2人で小屋の管理人に、寸又峡への情報を聞きにいく。 100mくらい崩落しており、通過に30分かかるという。そこを避けるためには稜線歩きをしなければならない。道なき道であり、ルートハンティングの経験が無ければ無理だという。 2万5000分の一の地図。コンパス。高度計の3点が必須であるという。名古屋に帰りたければ茶臼に引き返すか、易老岳から易老渡に下りて林道を19km歩き、下栗の国道152号線に出れば飯田行のバス(1日2便)が拾えるか、あるいはトンネルの脇にある仮眠所で明日のバス便を待てと。 この後、この青年に神風が吹いた模様。易老渡に早々と降りた青年は、例の神々しい神戸の御婦人から伝言を持って易老渡を降りた男性に拾われ、温泉経由で名古屋まで送り届けてもらったということである。 小生もセンジヶ原で光岳に向かう婦人に会っているので、よもやと思ったが、案の定青年も後でこの御婦人にあい、易老渡で落合いましょうネと言われたということであるが、ご婦人よりも足の速い男性の方に救援の手を託されたのである。 山での連携が成功し、健脚青年の「南アルプス完全縦走」の旅は成功裏、Happyに幕を閉じたようである。(この青年は8月21日の週に、女性2、3人を連れて富士山登山をしている筈である。どこまで元気なのか!! 小生は月曜日午前10時をもって、復路へと進路をUターンさせた。これより三伏への長い旅が始まる。(続く) 参考:南アルプスー南部map
8/15(月)曇り・・茶臼小屋⇔光岳((2591.1m)ピストン)ここからUターンの開始 8/16(火)ガス・・茶臼小屋→聖岳(3013m)→兎岳(2818m)→百間洞山の家 8/17(水)ガス・強風・・百間洞山の家→赤石岳(3121.1m)→荒川小屋→荒川前岳(3068m)→高山裏避難小屋 8/18(木)ガス・強風・・高山裏避難小屋→小河内岳(2801.6m)→小河内岳避難小屋(2790m)→三伏峠小屋→鳥倉登山口→(バス)→鳥倉林道ゲート Picture1(sketch-direction 100°am4:50 Sketch point:Mt.Fuji, 100° View from Tcyausudake-rodgeGPS 35.372333,138.144317(°)(35°22'20.4" N,138°8'39.54" E)標高2433m Picture2(sketch-direction 32°am6:17 Sketch point:Hijiridake,Kamikouchidake 32° View from Tcyausudake-peakGPS 35.369131,138.140589(°)(35°22'8.87" N,138°8'26.12" E)標高2604m Picture3(sketch-direction 270°am9:19 Sketch point:Tekariishi-rock,270° View from Tekaridake-peakGPS 35.338156,138.087447(°)(35°20'17.36" N,138°5'14.81" E)標高2591.1m Picture4(sketch-direction 63°am10:33 Sketch point:Senjigahara-pleatouGPS 35.339086,138.090294(°)(35°20'20.71" N,138°5'25.06" E)標高2512m Google Earthを楽しむ方法 Blogに掲載されている画像はすべて場所名、方位、時刻、GPS情報と標高を付けています。このうち、Google EarthにGPS情報を貼り付けて検索ボタンをクリックすると、スケッチした場所に飛ぶことが出来ます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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