テーマ:暮らしを楽しむ(383600)
カテゴリ:世界文化遺産
熊野本宮大社_story(3177)2013.8.29
今日はサラ文(サラリーマン文化芸術振興会)の通信誌を発行するための編集会議。新宿に小さなながらもオフィスがある。なかなか悦なものである。クーラーを効かせた部屋に5,6人が集まった。版下はすでに完成している。ページレイアウトや内容チェックが主な仕事となる。それでもわいわい言いながら6時間。打ち上げは近くの居酒屋へ。明日は小生主催のパソコン教室。多忙を極めるが回想録はついに第1章が本日で完結する。長い苦難の道はいつか小冊子にしたいものだ。 大峯奥駈第1章 回想録(7日目その2(完結編))) 世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」を12泊13日で巡ってきました。 そのうちの大峯奥駈道(吉野川柳の渡し→熊野本宮大社)6泊7日の旅を第1章として回想する。、 7日目の行程(数字は標準時間) ◎玉置神社→0:30→本宮辻(玉置辻)→1:00 大平多山への分岐0:30, 大森山(1078)→三角点(1045.2m)0:35→岸の宿(7靡 篠尾(さざび)辻 765m)経由、切畑辻→0:35→五大尊岳(7靡 825m)→0:55→六道ノ辻(6靡 金剛多和)→0:20→大黒天神岳(5靡 573.6m)→1:10→吹越宿跡(4靡 325m)→0:30→吹越峠0:25, 七越峰→0:35備崎→0:35→行政局→0:20→熊野本宮大社 8時間 距離はおよそ16km up-total 1007.5m down-total 1882.5m さて、この第1章の最終原稿となる。 玉置神社を出て、熊野本宮大社までと気が焦るものの、玉置山(1076.8m)とほぼ同等の大森山(1078m 三角点は、1045.2m(見晴らしの良いところが選ばれる。小数点表記となる。))が大きく聳えている。 300mの登りとなると目の前に大きな塊となってのしかかり、それが一つや二つではないのである。接点が変化していくだけで、つねにコブが何重にも重なって山となっており、無限の登攀が続く。 登り切ったと思うとまた「辻」という名の鞍部(岸の宿、篠尾(さざび)の辻)まで300mの下り、続いて五大尊岳(825m)まで100mの登攀。 33階建のビルを1階からトボトボと登って行く感じで一階に26段の階段があるとすると858段を登る。 そこから第7靡 六道の辻(金剛多和:445m)まで300m降りて(ビル階段換算でにして2574段)、大黒天神岳(573.6m)まで130m(ビル階段換算でにして1204段)登る。 さて、こんな厳しいup-downを繰り返し、走るようにしながらスケッチを描き、息をぜーぜー鳴し、熊よけの鈴も鳴らしてうるさい騒音をまき散らしながら、大黒天神岳に到着した。時間が正午。ここで昼飯である。 と、「お~い。」と叫ぶ声がした。あまりの騒音に小生だと気づいた、仙人K氏である。なんと小生よりも先に行動をしていたのである。聞くと昨夜は、やはり玉置神社を越えて、本宮辻(玉置辻)まで進みテントを張ったという。今朝4時半に出発して今到着したのだと。 後ろから小生が来る筈であろうから、安心をしていたという。小生はここでダウン。昼食に1時間を見た。 仙人はほとんど何も食べずよくここまで頑張って来たものだ。DNAが違うと見た。あと8kmくらいあるので「下り」が多い道程として4時まえには到着できるのではないだろうか。 山在(さんざい)峠を越すと村の舗装道路を歩き、また山(4靡 吹越山)に登るのだと教えたのがまずかったのだろうか。 氏はこの大黒天神岳の下り道で道に迷い、2時間ほどロスをしている。その後4時間の登攀を行って備崎の自動販売機に到着したのだろうか。詳細は不明である。 この販売機の前で行き倒れていたらしい。地元の車が通りかかって救助し、旅館に担ぎ込まれて、蘇生。翌日未踏の部分を歩き返して無事、熊野本宮大社に到着している。奈良の五条までバスで帰途についたのだという。 恐らく集落が近づくと、杣道が多くなり道を迷いやすい。小生だってこの大黒天神岳(573.6m)を降り切った山在(さんざい)峠(265m)で、ダウン。30分ほど休憩しなければならなかった。玉置神社から持ってきた昼食(めはり寿司が3個)の2個分が食べきれなく持っていたのを荷物を減らす目的で山に捨てている。1gでも荷物を軽くせねば動けないのだ。 道行く車があったので、呼び止めて冷えた炭酸飲料を持っていないのか尋ねたほどだ。生温い水しかないという。その後も330m級の山は230m級の山がポコポコあるのだ。登っては降りるのを何十回も繰り返して漸く七越峰(ななこしのみね 262m)展望台に到着した。 本宮町は標高50m。なんとこの落差210mにまだ峰が7つもまだ存在する。丘陵の頂が156mである。七越峰(ななこしのみね)の由来は吉野から数えて7番目の峰というがなんのその何百とあった峰の7番目とはおかしい。熊野川の突端の備崎(そなえざき)まで7つのコブがあるという意味ではないだろうか。 丘陵の頂から備崎までの落差100mの崖には、39基の経塚が発見されている。日本最大級の経塚遺跡でないだろうかと言う。なんと順峰では、この区間や吹越山に至る区間はこれから修行の大切な教えを説くところであったようだ。我々は逆峰であるため最終コースとして急いでいたのであるが最も重要な修行の場所であったというわけである。 明治22年の十津川大洪水で流された熊野本宮大社はその後90mの標高に移された。旧社地には、大斎原(おおゆのはら)の大鳥居や、8社(中4社、下4社)の石祠が祀られている。 熊野川は渇水期にあたる。リュックを残し、素足で川の中に入って様子を見てみた。すこし上流では子供たちが泳いでいる。と足をとられ全身水のなかに。しかし気持ちがよい。郵送して送り返さなければならないため川で洗うことも考えていたが、意外と早くこのタイミングとなった。 郵便局は5時で閉まってしまう。4時半までは到着したい。ゆっくり水浴びしている余裕はない。 五大尊岳から本宮方向 i> ついに熊野川がよく見下ろせる場所にやってきた。 送電線は、十津川村で分岐した行仙小屋からの続く送電線である。 これもよくぞ一緒にくっついてきたものだ。 大黒天神岳の下りで再び会うことに。 大きな川のうねりは石ころの河原。 水流はごく僅か。 渇水期である。 ついにこの地に降り立った。音無川、岩田川が熊野川に合流する地点である。 昔は船着き場もあり新宮にある熊野速玉大社へ「川の熊野道」を船で行ったという。陸地からは太鼓橋を渡るが、大峯奥駈道からは備崎から川に入って禊(みそぎ)を行い「ぬれわらじの入堂」(濡れわら沓(くつ)の入堂)を果たしている。今回の小生はまさにリュックを背負い、重量が重たくなったために川に流されるまでもなく、楽に熊野川を渡って大斎原(おおゆのはら)の大鳥居をくぐった。 郵便局で局留めの荷物を受け取り、要らなくなった登山靴などを自宅に送り返した。 音無川の橋の袂で、着替えなどをしていたら、急に疲れがでた。ビールを2缶もあおるようにして飲んだせいでその場で横になって寝てしまった。 それを見た近くの工場の従業員が、社長に連絡したものだから心配して訪ねて来た。しばらく事の経緯を話したら理解を示してくれ、洗面所やトイレは工場の外側にあるものを使っていいよ。と言ってくれたり、更なるビールや栄養ドリンクを支給してくれたりと援助の手を差し伸べてくれた。 芝生に寝袋を引いて寝てしまった。 今回の旅は、人生で最も過酷な修験の旅であった。 K氏からやっと電話があり、昨日書いたような顛末を語ってくれた。 お互い、本宮町で乾杯という夢は、果たせなかったが共に生きて明日を迎えることができた。 (完) Picture1(sketch-direction 180°am8:07 Sketch point:Sazabi,KUmanogawa-town,Kumanokodo-Omineokugakedo,Wakayama Pref.,JapanGPS 33.906619,135.808692(°)(33°54'23.83" N,135°48'31.29" E)標高1053m Picture2(sketch-direction 218°am9:45 Sketch point:Godaisondake,Kumanokodo-Omineokugakedo,Wakayama Pref.,JapanGPS 33.894247,135.802536(°)(33°53'39.29" N,135°48'9.13" E)標高817m Google Earthを楽しむ方法 Blogに掲載されている画像はすべて場所名、方位、時刻、GPS情報と標高を付けています。このうちGPS情報(ex. 35.645569,139.615544(°)など)を、Google Earthのジャンプboxに貼り付けて検索ボタンをクリックすると、スケッチした場所に飛ぶことが出来ます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Aug 29, 2013 11:43:37 PM
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