テーマ:暮らしを楽しむ(383560)
カテゴリ:世界文化遺産
五郷町で休憩・・・熊野古道・第2章回想録(3日目その1)_story(3183)2013.9.4
大雨 カミサンが銀座で「書」を鑑賞するのだとして9時半に出かけた。ところが1時間もしないうちにトボトボと帰ってきた。一緒に行くはずの友達が大雨で家から出れないのだと言ってという。携帯で話している間にも雷が落ちた音がしたと。こちらはポツポツとした雨である。局地的なものだろうか。 我が家は近くに丹沢山系があり、相模川が流れ、河岸段丘を形成する起伏の激しい場所にある。昨日の雷雲もこの丹沢を避けた形で北側を東の方向に移動して行った。関東平野のど真ん中で起こりやすい竜巻などの異常気象が起こりにくいのではないかと考える。となれば都会の辺縁に住むのもまんざらではないかと考えるのだ。しかし富士山の爆発は困るのであるが。 熊野古道・第2章 回想録(3日目その1) 五郷町 石神神社のクスノキ 世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」を12泊13日で巡ってきました。 第1章として大峯奥駈道(吉野川柳の渡し→熊野本宮大社)6泊7日の旅、第2章として下記の伊勢路、川の熊野古道、外辺路、中辺路、大辺路といった大峯奥駈道以外の熊野古道を6泊6日で探索した。それを回想する。、 第2章3日目(通算9日目)の行程 休息日として1日の丸々の余裕。午前中・・・五郷町 石神神社(クスノキの巨木)、カヤノキ(巨木)などの観光スポットを探索。湯の川の清流で水泳。 午後遅く・・熊野市街に出る。→七里御浜、獅子岩、花の窟(いわや)、丸山千枚田 夜・・前夜に続いてペルセウス座流星群を堪能 2年前、まだ家に車が2台あった時の話である。マイカーをねぐらにして、世界遺産のうち伊勢路(伊勢神宮→熊野速玉大社間、このうちツヅラト峠道、荷坂峠道、馬越峠道など世界遺産登録箇所16道)を歩く計画を立て、さらに瀞八丁の玉置山口→玉置山、熊野本宮大社、十津川温泉という歩行ルートを計画していた。 五郷町へは国道42号線の道の駅に車を止めてrunningなどと、奇想天外な計画。これが台風12号の影響で中止におちいった。十津川温泉の女将からも電話で道路寸断の影響で営業が出来ないとの連絡が入っていた。 その時でも、新宮と本宮を巡るためには、どうすべきかなど悩んだものだ。花の窟の先にある「立石の道標」から、内陸を行く「本宮道」と、海岸を行く「浜街道」の2つに分かれる。このうち「本宮道」がとてもややこしくインターネットでもなかなか検索できない。 横垣峠(2011.9の風水害で通行禁止)→坂本→風伝峠→・・・(ほぼ311号沿いとは思うのであるが、瀞には出ず、紀和町の山の中を進み、楊枝の渡し(ジェット船の発着場「志古」の対岸の集落「楊枝」)で熊野川を渡り、山に登って熊野本宮大社に向かうのであるが地図が明確ではない。 この道にある風伝峠から熊野古道を離れ、「通り峠」を経由して「丸山千枚田」に遠回りする道が、ハイキングコースとして登場する。しかしながらこの部分は世界遺産のルートではない。ただこれも吉野に向かうという壮大な行程であれば、玉置口への近道となるため採択する方法もあった。 この休憩期間で、川の熊野古道のことをもう少し考察してみよう。 熊野川左岸で三重県紀宝町鮒田から紀和町小船までの21kmが世界遺産として登録されている。川端(川丈)街道である。この区間に県道が昭和45年に全通したため街道自身は寸断されてしまっているが。 ダムが建設されるまでは熊野川、北山川とも水量は豊富で、材木は筏で新宮まで運ばれた。 筏師は帰りは自分の竿一本持ち、川端(川丈)街道を登っていった。道の駅おくとろがある大沼はその筏師の故郷である。 材木は、2種類の方法で筏に仕立てられる。 メガ筏(メガ穴という穴をあけてネジ木で結合)と カン筏(材木を繋げる紐(ノタリ)を渡して鉄の楔であるカンを打ちこんで固定)である。 明治22年に新宮に当時日本一の17000坪の貯木場ができ材木が水路で運び込まれた。 船下りは1日ががかり(宮井から新宮まで、古来の川の熊野古道)であったが、帰りは3人ほどが2日かかりで曳航したという。大正6年(1917)アメリカ人飛行士アート・スミスが新宮河原において飛行機で新宮市内を一周するという離れ業を行った。これを見た川船の船夫であった29歳の鳥居丈之助は、飛行機のプロペラを推進力として使えないかと思い立ち材木商の小西正一の支援を得て、1919年1月に試運転に成功。このときの船は長さ13m、幅1.5m、20人乗りであった。 このプロペラ船は昭和43年まで使われた。昭和14年に、新宮ー宮井間にバスが運行され、熊野川は観光客を乗せたプロペラ船、荷物を載せた団平船、陸ではバスやトラックが走り水運と陸運が併存し栄えた。 昭和39年に筏がトラックに変わり、昭和43年にジェット船が志古と瀞八丁を往復するようになりほとんどは陸上交通にとって代わられた。 小生が幼少のころ、帰省しては、熊野川河口で遊んだものである。川に浮いていた貯木場でも遊んだ。遠くのほうにある明かりを目指して一気に潜水するのである。また鉄橋の橋桁の深い所を利用して飛び込みの肝試しをしたものである。いまではそのどれも禁止事項であろうが。その当時の新宮にはパルプ工場がいくつもあり強い匂いをまき散らしながら栄えていた。 カヤは裸子植物の一種で樹高20-25m、直径2mにもなる常緑高木。 雌雄異株、これは雌株。日本の温暖帯で広く分布。 材の優秀性(均質・美麗・碁将棋の最高級材)、種子の多様途(食用・薬用)の関係から大木は非常に少なくなった。 絵ではすこし分かりずらいが、右の家屋の庭から傾いている木がカヤの木。 樹高は6mで止まっているが幹周4.5mもあり、6本の分枝は四方に広がり25m四方に及ぶ大樹冠を形成している。 湯の谷川に沿った道路に面して立つ。 鳥居をくぐると、鬱蒼とする樹木の中で、クスノキの大木が目に飛び込んでくる。 Picture1(sketch-direction 264°am9:50 Sketch point:Ishigami-shrain,Isatocyo,Kumano-City,Wakayama Pref.,JapanGPS 33.994389,136.058756(°)(33°59'39.8" N,136°3'31.52" E)標高319m Picture2(sketch-direction 271°am10:45 Sketch point:Kayanoki,Isatocyo,Kumano-City,Wakayama Pref.,JapanGPS 33.997767,136.056781(°)(33°59'51.96" N,136°3'24.41" E)標高365m Google Earthを楽しむ方法 Blogに掲載されている画像はすべて場所名、方位、時刻、GPS情報と標高を付けています。このうちGPS情報(ex. 35.645569,139.615544(°)など)を、Google Earthのジャンプboxに貼り付けて検索ボタンをクリックすると、スケッチした場所に飛ぶことが出来ます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Sep 4, 2013 09:51:59 PM
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