テーマ:暮らしを楽しむ(383622)
カテゴリ:ジョグ&スケッチ
ポーランドを歩く・・第2報 チェンストホーヴァより
ポーランド徒然草 天気・・・暑すぎる。荷物を背負っているせいかものすごく暑い。 男性の頭・・・悲しいことに皆んな、毛が薄いのだ。ほとんどスキンヘッド 道・・・keep rightの世界。みちの左側を歩くべきか、右側か。結論を言うと右側である。理由はこうだ。1. 車からみると自分と同じ方向に向かうものは”友”である。よって最大の敬意を払って大きく避けてくれる。2.バスなど進行方向に同じ側を進むため飛び乗るのに便利。3.左側車線の車が前を追い越す場合、その車を前方で確認できて安全。逆に左側を進んだらつぎなる問題が。1.車からみると対向となるため一応”敵”である。あまり車間をとってくれない。2.右側車線のクルマが前を追い越しする場合、後ろから迫られることとなり非常に危険。これはマラソンのときでも鉄則である。 鳥・・・バードウォッチングには最高の国である。なにせ鳥が多い。人見知りせず近づいてくる。夜は12時までお喋り。朝は3時と早い。鶏は「おかぁさーん」と鳴く。 旅 下記"苦戦"を読んだ読者は、1.turbo717さん。もう十分だから帰ってきなさい。2.無着を止めて帰ってきなさい。3.ポーランド語もまともに喋れないのにもともと無理だったのだ。即帰るべし。4.いえいえ苦難を乗り越えて旅を続けなさい。いずれだろう。この旅で泣きたくなることは多々あったが最大の危機。 苦戦5/17(月)Ośwęcim(オシフエンチム)からKatowice(カトヴィチェ)まで北上。当初予定に入っていない町であるが、コンサートホール(ポーランド国立放送カトヴィチェ交響楽団 :Narodowa Orkiestra Symfoniczna Polskiego Radia w Katowicach, NOSPR) のホール)の音響効果に日本の設計事務所(永田音響設計)が関係しているということもありコンサートホールだけでも見ておきたいと思った次第。コンサートのチケットは売り切れであったが。 考えてみればこの旅で最も危険が伴うコースであった。10km規模の森を3つも抜けなければいけない。Google Mapで最短コースを教えてくれるが今回も騙された。森の中を3kmばかり直線コース。トレッキングのコースになっているらしく東屋まであり快適。石ゴロの道が森の中を一直線に走っているのは見事。さてここで問題が。道路は右にそれていく。こちらは真北に進まなければならないのだ。みると粗道のごとく人の通った跡がくっきりとついている。その道を3kmばかり。不安ながらもここまではよかった。池と車輌基地の関係か道はそれを巻くように大きく迂回している。それも計算済みである。作成した地図では線路を渡るようになっている。ここで道が途切れたのだ。確かに線路が見えるが高さ3mの鉄のフェンスが。万事窮す。あろうことか線路は廃線のよう。フェンスは向こう側にもあり2重になっているのだ。自動車の音がするためそこにたどり着くためにはフェンスを2回乗り越えなければならない。深閑とした森の中。誰も助けてはくれない。胸に担いでいたリュックを放り投げるも高さが届かない。ええいままよ。と全部持ったままフェンスを猿のようによじ登る。フェンスの格子は10cm角。トレッキングシューズの先が漸くひかかる幅。錆びついたフェンスが軋む。上まで漸く届いた。ザックを放り入れる。つぎに最上部で足を跨ぐもこんどはフェンスの先が鋭利なナイフのようにパンツに突き刺さる。ナチからの脱走もこんな風だっただろうか。漸く線路側に降り立つ。道路が見えるが反対側の柵の下が崖のようになっていて越えられない。線路をたどるうちに踏切にでも出くわすのではと思ったが甘かった。廃線は途切れていてフェンスも閉じている。線路の中に入ってしまった小生は檻のなかの人となってしまった。今回の旅もここまである。まだ20kmも行程が残っているのにこのまま夜を迎えるのであろうか。まぁそういうわけに行かないので再びフェンスをよじ登り、谷を3つ越えて県道に到着。旨く通れたとしても更に森が立ちはだかる。ここで計算を誤った 。道が真っ直ぐ通れたとしての800m、迂回したため1300mほど進まなくてはいけなかったのにそのまま800mで次の森に入ってしまったたのだ。行けども行けども目標の池が見あたらないのだ。散策やマラソン中の人をつかまえては地図を見せるが拉致があかない。森を示された方向に行くも馬が悠長に草をはむだけ。その道も途切れしまった。元に戻ったところで散歩中の夫婦に会う。全部resetして元に戻るよりもこのまま進めと新しい行程を示してくれる。そこで助かった。人の住む町に到着。ここからが問題。今どこに居るかが分からないのだ。 藁をも掴む思いで道行く人に尋ねるもポーランド語でまくしたてる。どうも目標の池を大きく迂回して東側の町に着てしまったようだ。Czy mówi pan(or pani ) po angielsku.(チ ムヴィ パン ポ アンギュルスク)と英語が話せる人を必死に捜す。最後のご婦人がドイツ語混じりで100mさきにあるバス停から672番のバスをつかまえろという。100m先に交差点でもあるのかと不信ながら道を急ぐ。なんと目の前に672番のバスが通り過ぎる。何! 100m先ではなく目の前の反対側の停留所だったのだ。走りに走りそのバスに飛び乗る。Google Mapで現在地を確認して初めて分かった。何と目標の池を都合大回りで3/4周していたのだ。当初歩く行程も2回は横切っている。 カトヴィチェまで4.6ズーロ。10ズーロ紙幣でお釣りがないと運転手。場所が分かったからにはこのまま市内に行くのは気が引けると2つ目で飛び降りる。運賃はいらないと。さもありなん飛び降りるのが早過ぎた。まだ15kmも残っていた。このあたりのバスの一駅が3kmほどと長すぎる。森の中を2駅ほど歩く。この間に当初ルートと1回交差している。もう十分である。別のバスに乗って生還したが間違えばポーランドの土に消えていたであろう今回の失敗。”森を侮るな””ということである。Google Earthでも確認できる森の道は単に木を一直線に切り開いただけの道である場合もあり要注意。草道にはこれからは踏みこまないという覚悟。今後の道を精査し直さなければならない。 再び森 テントを森の入り口で張る。昨日の失敗があるのでバス道路を選ぼうと。村を抜けて3つ目の橋が分岐点。どうも様子が違う。1300mのポイントなのか定かでないのだ。分岐点に戻ってみた。まだ800mしか来ていないようであった。アプリのMy Tracksで計測してみた。右足カウントで70歩が100mの筈なのに65歩が100mと計測された。テントを張った位置が1.03kmである。3番目の橋の箇所の森の道は草道。よって1.03kmのほうのバス道を行くことに決定。この道が長かった。森を出たところでバス停があった。朝早いがご婦人が7:10のバスを待っていた。Cynków(ツゥインクフ)へ行きたいのだというと、バスは無いと。そこを曲がって5kmプロスト(prosto)でと。森の辺縁を行く道は計画ではあったが、物凄く遠回りである。 Cynkówのmini superで食料やジュース、水などを購入。その分荷物は重たくなる。 9km ほど行った場所で国道1号線を横切らなくてはならない。危険きわまりない。車は100kmで飛ばしているというのに横断のために信号が無いのだ。途切れたら渡れというシステム。ここでもmini superに入ってジュースを仕入れる。 100%のジュースが美味しくてついガブ飲みしてしまう。真っ黒い顔にサングラス。しかも東洋人きている。店の小さな女の子が口を開けた。びっくりしたのだ。泣き出してしまった。無礼をわび店を出る。さっきの国道に合流する道。これから数10kmは国道。危険きわまりない。側道と言うべき土の道が僅かにあるためそこを歩く。 ポーランドのcamino 危険な道をトボトボと歩いていたのを見たのであろう。駐車スペースから声を掛ける男性が。何処まで行くのだと聞く。チェンストホバーだと応えると乗れと。まぁ今日は十二分に歩いた。助けにすがろうと。話しているうちに驚いた。caminoを知っていた。23才の青年ながら10年前にパンプローナからサンティアゴまで歩いているのだ。母親がクリスチャンであるという。しかし自分は仏教徒であるという。ものすごいレアケースである。仏教徒にcamino。驚いた。町入り口のガソリンスタンドで別れる。歩くことが基本のcaminoを知っているのだ。ウッチまで行くと。油絵とコンピューターデザインの勉強をしにくいと。仕事場はクラクフという。住まいはオシフエンチムの近くであると。大きな三角形をいつも車でまわっているのだという。奇遇であった。捨てる神あれば拾う神ありということか。 5/20(水) Częstochowa(チェンストホヴァ),5/21(木) ヤスナグラ寺院がある巡礼の町。8/15の大祭に向けて全国から巡礼が集まる町である。贅沢にも2連泊。休養を兼ねて見学。 総集編その1に飛ぶ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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