カテゴリ:ジョグ&スケッチ
ポーランド便り 第4報 快晴の中 ワルシャワに到着。
ポーランド徒然 垣根 この約3週間で、生け垣だけの家は3軒しか見ていないくらいどの家も鉄やコンクリのフェンスがある。通りに面する部分は一つとして同じものが無いほどデザインが豊富である。フェンス文化というのが有るのだろうか。ただ隣家との境界は何の変哲もない標準品である場合が多い。フェンスは恐らく犬を飼う家が多いため、ドッグヤードを兼ねた必須アイテムなのであろう。 犬 2、3匹飼っている家などざらで逆に犬がいない家を探すのが大変なくらいである。ヴェトナムの犬など放し飼いにして、吠えない という優れた点を持ち合わせない。門扉まで突進してきて吠えたてる。ワンワンの数を数えてみた。11111 11111 11111(555と表記)、333 112など。インターバルを置いて鳴く数に差があるのは面白い。 何かの言葉をモールス信号のように発しているはずである。音程を計測してみた。f,g,a(ファ、ソ、ラ) などど。音域は200-500Hz。このように楽しまないと身が持たない。決まってタブレットを見せるとたじろぐが。おとなしい犬は外をうろついていて付いてきたりする。 道 自動車が通る道は凡そ次のような構造。舗装道路、幅50cmくらいの石ゴロ道ないしは舗装した歩道。続いて幅30-100cmの雑草道、側溝(V字型の小さい窪み50-100cm)、幅1m-10mの緑地。畑、森か邸宅。余裕のある家はさらに10mほど緑地を提供するつまり国土をコンクリートで塗り固めず殆ど土である。どの村、どの町に行っても美しい。皆誇らしげだ。村と町の格差が無いようだ。ここで歩き方であるが、keep rightで進む車と敵味方(対向が順行かという意味で)と絡む必要のない歩き方を会得した。車道と石ゴロ道を歩かず草道を歩くことである。ウッチ(Łódź )の手前37kmを草道だけで歩いてみた。 足に優しいし車から離れるので安全である。歩行は軌跡が一本になるようにすると速い。 5/24(日) ドルジビツェ(Drużbice)の接待 ウッチ手前37kmの町。日曜日の行程ながら街道はどの店も閉まっているかと思いきや。食料品やスーパーの30%が開いている。しかしながら教会は閉まっていた。ならば無断でテントを張らせていただこう。その替わり詫び状を記したスケッチ画を教会の玄関に置いておこう。などとブツブツ言いながら教会を2枚スケッチ。誰も居ない教会前広場でしかも夕刻7時という静かな時間。通りにはもう人は居ない。這いつくばってスケッチの上にペンで文章を書いている時だ。視線を感じ後ろを振り向くと青年が手招き。すぐ近くに家があるので寄って行けという。夕飯のようなそうでも無いような貧しい食事を奢ってくれる。23才の青年は母と2人住まいであった。そこで交渉してみた。テントはokという。早速庭でテントを設営。教会前という一等地に住むイタリア移民の家族であった。 ウッチの教会 5.25 ウッチ(Łodż)という大都市に着いた。10km手前ぐらいから道幅が片道4車線、真ん中をトラムが走るという大都市の図式。 Hostelと同じ通りにあった教会は圧巻。5000人くらいがぎっしり1,2階を埋め尽くしている。み言葉はほとんどが歌になっている。歌手が実際に歌ったりもするのだ。液晶モニターの大画面に言葉が表示されていく。手拍子も時々あり、パイプオルガンが鳴り響く。近くの人に聞くと9時まで2時間のミサが行われると言うことであった。こちらは巡礼手帳に印を貰いたいのに。勇気を出して小部屋に進み出てシスターに小声で頼んでみた。教会を抜け出して事務棟に行き印とカードを貰う。クレデンシャルが絶大な効力を持つことを証明してくれた。 印籠 Kamińsk(カミエンスク)で奇跡が起こったという話は前号で書いたが「庭でテントを張ってよいか?」などと翻訳機が作った文章を牧師に書き直して貰っていたのだ。教会とテントの絵を添えて。しばらく考えた文章は大体このようなものである。「私は最終目的地のヤコブが祀られているサンチャゴ・デ・コンポステラまで歩いて旅をする巡礼者です。どうか一晩教会にテントを張らせていただけないでしょうか。」なんとこれが水戸黄門の印籠のような役割をすることになろうとは。 クレデンシャル(巡礼証明書)だけでも絶大な影響力があるのに、加えてこの印籠である。 ウッチから30kmのグォブノ(Głowno)の教会(Kościół pw św Jakuba Apostoła:セントジェームズ使徒教会)は「Jakuba :ヤコブ」という名前が付く。外は12℃。16:30 雨で寒い中びしょ濡れで教会に到着。余りの寒さに着替えも出来ず教会の中で震えていたらミサが始まった。17時からと18時からの2本立て。2つの礼拝が終了してから控え室に進み出た。シスターにクレダンシャルを見せると印は無いがサインなら出来ると。続いて例の文章を見せた。肩をすぼめて「私には分からないわ。牧師に聞いてみたら。」と牧師を指差す。雨の中のテントは大変そうだと思いながら文章を見せた。途端にニコニコ顔になり荷物を全部持ってついてこい。ということになった。礼拝から抜け出してシシカバブの夕食を買っていたのにも関わらず、賄い食として僧侶が用意していたスープ、ビゴス、ソーセージなどの慌ただしい夕食。3人で食べる。ベッドとしてなんと通されたのは迎賓部屋。10畳くらいのダイニング。ソファーで寝ろという。シャワーや洗濯用の洗剤を示してくれたりと。お客様の扱いである。 5/27(水) ソハチェフ(Sochaczew)の奇跡 ここの教会は川べりの丘に立つ近代様式の建物だが中世の荘園のように広大な庭を持つ。対岸からスケッチ。ここも2枚である。教会の庭にテントが張れるものと確信したからだ。結果としては事務局の前の僅かなスペースを紹介されてしまった。印籠がyakuba系以外の教会には通じないという事実も実感。万能では無かった。務員が全員帰るのを待ったが最後の痩せ気味の女性がこれはまずいのではと言い出した。挙げ句の果てにpoliceへ相談に行けという。一般の旅行者と間違えられた。この聖巡礼者に何ということをいうのかと。policeと教会の間をトボトボと逡巡しながら往復。話がややこしくなるのでpoliceには行かず教会の前の広場で休んでいたら「何か困っていますか?」と優しく声をかけてきた。事情を説明するとならば家に来いと。1ヘクタールの庭があるので心配に及ばないと。まさに捨てる神に拾う神である。ある会社の社長の御曹司で両親の住む家で一緒に事業をやっている男性であった。通りをリュックを担いで歩いているのを見たというのだ。きっと何か困っているのではと。車でついた先は広大な敷地に犬が3匹。テントより家の中が良かろうということになり、会社の商品開発の部屋をあてがわれた。会社は7時に始まるという。6時45分には全員揃っていた。勤勉な国民である。 驚く無かれ。彼はパソコンを操って様々な情報をくれることになった。総てのテント場所をリストアップしろと。役場に交渉するのも一つの手であるとサジェッション。時間があれば学校に行け。英語教師を捕まえ今回の旅の内容を話してあげると皆喜ぶのではないかと。教会のスケッチをプレゼントして分かれた。素晴らしい出会いであった。ブレハッチと1歳上である。 5/28(木) ザボルベク(Zaborówek)の出来事 もうずいぶん前からである。街道を歩いていると朝市で買ったばかりのパンをくれたり、5分ほど時間が取れないものかと、caminoの話を聞かせてくれとバナナに菓子パンにコーラ(10年前のcamino経験者であった。) 車で何回も見たが何か困っていることはないかと。道路の反対側から声が掛かり紅茶を入れてあげるから待てと。 みんなが声を掛けてくれるようになった。リュックを背負った現代版のキリストである。今日のはザボルベクを進んでいたら6km先にあるザボルフ(Zaborw)の教会にテントを張る交渉を買って出てくれた。ミサの始まる前という絶好の時間である。フィッシィングが趣味というので世界一軽量のテントを張って見せたりと歓談。何枚も写真を撮っていった。 総集編その1に飛ぶ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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