テーマ:暮らしを楽しむ(387730)
カテゴリ:ジョグ&スケッチ
ポーランドを歩くー第5報 ビスワ川(Wisła)沿いのリゾート地 スコキ・ドジェ(Skoki Duże)より。
6月に入ってポーランドは夏のような陽気。今までは15℃くらいと肌寒く休憩時は何かを羽織らなければ寒かったのに、いきなり30℃となった。強烈な太陽が照りつける。しかしポプラの木々がざわざわとうるさいほどの強風が吹き空気は乾燥して汗がすぐ乾いてしまうのは嬉しい。 半角10000字の制約がある本blogでは書くことが山ほどできたため急遽この第5報をお送りする。 ポーランド徒然 あなたはヴェトナム人? コンビニで買い物をしている時だ。後ろで囁き声がする。さもありなん。真っ黒な顔をしているからであろうか。最近はヴェトナム人に間違われるようになった。聞けばヴェトナムとポーランドとは絆が深いという。ヴェトナム戦争の時地下活動を学ぶため沢山の人がポーランドに勉強に来たというのだ。市民もその事を覚えているようだ。 鳥 ポーランドにはガラスはいない。黒い鳥ながら首の部分が灰色の鳥が至る所にいる。彼らは常に「ターク、ターク」と鳴く。ポーランド語でtak、tak(はい。yes。)と鳴く。Kuropatwaという。雀よりも多いほどだ。トンビはまだ見かけない。 豊さ まだ570kmしか歩いてないがポーランドから見た日本は何か貧しく映るのである。こちらは緑豊かで道も側道も広々としていて、家がその奥に有るのだ。少なくとも相模原の自宅から駅までの景観にあるようなせせこましい家並みは無い。ビスワ川沿岸の地域は特にリゾート地域のような景観。小学校を見て驚いた。ビルディングという建造物ではない。一般民家と大して変わらない建造物。皆親に連れられたりしながら8時には集まってくる。13才まではスクールバスが各自の家前まで送迎を行う。そういったバスから皆が手を振る。何か情報が伝わっているのであろうか。熱狂的である。 水 どこかトイレはないのですか?と聞くと皆肩をすぼめて「無い」という。ガソリンスタンド以外はトイレは無い。彼らは膀胱がデカいのである。日本のように競ってトイレに駆け込む風景は無い。さて水場であるがこれも皆無である。スーパーで水を買うかホテルで蛇口から貯め置いた水を飲む以外は無いと思って間違いは無い。彼らは余り水を飲まないのか1日一回なのか知らないがトイレと水の関係で論文が書けそうである。この水であるがペットボトルに飛びついて失敗した。その種類たるや膨大。ガス入り、ガス無し、味付き、味無し・・・。10種類くらいある上、500mL,1L,1.47Lなどと大きさがある。コンビニなどでは全て口で言って出してもらう。 ボーダーミネラルナなというミネラル水は「Cisowianka」が良いという。 コンビニ テントウ虫マークの「Biedronka」が国内最大規模 品質がよく安いが、田舎には無い。 「art.spożywcze 」「Gama」「Metto」「abc 」など。Sklep(shop)という小さな店は五万と。ただ5kmに一軒などと住民の数や交通量に依存。 悼む人 畑にポツンと立つ十字架。花が活けてあり、蝋燭が入った壷のような形をしたガラスの瓶。静かにお祈りをする。生前誰を愛し誰に愛されたかなど考えながら。映画「悼む人」を地でいっている。実はスタスタ歩くよりも少し休みをとるきっかけとなっている。恐らくこれを皆が見ているのであろう。巡礼者として小生を見てくれているようだ。 ワルシャワの1日 ・朝 旧市街(stare miasto)のど真ん中にあるホステルを抜け出して朝の散歩。一等地にあるためどこに行くのも便利。とうとうと流れるビスワ川(Wisła)を望むテラスが太陽の光を受けて輝いている。引きつけられるように進み出たその時だ。体重100kgもあろうか、背の高い男性が近づいて来た。旧市街を案内したいと。聞くとミサに参加するため進む方向に見所がいっぱいあるので案内してあげると。バルバカンの城壁まで進んだ。3つの教会の尖塔が見え城壁も見える絶好のスケッチポイント。ミサに行ってくれとせがむも絵を描く工程を見てみたいと密着。1から見られてしまうのは苦手。しかし約3分でデッサンを完成させ色づけに移る。一色塗る度に感嘆の声を上げる。うるさいと思ったがこれがこの後役立つことになる。合計3つの教会を回り一部ミサに参加したりと忙しいのであるが司祭との談笑のあとスケッチを見せることに。機嫌よくスタンプを貰えたのは言うまでもない。頭に手を置いて旅の成功をお祈りしくれる。厳かな時間が流れる。 歴史地区の多くは第二次世界大戦とドイツ・ロシアの侵攻の痕跡を色濃く残している。教会自身も野戦病院としての役割を果たしたなど苦境の状況や写真で歴史が方々に残っている。この男性口角泡をとばしてしゃべりまくる。熱い2時間であった。ミルクBarでの注文までつき合ってくれて分かれた。父親は医者でもうすぐ90歳になるという。後で貰ったメールでは音楽プロジュースをしているということであった。 タブレットを無くす 川向こうのスポーツショップ「Go」まで足を運んだ。 35Lの小さめのリュックの方のサック(雨カバー)が無かったので駅に隣接するショッピングモールに行った。そこで35-50L用のサックを見つけた。実際にリュックに被せてokを確認。4000円くらいであったがこれでどんな雨でも大丈夫になる。市内に戻り写真を撮ろうとした時だ。あろうことかタブレットが無くなっている。混んでいた2連のバスで掏られたのであろうか。はたまた「Go」のshopで落としたのであろうか。これがなければ今回の旅はゲームエンドである。「神様!」と何度心で叫んだであろうか。サックを買った現場に急行するもタブレットは無い。店員やレジの人を捕まえて泣き叫ぶ。「これが無ければ今すぐ日本に帰らなくてはならいのです!」と。泣き叫んでいるときふと置いてあった自転車のブレーキケーブルに何やら黒いものが。タブレットの蓋と本体が本のようになってぶら下がっていたのである。どうしてそんな所に? 恐らくサックを実際袋から出して被せてみたりしているとき手に持っていたタブレットを何気なく自転車のサドルの上に仮置きしたのを失念したのであろう。カミさんが「忘れ物しないように。」と別れ際叫んでいたその言葉はこういう事を意味していたのだなぁと深く反省。 Filharmonia Narodowa SALA KONCERTOWA 国立フィルハーモニーコンサートホール(ショパン国際ピアノコンクールの会場) ペルリオーズの「ファウストの劫罰(こうばつ)」を夜6:00から鑑賞した。町歩き用の服から正装に着替えておいて良かった。前列10、番号12という特等席であった。おそらくキャンセルがでたため4000円と言う安さでチケットがgetできたのではないだろうか。演目はゲーテの『ファウスト』に元ずく。休憩時間をいれて3時間 合唱団60名を含み100名の構成。ソリストは計4名。なんとも豪華な夜であった。 6/1(月) カミオン(Kamion)で。 ワルシャワから北に32km。テントを張る場所で失敗をした。 頼りの教会は今日はミサが無く牧師も居ないという。犬は吠え続けるしやむなく当初の計画通り川沿いの場所に戻ることにした。2人の少女達が暇そうに小生に纏わりつく。そのうちに自転車に乗った少年たちも集まりだした。橋の下の適地を均してテントを広げた時だ。ここは増水したら危ないという。ならば堤防のさらに上にある台地ではどうかということになり皆で楽しくテント張り。大きめの少年たちも集まりだし記念撮影など。最初の少女達は太り気味のためか写真を恥ずかしがる。夜の帳が降りた。ぐっすり寝込んでいるとブロッコリーを栽培しているという農家の青年が訪ねてきた。昼の少年たちも表敬訪問。すっかり地元の有名人。・・。最後に来たのがポリス。 驚いた。これで今回の旅も終わりである。不法に住民を挑発し静かな村の雰囲気を壊したかどで逮捕か。ポーランド語でまくし立てるポリスと英語で釈明を続ける小生。全く埒があかないのである。そのうち1人が本部(ソハチェフ:Sochaczew)と連絡を取り始めた。こちらも巡礼手帳を見せたり教会の庭にテントを張るという許可証のような印籠を翳したり必死に攻防。向こうも笑い始める。英語の話せる本部の女性と携帯を通して三角形で会話が続く。小生のタブレットにポーランド語で何やら打ち始めた。翻訳機は、「ここでは住民たちが犬が吠えると騒ぐのであなたの希望通り庭に泊まれる教会を見つけたので直ぐにテント撤収しろ。」と翻訳している。 撤収には10分かかる。馴れたものながら忘れ物がないかヘッドランプで再確認。南に6kmほど拉致された勘定。これだけで大いなる損失である。パトカーで着いた先はとある教会。人影は無い。真っ暗ながらライトアップしていて見事な教会。policeは、守人であろうか連絡を更に取っていた。戻ってきてここで寝ろと庭の芝生を指差す。別れ際「ショパン、ショパン」とひっきりなしに叫ぶ。 思い出した。「ブロフフ:Brochów 」であるソハチェフ:Sochaczew から東6kmにあるŻelazowa Wola(ジェラゾヴァ ヴォラ)で生まれたショパン(1810.3.1ー1849.10.17)が生後6ケ月の時(1810.9.23)洗礼を受けたブロフフの教会であったとは! 何と恵まれた拉致であったことよ。世の中にこれほど気の利いた配慮があっただろうか。 翌朝兎に角元のKamionに戻らなければならいのだ。バスがないか調べてみたがない。6kmを歩いて戻るかここは賭けである。ダメ元と思いながらGoogle mailを覗いてみる。ソハチェフの郊外アルタンカ(Altanka)に住む実業家からメールが届いていた。いくつかのメディアが小生の旅に興味を持っていると。その人達に会って貰えるかと。 早速返事を書いた。今回の顛末を含めて。 開き直って教会をスケッチしていたら驚くなかれその本人が車で現れた。後はロスした時間分先に歩を進めてくれたのは言うまでもない。 もう彼は今回の旅で「神」なる存在である。 明日はWłocławek(ブウォツワベク)で市長の報道官から最初のインタビューが待ち構える。どんな展開になるであろうか。テントに替わって寝る場所も当局で確保されようとしている。恵まれすぎているであろうか。今回の旅。 ビスワ川を望むホテルから。 総集編その1に飛ぶ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Nov 5, 2015 11:30:42 PM
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