テーマ:暮らしを楽しむ(383652)
カテゴリ:ジョグ&スケッチ
ポーランド、ドイツを歩く 12-その2 少し文章が長いので2部にわけます。(その2)
ハンブルグからBremen(ブレーメン)まで 7/2(木) Buxtehude(ブクステフーデ)にて・・ハンブルグ湾の地下道を通るコースと遠回りであるが橋をいくつも渡り対岸を西に進むという2案があるが、入港したばかりの豪華客船も見たいしということで遠回りながら湾を半周するコースを選んだのだ。普段は16kmも進めば「郊外の昼食」pointであるがここではまだハンブルグ湾を回り終わったくらいの巨大な都市である。 日中は気温31℃と暑く歩くのは危険。しかも道は西に延びている。太陽が正面から直撃する。2kmのカウント毎に日陰で小休止。今日の目的地はブクスフーデにあるL75号線沿いのMcDonald。1:00まで営業しているとのこと。3泊のテント生活なのでここでタブレットの充電もしよう。といつものように道路枠で寝ていたらご婦人の車が止まった。McDonardへ行きたいのだというと「乗れ」という。息子が巡礼経験者であるので一目で助けたくなったのだと。Jakobi-Weg(camino道)がこの近く丘の上を通っているとのこと。息子はやはりテント生活で4日間頑張ったのだと。お礼のバッチを一つ差し上げた。 McDの店で時間を潰した後夕闇の中を池の方に降りてテント場を見つけなければならない。初めての経験である。早く寝ないと明日の行動にも差し支える。只今21:35。日は沈んだがまだ相当明るい。どうする!最悪はこのMcDの閉店を待ち敷地内に場所を貰うことだがそれでは遅すぎる。出発することにしよう。 あぁこの疲れ気味の青年(自称)を誰か助けてくれないだろうか? とMcDを出てから1sec後に隣の工事用の道が目に入った。池に通じる道が今ブルトーザなどが入り整備されようとでもしているにではないだろうか。場所は決まった。より平らな場所を捜してテントを張る。ブルトーザーの隣である。自動操作で朝動き出したら一貫の終わり。早朝スタートとすべく就寝。 7/3(金) Heeslingen(ヘースリンゲン)にて・・苦しい32kmであった。気温は31℃。西に向かうコースなので午後は木々の影以外は太陽が直撃。L127号は超田舎道ゆえ所々で歩道が途切れる。ふらふらと車道にさまよい出れば70kmで飛ばす車の下敷きに。ここは慎重に途中で睡眠を取りながらの進行。歩き始めたらやはり車が止まる。皆、聞くのだ。水はあるのか。何か困っていないのかと。田舎道ゆえの親切心を100%感じる。歩道のない道を慎重に歩いているときだ。仕事帰りの若者2人が乗ったワゴン車が止まった。何か口に入れるものを提供する店までと。アイスクリーム屋があったので止めてもらった。コーラにジュースにアイスクリームと。命拾いしたものの店内は異常な暑さ。クーラーをかけているものの尚暑い。少し店内で微睡むも外の方が快適。午後5時にして残りの8kmをがんばるのみ。遅くとも8時には着きたい。スーパーのNettoがあることは調べている。日差しは十分すぎる。道を急いでいたら本日2度目の救いの手が。オープンカーの女性だ。同じことを聞かれる。目的の場所はテント場であるがホテルの裏側ときめている。Zum Heeslingenホテルである。颯爽と車はホテル裏側の駐車スペースに乗り付けた。自動折りたたみ機能をもったドイツ車。その女性、ここから20kmほど放れたところに住むがJakobi-Weg(camino)に面しており巡礼者に宿を提供し。ホストも務めるという。石畳の道が残っているという。その道も途中通った。なんという有用な情報であろうか。インターネットで「JakobiWeg Deautsch」と検索するだけで全ての情報が出てくるのではないだろうか。ホテルで寛いでいた左官風の2人にドイツ語で聞いてみたがこちらはSantiagoすら知らなかった。JakobiWegは知る人ぞ知るという道のようである。話し込んでいる内にこのホテルに泊まりたくなってきた。お腹は快復の兆しがあるものの、テント泊は厳しすぎる。ここは命を優先させた。シャワーを浴び洗濯をすると睡魔が襲ってきた。目ざめると19:35。スーパーが閉まる時間であるがここから10km先の大きな町にもあると女性から聞いたので急ぐことは無い。階下はレストランになって華やいでいる。クールな食材ばかりで生きているのでここはホットなスープや料理が欲しい。フライパンでの炒めものが名物のようである。きのこやパプリカを炒めたものをオーダー。美味。 7/4(土) Grasberg(グラースベルグ)の地獄と天国・・ヘースリンゲンの宿は朝食が7時スタートであるが早めにしてもらうように頼んでいたがちゃんと当番の女性が待っていてくれた。グラースベルグまでの道はほぼL124やL133の県道なので静かな雰囲気。途中のTarmstedt(タルムシュテット)で日中の時間調整。スーパーの買い出し(明日の日曜の分など)の後アイスクリーム屋で相当粘ったがやすい買い物で長く居座るのは気が引ける。しかも外はまだ灼熱の太陽。ここでの日没は21:50と表示されている。17:00でも太陽は頭上。その中を覚悟して歩いたが体がエンストを起こし歩きたがらないのだ。そうなるとマットを敷いて寝るしかない。買ったサクランボなどで栄養補給しながら。知らなかったがこの時刻、後30分で大嵐が来るという予報が会ったらしい。とても危険なやつという。2台の車が止まった。こんな所で寝ている暇がないのだと拉致するように小生をグラースベルグまで連れてきてくれた。ただし此処が最大の危険地帯で早く屋内に退避せよと言い残して車はブレーメン近郊の家にすっ飛ばしていった。この「危険」という言葉の実感はその時はなかったのだ。シナリオでは開いているはずのレストランで時間を潰し県道脇の空き地にテントを張る予定であったのだ。頼みのレストランは町外れ、土曜日ということで閉まっていた。空き地まで300m。様子を見に行ったが土の凸凹面があったのみ。ちゃんとした芝生があるこのレストランの庭を使わせて貰うのが得策。そこで前から用意していた巡礼の説明文でもって家の呼び鈴を押す。嵐(20分前)。4人が替わり交代に出てきて話を聞いてくれた。庭の好きな所を使ってもらっても良いとのこと。(嵐10分前) 天気模様が悪く今にも雨が降りそうだったのでトラクターなどが置いてある納屋を使うことにした。トラクターやいろんなものがおいてあったが適当に動かしテントスペースを確保しテントを張り終え中に全ての荷物を入れ終えたその時だ。突風が吹き始め木々が大きく揺れ出した。パラパラと雨が。それがパラパラと変わり始めた。トタンの屋根が破れるかと思うような大きな石がいや雹が降り始めた。辺りは真っ暗に。天井があるものの、後ろも前も開いている。そこを風が通り抜け雹がテントをも襲いかかる。もうテントが危ない。ポールを外してペチャンコのテントにした。それでも隙間から雨が降り注ぐ。隙間を全部閉じて窒息状態のようにして初めて雨が中に入らなくなった。風速40mの突風に紛れて雹が容赦なくテントに降り注ぐ。もう生きた心地がしない。外は雹粒で真っ白。でも直ぐ溶けていく。2,30分辛抱しただろうか。雷鳴が遠ざかり明るくなってきた。近所は排水のチェックなど。県道には木が倒れ込んで道路を塞いでいる。ベートーベンも経験したであろう。ドイツのストーム。第6交響曲「田園」そのものとすればティンパニーはもっと激しく叩かねばならないだろう。オケも最も激しく楽器が壊れるまで弓をならさなければならいだろう。ストームは日常のとと言うが此ほど激しく危険な嵐は珍しいとのこと。小生初の経験で肝が潰れた。浸水したらテントとずぶ濡れになった小生をみてレストランの主人が客室を使えという。まさに天国。10畳、20畳の客室、超でかいシャールームなど自由に使えと。一宿のお礼に朝靄に煙る牧場をスケッチし館を後にした。 7/5(日) Bremen(ブレーメン)・・hostelには住宅街を縫うようにして辿り着く。今までの雰囲気とは違い4、5階建てのビルが続く小都市。 日曜日はレストラン意外全ての店は閉まっている。中心街にある「Bremen Stadtmusikanten :ブルーメンの音楽隊」の彫像さえ見れればここに来た意味がある と勇んで出かけたものの肝心の彫像がなかなか見つからない。方向感覚も希薄になりかけているのであろうか。近くにある有名レストラン 「Bremen Rastskeller :ラーツケラー」をGoogle Mapで検索して初めて分かった。出店のパラソルの影で見えなかっただけである。電車通りをおとなしく進めば良かったのだ。 さて今後の身の振り方は次の課題で決定である。 不味いパンの生活はもう懲り懲りである。いまは青椒肉絲かソーメンが食えれば小生は蘇生する事が出来る。特にのどごしのよいソーメンを食すまでは死ねないのである。日本に帰る目的はこの2つ。 Hostelで教わっていたChinaレストランに行って青椒肉絲を注文して見た。ピーマンの代わりにインゲン豆と茸 味は似ている。たっぷりの牛肉。とても辛い味つけ。直前で聴いていたドイツ音楽。これらが小生を蘇生させたようである。旅を続けよう。 総集編その2(ドイツ)に飛ぶ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Nov 5, 2015 11:39:36 PM
コメント(0) | コメントを書く
[ジョグ&スケッチ] カテゴリの最新記事
|
|