カテゴリ:カテゴリ未分類
The 7th report from France.Spain.フランス・スペインから第7報(16th-22th Sep)
I still walking camino der Norte,around of Asturias of Spain,detaily at Cadavedo. ■歩行count--100から900までの歩行カウントについては杖のtopに置く指で100台をcount upすることは以前書いた。 左親指、右親指、右人差指、左人差指のon、offを1、0で示すと 000台--0000 100台--1000 200台--1100 300台--1110 400台--1111 500台--0000 600台--0010 700台--0011 800台--0111 900台--1111 2進方を使えば15まですなわち1.5kmまでカウントできるのであるが途中からの変更は混乱する、しかもややこしい。 ただ上記カウント方法では0台と500台、400台と900台が同じ形である。ボルドー辺りからこれを改善している。400台では人差し指を動かし900台では親指を動かすようにして区別し、500台は0台と区別するために400台同様人差し指を動かすようにしている。手の位置と動いている指の違いで何台をカウントしているのかがたちどころに分かる仕組み。 カウントは距離を計っているためバス停などで台形の形を歩むときや斜め横断のときは3歩に1歩はカントしない。きつい坂道では右足カウントに半歩の隙間をあける。すなわち右足カウントに半歩追加して左足カウントを行うというように間引きしながらの歩行とする。 ■タオル フランス・ブルターニュに住むcaminoの友人宅へお土産として日本のタオルを持っていった。乾燥が早くとても便利だと。ところがキョトンとした顔をしている。キャンプ場でも気付いていたのだが薄いタオルが干されていない。バスタオルばかりだ。アルベルゲで青年に聞いてみた。君たちはタオルを使わないのかと。Noという。"タオルに石鹸を付けて背中をごしごし"という文化を持たないようだ。素手で身体を洗う、背中のまん中に容易に手が届くという。Marcにも聞いたことがある、 唯一両親はスポンジを使うと。 どのアルベルゲでもタオルは皆無、みな素手なのである。 逆に言えばタオル文化をヨーロッパに広めるビジネスチャンスではないかと考えた。 ■矢印 camino道には黄色い矢印の他に青地で黄色の浮き出しのあるVieira(ビエイラ:モホン)という、帆立て貝をデザインした11本の線と貝の頭から構成される)のシンボルマークがある。台形のコンクリに埋め込まれたものが多い。銅板、陶器など様々な形がある。北の道の巡礼も2週間になんなんとするのに初めて方角を指していることに気付いた。いままで黄色の矢印とsetだったので気にも留めなかったqがAsturias州に入ってからは帆立て貝だけの時が多くなってきた。帆立て貝の頭が右を向いているときは右へというように、上向き、左右、真っ直ぐ(地面)の種類があり、見落とすと大変なことになる。 その他マークに"BICI"があるがバイク用の誘導マークである。矢印に"A"が添えてあるとアルベルゲに誘導してくれる。 市内に入るとマークが消えてしまう。この場合は大体西に進むか教会に向かえば間違いがない。 16th Sep(Fri) S.Vincente de la Barquera --Acebosa--Serdio--Pesues--Unquera--Colombres(Astrias)--Buelna--Pendueles--Andrin--Llanes(La Casona del Peregrino Hostel) 雨の中7:10出発。いつも思うのだが重いリュックが身体にまとわりつく感じはサイボーグを背負うか、歩行補助の機械を背負うのと似ておりがっちりと体に食い込む。四股を踏むような体勢で一旦リュックを膝に乗せる。それを一気に肩に担ぐのだ。ポシェットのバックルがリュックに挟まれて痛い。すこしポシェットをづらしバランスを取ると調子がよい。今朝もMarcを待って出発。古城の石畳を降りていく。 国道を7kmほど歩き暫く歩く。川をわたりAstrias州に入る。 Colombres 10:00着。10:10-カフェコンレチェ休憩。 やっと小雨に。 イタリア人Giacomoジャコモとも行動を共にする。Marc、Giacomoのsetをあとにしてspeedをあげる。あとは1人旅だ。Lianes(ヤネス)までは殆んど国道を歩くという超高速のバスク人Javierヤビエルと途中から一緒だ。40代で独身、ポリスだという。漫才の阪神巨人の巨人に似ており早口でまくしたてるところもそっくり。アルベルゲに着くまで一回も休まないという。こういう人と一緒なら潰れてしまう。途中から1人で行ってもらうことにした。ただこのルート海岸コースが用意されている。Penduelesまで戻るか脇道を取り、海岸コースに合流するかの選択肢が可能なpoint であることに気付く。ところが目の前を男女の2人組が通りすぎ案の定大きなジャンクションで地図を見始めた、Llanes まで国道で12kmの地点でもある、追い付いたので脇道からcamino 道に合流する道があることと、こちらの方が10kmで短く景色がよかろうと説得、しこうしてここから海岸コースとなった。Bufone de Arenillas海水による噴出を見学 延々海岸コースを歩く。当所の宿泊予定のAndrin で15:20 サラダ+コーク休憩。電池28%とやばい状態。このスマホ 電源を入れたまま充電すると接点の調子でピンポン、ポンピン・・・と音がする。どうも接続端子が甘くなっているようで注意が必要。歩きながらの充電は中止。 この海岸コース思わぬ落とし穴が、GRコースなのでトレッキングコースとして整備されている。 よって距離は度外視だ、Cueの町を通りたかったのに、丘の上から見下ろすだけで下ろしてくれないのだ、Llanesの町までもがだんだん遠ざかっていく。延々5kmくらい遠回りをさせられた。My MapではCueを通る車道が示されている。僅かな地図のよみちがいとGRのマークを信じすぎた事による。スマホの電源を殆んど切っているために分岐点ごとに電源を入れ直すのも煩わしい。あぁ2、3日もつアップルスマホが欲しい! Llanes の町、旧市街の佇まい。素晴らしい、教会でミサをやっていた。スケッチをしていると皆が寄ってくる。一部始終を見届けてから立ち去る。こういうギャラリーを抱えつつたった5色(赤青黄白黒)で全てを表現するのはきつい。あぁ24色が欲しい、荷物を減らすための苦心ではあったが。 ホテルで進められた郷土料理店で久々の贅沢な食事。。店でドイツ婦人Annaと20:30に合流する。 ミュンヘン近くに住むという。フルコースにワインがついてたったの11ユーロ。 17th Sep(Sat) Llanes--Poo--Celorio--Barro--Niembro--Naves--Nueva--Cuerres--Pineres de Pria--Toriello--Ribadesella 7:17 Anna と一緒にスタート。 11:40-11:50 12:30 丘の上 教会の鐘 19-01-014 790m point Cuerres通過 12:50 JAVIER ヤビエール 14:45 Ribadesella 到着。 バスク人JavierはBarで アロスコンレチェ--米をミルクで焚き甘くしたデザート。 別のBarでChristian winterと会う。 18th Sep(Sun) Ribadesella--San Esteban--La Vega--Berbes--La Esoasa--La Isla--Colunga--Pernu--L Llera--Prieca--La Vega-- Sebrayo--Tornon 7:25 出発。8:42 海が見える場所 9:17 良い景色 山と牛と海の組み合わせ。 10:12 海岸べりで軽食休憩。La Espasa近く 10:56 Isla 13:00-13:20 軽食休憩 13:55 La Llera 14:50 Sebrayo アルベルゲ通過。 15:30 Tornon のアルベルゲに到着も10人分は予約で満杯だと、 Igouとともにテント場をさがす。ユーカリ林の素敵な場所を探しあてここで長時間14時間過ごす。 Igouがご飯をコッヘルで焚きだした。20分も炊いているのに芯がある。 最初強火で6分、弱火で10分。、蓋をきっちりしたままの保温を提案してみた。日本では「赤子泣いても蓋を取らず」だと英語で言おうと思ったが「蓋」がでて来ない。きっちりした蓋ではなく少し開いているので上手く炊けなかったのかも。しかし覆いをして待つこと10分。そこそこ美味しい。このご飯と豆をmixし夕食の一時。 19th Sep(Mon) Villaviciosa--Grases--Nieveras--Pion--La Olla--Campings Deva--Gijon 10:48 峠 rest 11:40 pionでsports drink休憩。 あと3kmでBar有りと"閉店中"のレストランのオーナが言う。恐らく車での距離を言ったのだろう。普通の人に道を聞いてはいけないのだ、こちらは辛いcamino 道。急坂につぐ急坂。4kmも歩いているのにレストランの影さえ見えず。高速を潜って2kmもたった頃 郊外型レストランLa Curuxaを発見。むさ苦しい格好ながらテラスで昼食。 13:10-14:35 8ユーロ 少し贅沢だったか。 1st--Fabada Asturaina(豆とソーセージの煮込みでAsturaina の名物という。) 2nd はチキン。 さてGijon まで5km 1.3km降りた所にキャンプ場あり。巡礼には5ユーロという破格の値段でキャビンを提供している所。入り口に近い四辻にフランス人夫婦が立っていてたので声を掛ける。なんとブルターニュからだという。Jacqueと Pochonと言う。話が盛り上がりキャンプ場のカフェテラスで続きの話を。すっかり打ち解けあったが、小生は電話予約したばかりの市内のホテルへと。 15:45 出発。 16:20-40 スーパーにより買い物。 無花果いちじく Higo Blanco グレープフルーツ:Pomero カップヌードル:Yatekomo Gallina Blanca などを買い求める、 Gijon のアルベルゲで一緒になった女性はポーランド学生の2人。デンマークからのご夫人、マドリードに住むスペイン男性の5人。男性はチベット人と友達だといい、数珠を手首に巻いていた。ビーチからのサンペドロ教会の景色が 一番だという。明日はスケッチタイムを設けもう少しゆっくり歩いてみよう。 20th Sep(Tue) Gijon--Verina--Santa Eulalia--Tamon--Trasona--Aviles(アヴィレス) 8:30-45 Gijon浜辺でスケッチ 巡礼一人も通らず 10:57 工場を抜け丘を上り詰めると平坦 軽食休憩11:24 出発。 14:50 Aviles アルベルゲ到着。雲ってきたので今日は終わりとする。余った時間で少し今までのことを整理。 Juan ignacioユアンはバイク人。毎日100kmを飛ばすという、イルンからSCまでをたったの8日間。8時出発-15時到着の日々という、 PEPIN ニックネームはぺピン JOSE ホセが名前のガリシア人と.S.Vicento de la Barquera から4日くらいアルベルゲで一緒。 Jacques Pochon 夫婦とアルベルゲで再会。ブルターニュでは井本勝が有名であると。水で全てが治るとーいう、 The film lumiere Masaru emoto The book la revolution d`un seul brin de paille などインタネットを調べよという。 21th Sep(Wed) Aviles --Salinas --San M.de La--Vallinas --Naveces--Antiago del Mont.--Ramon--El Castillo--Muris de Nalon--El Pito--Las Duenas--Rellayo--La Magdalena--Sotomayor--Soto de Luina 5:30 起床 7:00出発。 10:00 Santiago de monte(まさにmonte、monte 登り登りの村である。)の先、2km最初の休憩。 12:20 丘の上の町、Muros de Nalon でBar休憩。手前の丘の上でドイツ人母娘と会う。Panasonicのカメラを持ちながらセルフタイマーを使った事がないようだ。娘さんが操作をし仲良く3人で記念撮影。開放されたひとときだ。-12:45 Camino 道らしい土の道を下る--山の中--13:06 4.2km ほどカウントしていたらEl Pito に到着。静かな街道、ユーカリの大木の並木道。広大なイギリス庭園が右手に広がる。教会あり。名所のようだ。 このメモの直後左折しなければならなかったpoint を飛ばしかなり遠回りをしてcamino 道にもどる。 今日のテント場に15:00に到着。しかしながら松林と棘のある雑草に覆われた場所。僅なspaceもあるがこのままSoto de Luinaニャ に進む。2km手前の村はチロルのような素晴らしい景観。岐阜県恵那市にある棚田を思わせる斜面はこちらでは牧草。車道がそこを縫っている。camino 道は農家の庭先をかすめるようにして通っている。 16:45 Soto de Luina 到着。 パラグアイからのgeorg ジョージと会う。 Hosptalero(ホスピタレロ) のPepeが19時に到着。 明日のコースについて詳細な説明。コスタコースが良いであろうと。WiFiの無いアルベルゲであるがBarに行くのを止めスーパーで買ってきた食材で食事。イタリア人Giacomo と一緒。今日のコースは38kmにup-down850mを考慮すると47kmレベル。よく歩いたものだ。 22th Sep(Thu) Soto de Luina --Valdred--Albuerne--Novellana--Castaneras--Santa Marina---Ballota--Tablizo-Ribon--Friera--Cadavedo--Villademoros--San Crstobal--Queruas--Canero--Puente de C.--Barcia--Almuna--Luarca 5:30 起床。Soto de Luina から1.5kmほど行くと山コースと海岸コースの分岐点がある。昨日ほどの起伏がないものの今日も34kmほどの長丁場。 N632aの国道を下り、谷に下りて登り返すという行程を5回ほど繰り返す。100mのup-downは身体にこたえる。4回目で計測をしてみた。谷に筋ルートは1.7kmであるが国道による大回りは2.7kmもあった。しかし例のup-downを10倍するという計算方法では谷筋ルートは3.7kmレベルとなり国道のほうが楽という計算。忠実に国道を歩くcamino もいて面白い。この海岸コース、名前がよいが海岸は少ししか見えず大部分は深い森の中。山コースのほうが良かったのかもしれない。今後"コスタ(海岸)コース"は"海岸に近いジャングルコースかつup-down非常に厳しいコース"と名前を改めるべきではないだろうか、 10:00 Santa Marina Barでカフェコンレチェ休憩。 12:30-13:15 Cadavedo の上で昼食休憩。 14:55-15:00 Rarcia My Mapでのpoint 17_07_004 b 休憩。 15:54 Luarca 着。 Maps.Meによる現在位置確認は3分以上かかる上、結局"分かりません"とoutputされることがしばしば。もう使うのは止めにしよう。バッテリーの消費も甚だしい。 My Mapだけで十分である。あらゆる曲がり角が正確に記されているから寧ろ電源を入れっぱなしして常時My Mapを見るようにすれば現在位置確認の必要は無い。 Luarca の町に比較的早く着いたもののアルベルゲ的には最終客に近くすごコンプリになったようだ。北向に港が開けた意外は東西と南側に急峻な崖に囲まれた谷底のような町にである。camino 道から町に下りていくところで老人がアルベルゲまで案内をしてくれた。きつい坂道を何回も登り降りしているにであろう、足腰がしっかりしている。途中の見事な景観を描こうとしてこの道をまた戻っていった。camino 道を逆に歩くということは前向きのマークが見えないため至難の業。ポルトガルへの道が逆コースとなるためそれこそマークを頼らずMy Mapのみで進行しなければならない。覚悟をした次第にだ。本日の行程は計画時点より17kmアドバンスである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Nov 20, 2016 05:54:05 PM
コメント(0) | コメントを書く |
|