Île de Bréhat ,2016.8.18-Memoirs8(回顧録8)、主婦業_story(4204)2016.11.21
My recent job is house-keeping(prepare breakfast ,baked bread ,washing dishes, washing clothes also receiving Co-op weekly delivery goods so on everything with gusto and passion . It is my pleasure to walk as housewife right now after long journey.
Today's memoirs is about 18th Aug(Thu) .We went Île de Bréhat via La pointe de l'Arcouesr at west Bretagne and trailed about 20km.
【Memoirs8】
2016.8.18(Thu) フランス・ブルターニュの旅 Plouézec(プルエゼック)からÎle de Bréhat(ブレア島)往復、ブレア島トレッキング。
**Onsite Report(現地からのリアルタイム・レポート)は第2報告(8/13-8/19)の第6項を参照ください。**
Houze(オーゼ)夫妻の家があるPlouézec(プルエゼック)から14km離れたLa pointe de l'Arcouesr(ポワント・ドゥ・ラルクエスト)へ。そこからフェリーに乗って1km北にあるÎle de Bréhat(ブレア島)へ向かう。潮の満ち干により船着き場が変わるという。長いスロープはその分を考慮して作られているが、さらに潮位が下がると、歩道が現れずっと先のpointになるという。合計3箇所の船着き場が用意されている。
島は2つに別れ、その間は橋で結ばれている。道が縦横に張り巡らされているが、農耕者を除いて車が禁止されている分レンタル自転車が頻繁に通る。我々はさらに海ぎわの、潮が引いたばかりの浜辺、時には海藻の上を踏みながらトレッキングしていく。
時々は陸に上がったりしながらup-downを繰り返す。夫婦は10回以上も来ているというが毎回別の道筋のようである。
地名は「Ot Plat」「Phare du Paon(パオン灯台)」「Le Port Clos」「Ti an Douristed(Office de Tourisme)」などブルターニュー語(ブルトン語(Breton))で書かれている(時にはフランス語と併記)。この地域はもっともブルターニュー語を喋る人口が多いという。婦人のフランソワの両親がブルターニュ語を話すという。ミシェル氏自身も2年間学習して身に着けたという。
それぞれを解説してくれる。最北端にある灯台を見たらUタウンである。島を半周して帰路についた。
今回はGeographicaでGPSログを取りながら進んだが、その肝心のデーターはタブレットの中。そのタブレトは今修理が終わり手元に戻ってきつつある状況である。データが残っていれば写真なども含めてこの回顧録に掲載できるのであるがどうだろうか。ディスプレイは一応直ったようである。(ボルドー以降北の道のVilalbaまでは文鎮と化していたが捨ててこなくてよかった。)