カテゴリ:世界文化遺産
Cádiz-2,2016.11.1-Memoirs83(回顧録83),Pastorale_ story (4277)2017.2.4
Memoirs・・Cadiz was concatenated 2 part,the northern part is the Old Town with square streets in the old part like the Dejima in Nagasaki and South part is the New Town with 3km long beach,overall this city is similar to the city of Kyoto . Today・・・I went to listen to the concert at Kioi-Hall Onsen chamber Orchestra played Ludwig van Beethoven Symphonie Nr.6"Sinfonia pastorale" . 【Memoirs82】2016.11.1(Tue) **Onsite Report(現地からのリアルタイム・レポート)は第13報告(10/28-11/3)の第4項を参照ください。** Castillo de Santa Catalina(サンタ・カタリナ城) (sketched at 9:01 in angle of 240°) 茶色の部分が引き潮で海底が露出している。左奥がサン・セバスティアン城 今日のコースはCádiz(カディス)の町歩き。凡そ徒歩7km。 一泊13€という破格のホステル-De Cadiz Cadi Hostelではアラブ系の男性2人が同室。8人部屋に4台のベッド。皆下の段を占有している。シャワーとトイレの部屋は隣でかなり広い。 洗濯物は、リネン室のようなスペースが奥にあり空を仰げる。縦にビルが出来ているためこんな芸当ができるのであろう。グランドフロア以外は玄関からすぐ階上にいく階段があり一般住宅となっているようである。 Sevillaと違い、ここは整然とした区画の中にびっしりと家屋が連なり3-4階建てと決められた町造りとなっているようである。狭い通りを挟んで向かいの家が迫る。外目からはホステルであることが分からない。 小売店舗はこういう住宅のグランドフロア部分をぶち抜いて面積を広げたものや、もともとの一軒家の部分で店を経営している。間口が狭い店では、商品名を言って取ってもらう形式。 卵だの、缶詰など、すべて口で言わなければならない。たまたま店の壁にあるものは手で指して取ってもらう。 朝の早い時間は建物の影に町中が覆われている感じで東に伸びる道路に出るか、海岸線を歩かない限り暗い。Falloシアターの広場を確認。本日19:00にここで現地在住の人にあうのだ。通りを曲がり、日の指す方向へ。しばらくすると海岸に出た。 カディス大学(Universidad de Cádiz)のFacultad de Ciencias Económicas y Empresariales(経済・ビジネス・教員過程)の建物があり、その校門前にFicus(フィクス)という名の大木が植わっていた。根がものすごい。樹齢数百年の大木が一角を埋めている。 Ficus(フィクスという名の大木)(8:39) 城をスケッチ。早朝ランニングする人達や、干潟で何かを漁る人や、船の手入れなどとよくある”ビーチ沿いの風景”が展開されている。 北側にCastillo de Santa Catalinaが、南側にCastillo de San Sebastiánがある。後者は約1kmほども突き出た突堤の先にある。La Careta湾に面するビーチLa Playa de la Caleta(プラジャ・デ・ラ・カレータ)は信じられないほど美しい。 (海岸線)(9:35) そこを出て、出島のような部分の南側はAv.Campo del Sur(カンポ・デル・スール通り)で、大聖堂(Catedral de Cádiz)が聳える。その横にある古い建物がTeatro Romano (30 a.C.)で、大聖堂の元の形であるという。Plaza de Catedralで一服し聖堂をスケッチ。Barの桟敷を使わせてもらう。まだ開店前でオーダーは受け付けていない時間帯。 (Catedral de Cádiz from Plaza de Catedral (広場からカディス大聖堂)(sketched at 10:54 in angle of 240°) 大通りに進み出て東側の旧市街を散策。Palacio de Congresos de Cádiz、Iglesia Conventual de Santo Domingo、Parroquia de la Mercedなどの建物群を縫うように展開される極細の路地群。なかなかスリルがある散策である。町角に行列のできるパン屋があったので並んでみる。菓子パンなども多く、バケット一本などを所望。 Torre Tavira(タビラの塔)があったので登った。360度の絶景であるが、さらに潜望鏡のような筒が天高く伸びていて、自動で回転して撮影される景色を下の展示室で観ることができる。こちらは上映時間が決まっている。 カディスの町並み(北側)(16:48) カディスの町並み(南側)(16:49) 大聖堂の奥が3kmのビーチ) (Catedral de Cádiz from Plaza de Catedral Calle Benjumeda(ベンフメダ通りの町の風景)(sketched at 12:33 in angle of 300°) よく似た通りは5万通り。すべてT字路のような景観。道が微妙に曲がっているからだ。 19時約束の待ち合わせ場所のGran Teatro Fallaはオペラなどを上映する劇場である。その時間ともなると町はお祭り騒ぎ。マリア像を担ぎだした行列が歩き、楽団が続き、人々がそれを見守る。ものすごい人込みである。 待ち合わせたMaria Rosaのご主人が髭もじゃの大男。彼がその列を掻き分けて先頭に出ていく。小生もそれを追いかける。先頭から写真を撮ったほうがよいであろうとのこと。Videoでも小生を撮影してくれる。なかなかのおもてなしであった。 (行列)(19:15) 採れたての魚介類を天ぷらにする店が大繁盛。昔よく見たたこ焼きを包んでいた半紙ほどの大きさの紙を漏斗状に作ってその中に天ぷらを入れていく。オーダーした種類別に包装されるのだ。 4,5個の紙包みを持ってテーブルに着く。5人分のジョッキが運ばれ乾杯。 談笑につぐ談笑。スケッチブックはCamino del Norte のMaariz (マーリッツ)から描きとめた1冊であるがそれを一枚一枚見ていく。その一枚一枚を写真に撮り始めたからたまらない。 手を振りかざした瞬間に、その手がジョッキに触れた。大きな音を出して床で割れた。隣の女性の背中までもビールの液体が飛んでいる。しかし「いいですよ、いいですよ。」とにこやか。その音も問題にならないくらいに店は活気に満ちあふれ、声が行き交っていたのだ。ほんの小さな出来事で何もなかったように時が過ぎる。店員が飛んできて掃除を始めた。我々はお代わりを注文したり、天ぷらを平らげるまでその店で粘ったものだ。あとは市内を歴史散歩。 馬車が狭い道を行き交うため通りの角々には衝突防止の杭や、鉄板で出来た黒いガードがあるのを教えてくれる。階上から投げ落とされた排泄物を流す溝だった部分がへこんでいる。家々の壁は地上から高さ50cmくらいに色を塗り分けられている点、ペスト蔓延で石の凸凹に菌が付かないように白い漆喰で建物を覆いつくした事、等々詳細な説明が次から次に語られる。 4人とも、造形の専門家である。微に入り細に入り町の説明は続く。・・ Map : Cádiz (カディスの地図) 徒然の記 ■カディス・・孤島だった島が、南からの砂丘の延伸で陸地と繋がった。中心部では埋め立ても行われて現在のカディスという都市が造成された。鶏の形と似た形状で、ネックの部分が砂丘である。頭の部分が長崎の出島といった感じである。川をさかのぼったところにあるSevillaをしのいで一大貿易港となったカディスは、アメリカとの貿易をスペイン国内の3/4を賄った。。アメリカ文化の象徴であるハローウィンが盛大に行われる背景ともなっている。大富豪が活躍した18世紀の建造物が多くを占める。コロンブの4回の出帆のうち2回がこのカディスである。 通りが碁盤の目であるのは計画的に町が拡張されていったためのようである。Sevillaと大きく違うところであろう。島だった時代の最上部にTorre Tavira(トレー・タビラ タビラの塔)が建っており町全体が眺望できる。 ■音泉(おんせん)室内合奏団 天満敦子(Vn),音泉室内合奏団 曲目 ヘルメスベルガー2世:悪魔の踊り, ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番, ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」 この合奏団は長野県松本を拠点に年に3回ほど演奏し、そのうちの1回が東京公演という。指揮者を置かないスタイルであり、面白い。今回が第50回。 我々が定演で演奏する田園が取り上げられているので向学の一環として紀尾井ホールに聴きに行ってきた。 コンマスが指揮者の代わりをする。全体に見事な演奏であった。 ヴァイオリン協奏曲ではソリストがviolin1 violin2 viola celloの半円形の中に立ち方々と向き合い協奏する姿を始めてみた。指揮者がいない分聴衆には見やすく、曲作りの困難さを思うが楽しく聴けた。 田園・・Pastorale(牧歌)・・この英語訳はcountry。日本の初演が1918年久留米俘虜収容所(*)で、半年後に上野東京音楽学校(芸大)で。countryの邦訳として日本の農村風景をイメージし、”田んぼの園”すなわち”田園”を当てたようである。まさにこの年内務省の先導の下に渋沢栄一が『理想的な住宅地「田園都市」の開発』を目的とする田園都市株式会社(東急電鉄)を創設している。”田園”という言葉のはしりが1918年であった。(町の「田園調布」は1923年分譲が開始された。) (*)・・久留米ではいろいろの楽曲が初演されている。ドイツ人捕虜たちがいかに芸術性が高かったと驚愕。 1916年にベートヴェン交響曲8番、5番、1番、 1917年に7番、 1919年に9番。 田園・・難しい曲である。木管のソロで決まってしまう感が否めないが弦も難関。心せねば。 アンコール:violin カザルス 鳥の歌 パリー:イギリス組曲より「エアー」 ヘルメスベルガー2世:悪魔の踊り より (2016.2.4(Sat) 18:30-20:45 以上京王線車中からblogをupしました。) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Feb 8, 2017 12:47:37 PM
コメント(0) | コメントを書く
[世界文化遺産] カテゴリの最新記事
|
|