オンライン・コンサート、ロカマドール、世界では新規感染者数過去最高を記録
On-line concert,Rocamadeur,max infections number of Covid-19 _ story (4450)2020.6.27
Brazil, the United States, India, and South Africa are competing for new record high daily new infections of coronavirus .
In Brazil, it recorded +54,771 on 6/20. The United States had 6/26 +40,943, India had +17,296, and South Africa had +6,574 (6/26 on Brazil had +39,483). Max recorded was +183,084 on 6/6 worldwide. June 26 was 179,982, the second record in the past.It has been changing at a tremendous number. It may be called the second pandemic. The Americas are hot spots.In Japan , new cases of coronavirus are once again rising including among young adults. The nation's daily tally surpassed 100 on Friday for the first time since early May.
The work situation has changed, such as car commuting and teleworking. Big data has begun to verify that the number of infected people in East Asia is small, it may be due to genetic factors. Vaccines are also in a fierce development race.
ブラジル、米国、インド、南アフリカが1日の新規感染者として過去最高の更新を競争している形。ブラジルでは6/20に+54771を記録。米国は6/26に40943、インドが17296人、南アフリカが6,574、(ブラジルの6/26は39483)。全世界では6/6に183,084を記録。6/26は179,982で過去2番。ものすごい数値で推移している。第二パンデミックとも呼べなくもない。南北アメリカがhotスポットである。この中日本では昨日は100名を超えたものの非常に低い値で推移、外に出なくなった老人に替わり、20,30代の若者に感染者が目立つ。車通勤、テレワーク定着などと勤務実態が変化してきた。東アジア圏で感染者が少ないのは遺伝的要素もあるのではないかとビッグデータからの検証がスタートしている。ワクチンも猛烈な開発競争である。
■今週の1枚 reproduction from a piece of Polish Bydgoszcz University of Music (ポーランド ビドゴシチ音楽大学の一枚(模写2020.6.27)
ピアニストのラファウ・ブレハッチが学んだBydgoszcz(ビドゴシチ)音楽大学の一室の絵。
油絵キャンパスの生地も目立つ素敵な色合いの絵が音楽大学のピアノのある一室に飾られていた。それを再現出来ないかと水彩画で試してみた。鉛筆でわざと皺めを書き込んだりして模写してみた。見た感じはこんなものか。ビドゴシチ市はワルシャワから西北200kmにあり、人口はワルシャワ、クラクフ、グダニスクに次いで4番目の都市だという。市内にはビスワ川の支流のブルダ川と、ビドゴシチ運河が流れ、小ベルリンと呼ばれる美しい町である。バルト海対岸のスウェーデンの影響を受けた切妻屋根の家屋が色とりどりに並んでいてむしろオランダにある景色のようだ。この絵の素朴な佇まいは18-19世紀といった時代の風景画であろう。
目次
徒然の記その1 Covid-19 日本・世界状況
徒然の記その2 オンライン・コンサート
徒然の記その3 最後? 松の剪定
徒然の記その4 ロカマドール(Rocamadeur)
徒然の記その5 吉村昭著「三陸海岸大津波」
徒然の記その6 梯久美子著「サガレン」
徒然の記その7 1/2の原則
徒然の記その1 Covid-19 日本・世界状況 2020.6.27(土)
■日本など東アジア諸国の感染者、死亡者が欧米のそれに比べて極端に少ないのはなぜだろうか。ファクターXとして遺伝子もかかわっているのではないかと。膨大なデータをもとに解析が始まっている。何らかの抗体を持ち、ウイルス耐性ができ上っていうのではないかと。
普通はウイルスが来るとIgM(免疫抗体グロブリン-M)が出来る。これは弱くすぐ無くなっていく。抗原にくっつくものが選ばれて行き、IgGという特異性の高いものができるという。日本人の場合はこれが逆で、新コロナと近いファミリーのものの抗体が既にあるのか、いきなりIgGが立ち上がり、遅れてIgMが立ち上がる。IgMが最初にグッと上がる人は重症化している。最初にIgGが立ち上がる人は軽症か中症という。こんな状態なのに米国産のワクチンで大丈夫か。日本製で十分な治験のワクチンが欲しい。
模式図を下記に示した。児玉龍彦先生のYouTubeから。
このようにさせる原因ーファクターXはなんだろうかと。症状が出ている陽性者の完全隔離と治療を徹底して行うことによりこの新コロナウイルスを克服していけるのではないかと。感染者がほぼゼロのタイ王国やヴェトナム、2桁の豪州やNZとの往来がビジネスマンを中心として可能となろうとしている。新規感染者が毎日100人近い我が国をよくぞ受け入れてくれたものである。相手国からは当然2wの待機を要請されている。
さて、世界へ目を向けると、1日の感染者が過去最大を更新し続ける国が多く、まだまだ緊張が続く。
・6/19 夕刻から「接触確認アプリー:COCOA」がダウンロードできるようになったが、早くもバグで使えなくなった。せっかくスマホに入れて街に出かけようとおもったのに。当分、自衛を強化しよう。
■世界分析グラフ・・(ジョン・ホプキンズ大学データ 2020.6.26 午後9:33のデータに基ずく)
世界の感染者は6/26 PM9:33現在、感染者963.6万人(前日+18万人 先週比+109.3万人)、死者49万人(前日+6,675人 先週比+3.5万人)。
感染者数は米国、南米が急増。top10にペルー、チリが入って順位を上げている。
Top14ヵ国の数値
凡例:感染者数世界順位、国名(人口 百万人単位)、感染者数、+昨日の感染者、死者、+昨日の死者、百万人当たりの死者、過去2W,1Wの合計感染増加率、過去2W,1Wの合計死者増加率。
0.世界(7,713=77.13億人以下同) 9,635,935、+179,982、489,922、+6,675、63.5、1.15、1.09
1.米(329.1) 2,422,312、+40,943、124,415、+2,436、378、1.38、1.3(新規感染者数40,943は過去最高、死者も増えてきた前週の1.3倍)
2.ブラジル(211.1) 1,228,114、+39,483、54,971、 +1,141、260、1.43、1.06(新規感染者数39483は、米国に次いで2番目。)
3.露(145.8) 619,936、+6,788, 8,770、 +176、60.2、0.9、0.83
4.インド(1,366.4) 490,401、+17,296, 15,301、+407、11.2、1.32、0.67
5.英(67.5) 309,456、 +1,119、 43,314、 +149、 641.7、0.83、0.93
6.ペルー(32.5)268,602、+3,913、8,761、+175、269、0.82、0.95
7.チリ(19.0)259,064、+4,648、4,903、+172、259、0.48、0.89
8.スペイン(46.7) 247,486、 +400、28,330、+3、 606.6、0.87、0
9.伊(60.6) 239,706、+296、34,678、+34、572.2、0.77、0.47 (感染者、死者とも激減)
10.イラン(82.9)217,724、+2,628、10,239、+109、123.5、0.98、1.16
11.メキシコ(127.6)202,951、+6,104、 25,060、+736、196、0.94、1.4
12.仏(65.1) 197,885、+0、29,755、+21、457.1、1.19、0.58
13.パキスタン(216.6)195,746、+2,775、3,962、+59、18.3、1.08、0.95
14.独(83.5) 193,790、+499、8,959、+23、107.3、0.78、0.72
23.スウェーデン(10.1) 65,137、+1,247、5,230、+0、517.8、1.43、0.89 集団免疫を謳い文句に自粛といった制約は一切なし。感染は増えており順位を上げている。
グラフ1 世界の感染者数
6月23日に世界で900万人を越えた。6/28には1,000万人を超えるのではないか。
直近の2w,1wの比率で1以上の国は88ヵ国で先週より12ヵ国減っている。topはウルグアイの18.9倍、クロアチア9.35など。南米では12ヵ国のうち6ヵ国が入っている。 中米では23ヵ国のうち7ヵ国が入り、中南米が今Hot Spot。
世界top50の人口100万人単位の感染者数累積。
カタール(人口2.8百万)、バーレーン(同1.6)、チリ(18.95)、クウェート(4.2)、ペルーが突出している。米国は漸く下方へ向かったのに中部の増加を受けて上昇傾向。
グラフ2 地域別人口100万人グラフ 地域別感染者数推移と死者数推移
南米(空色の線)の恐ろしいまでの立ち上がり。
グラフ3:日本:クルーズ船を含む感染者累計と毎日の増加分
新規感染者のグラフからは、二次感染のような上昇ではなく夜間出歩く20-30代層の感染が響いている。
グラフ4:特定警戒地域のその後・・
若者の感染を除けば落ち着いたものである。早く日本人用のワクチンを!
隣県の神奈川の例、日本全体でも感染者Total19,029(+105)、重症者52人(-6)、退院者17,050(+130)というようにベッドに余裕が出てきている。死者(0)という数値も誇れる数値ではないだろうか。
徒然の記その2 オンライン・コンサート 2020.6.26(金)
■パソコンやスマホで会員登録をすれば、常時メトロポリタン・オペラが楽しめることをご存じだろうか・・
6/26のマスネーのマノンなら
https://www.metopera.org/season/on-demand/opera/?upc=810004200906
で楽しめた。
また毎晩8:00からベルリンフィルのオンラインコンサートをやっている。
日本語版のURLは「https://www.digitalconcerthall.com/ja/news」
6.21(日)は、1984年から毎年夏に開催されているヴァルトビューネ(ドイツ語:森の舞台)・コンサートの動画を配信していた。
グスターボ・ドゥダメル指揮(髪がもじゃもじゃの指揮者)で、アルトゥーロ・マルケス :ダンソン第2番や。
サー・サイモン・ラトル指揮で、レナード・バーンスタイン :《キャンディード》序曲 、ジョン・ウィリアムズ :映画《スター・ウォーズ》よりメイン・タイトル などであった。
6/28(日)は小編成のバロック音楽が「ザ・ベルリン・フィル・シリーズ:バロック協奏曲集」としてライブ配信される。
有料配信も数多くありそれぞれ格安で楽しめる。日本でも客席を1000席などと絞って行う演奏会に加えて、net配信を有料で行う場面も増えてきており、「with Corona時代」の幕開けとなっている。「出かけなくてもよいかなぁ」と言う機運は本物ではないのだろうが、そういう選択肢も有りなのだという具合に敷居が低くなって楽しめるチャンスが増えて行っていることは喜ばしい。
徒然の記その3 最後の松の剪定? 2020.6.22(月)
■6月は、毎年重労働の松の剪定月である。新芽はすでに30cmも徒長し、その数1万枝。高枝用の剪定ばさみで一つずつ切り落としていく。剪定ばさみには、枝を「つかむ」鋏と、「切る」鋏の2つが付いており2つとも鋏のように動くのでややこしい。枝を「掴んで」「切る」という動作を同時に行うためハサミを持つ方向を間違えると、切った枝が頭の上に落っこちてくる。「枝の外側を持って、内側を切る」という動作に徹しなければならない。要するに切る位置よりも先端を「挟む」。こうすると切った枝を掴んだまま、地上にそっと降ろすことができ、枝を掃き集める必要はなくなる。レモンや柿の場合だともっと真剣に考えないと、切ったレモンや柿が頭の上に落ちてくるから危険なのである。「掴み手」の先に収穫物が、「ハサミ」は常に枝元側という呪文を唱えながら1枝ずつ切り落としていく。松の場合は軽い枝が落ちてくるだけであるが、松脂で頭がベトベトにならないようにするためにもこの呪文が必要。
これらの植木達とは45年来の付き合いだ。すべては1mほどの苗からスタートしている。最初は垣根が無かったものだから家族の要望に応じて、ほんの目隠しの積りで植えていったりした。それに加え、鳥が種を落としていき芽吹くといった調子でジャングルになってしまったのだ。いつか話したオニグルミもその手の樹木でスクスクと大きくなり2階の屋根を超すようになった。そのうち毎年クスサンという巨大な蛾の毛虫が葉っぱを食べ蛹となり羽化していくようになった。ある晩起きて庭に耳をやると「サーッ」と小雨が降る音がした。雨かなぁと思って外にでると何もない。再び音がする方向に目をこらすと、何万匹という巨大緑毛虫が糞をしている音だと気づいたのだ。プロパンを交換する人が怖がるので退治することにした。殺虫剤なんて生易しい話ではない。長い竹を用意し、先端にタオルを巻いて灯油をたらし火を点ける。大屋根に登り、一匹一匹をそれで落としていくのだ。危険な作業である。
秋にはクルミの収穫をしたり思い出の多い木であったが、近所迷惑ということもあり業者に伐採をお願いした。
まぁ色々あったジャングルである。付き合ってきたこの土地。冬到来までに更地としなければならなくなりそう。秋中(なか)には駅近くにある本宅のマンシオンに移り住まなければいけなくなってしまったのだ。まだまだ30年は住みたいと考えたのに涙ではないか。アッシー嬢(女将、カミさん)が高齢のため運転は嫌であると言い出したのだ。油絵のためのアトリエにでもしようかなぁとも考えていたのにも関わらず2重生活は不経済この上ないということで終止符を打つことにした。とどのつまりやっと居宅を一本化することにしたのだ。マンシオンを買って早や18年間、潮時だ。
それこそ向こうの生活は立錐の余地もなく、ストレスのため"若白髪"になってしまうのではないかと。当分はカミさんと重なり合って寝なければ空隙が確保されない。あぁ神よ。助けたまえ。食い意地の張ったカミさん曰く「無花果(いちじく)」の木を植木鉢にして持っていきたいと。 猛烈台風のときはその都度ベランダから居間に移動?
1万冊はあるアルバムもスマホ・アプリの「CamScanner」によるディジタル化を図らなければならない。降ってわいたような作業である。アルバムに関して言うと、1ページずつと思っていた作業は、なんと写真1枚ずつのほうが見やすい。コツコツと毎日の日課として2冊、1時間を掛けよう。外注だと6,7千円だというのでアルバイト料を欲しいくらいだ。写真は個人情報に当たるため剥がしなさいと。はぁーい。膨大な作業だ。
しこうして時間が足りないのである。全部終わってマンシオンに移った途端、暇になって認知症になるのではないか。庭などをいじる「Greenサポーター」に立候補したりして。
徒然の記その4 ロカマドール(Rocamadeur) 2020.6.23(火)
■camino仲間と、ZOOMでフランスの聖地・ロカマドールの旅を共有した。フィジャック(Figeac ミディ・ピレネー・ オクシタニー地域圏、ロット県にある町)から北西に直線40km、徒歩行程約60kmにある断崖絶壁の秘境。ル・ピュイ=アン=ヴレ(Le Puy-en-Velay)からサン=ジャック・デ=コンポステラ(Saint-Jacques de-Compostelle;SJPP)への道「ル・ピュイの道」の途中にあるフィジャック(Figeac)はエジプトの象形文字(ヒエログリフ)のロゼッタストーンを解読したシャンポリオン(Jean-François Champollion)の故郷でもあり市のど真ん中に博物館があって大勢の人たちがレプリカのロゼッタストーンの上を歩いている。
ロカマドールの名称は聖アマドールの名にちなみ、「ロック・デ・アマドール(アマドールの岩)」から由来とされる。
ロカマドールの聖母マリアの伝説は、ルルド(1858)や、パリの奇跡のメダイ(1830)よりもずっと古く2000年前に遡る。一説では、イエスの処刑の後、ユダヤの地エルサレムを追われた聖アマドールが「最初の像」を当地へ持ち運んで来たとも言われている。極端な装飾が施されていない細身の聖母マリアは王冠を被り、その左膝に冠の幼いイエスを乗せている。
崖は上中下の3段階の構造体となっており、上端は標高270mの台地、下端のアルズー川(Alzou)渓谷は138m。この差132mがほぼ垂直の崖となっている。中腹が聖域となっていて、たくさんの建物がひしめき合っている。下の市街から聖域までは200段の階段で結ばれている。昔は、中国チベット地方や雲南省の仏教徒が行う礼拝の苦行、両手・両腕・顔を地面に投げ伏せる「五体投地」に似た「膝突き」で昇ったとされる。今も疲れ果てた巡礼者が四つん這いで上る姿がある。
「上の市街」に相当する「ロスピタレ L'Hospitalet=巡礼者救護所」に残されたロスピタレ門をくぐり、長い下り坂・「聖域の参道 Voie Sainte」で渓谷に密集する「下の市街」へ向かう。
ここは、100km北にあるリモージュ(Limoges:Chemin de Vézelay 「リーモージュの道」の中点)からも近い。フィジャックからは鉄路での日帰り往復などここを訪れる巡礼者も多い。上の段の台地にあるRocamadour-Padirac駅から3km。
徒然の記その5 吉村昭著「三陸海岸大津波」 2020.6.22(月)
■緊急事態宣言解除に次ぐ東京アラートの解除で三陸に旅に出た方からfacerbookに投稿があった。南三陸町から南下して大川小学校を訪問したと。裏山まで20mしかなかったと涙する。当時の悲劇は未だに忘れられない。小生も毎年大船渡、釜石などを訪れ、三陸の「みちのく潮風トレイル」を歩き東北大震災を忍んでいるのであるが、たまたま本を整理していたら吉村昭著「三陸海岸大津波」という文庫本がでてきた。2004年文春文書から発刊され、2011年4月には第10刷として急遽増刊されたものである。おそらく2011年の津波に即して再読したいという読者が多かったのであろう。
この本自身は、明治29(1896)年6月15日am9:33の「明治三陸地震」、昭和8(1933)年3月3日am2:30の「昭和三陸地震」、昭和35(1960)年5月24日am3:00の「チリ地震津波」の3点を取り上げている。この地域は、天正11(1586)年から1960まで9回の大きな津波に遭っていることにも触れている。374年間に9回ということで、平均42年に1回津波が押し寄せていることになる。チリ地震の後でも、8年後の昭和43(1968)年5月16日に十勝沖地震による津波があった。それからちょうど43年目にしての東北大震災である。
この「42年ほどの長さ」が、津波への警戒心を忘却させるには十分な長さのようで、高台にせっかく家を建てても、漁業には不便と言うことで再び海岸近くに建造物を建て移り住むということが繰り返される。
この本にはチリ大津波を除いては何らかの前兆があったと記されているのだ。
すなわち、2wくらい前から鮪や鰯などの豊漁が続き、港では川をせき止めて生簀(いけす)にしたなどと考えられないくらいの大騒ぎであったという。さらに井戸が渇水したり、水位が減少したりと何らかの変化があったという。鳥が一斉に陸の方に飛んできたなど。(不思議なのは、今回の大震災ではそうした予兆が無かったのであろうか。井戸が日常使われなくなっているので予兆に気付くことはなかったのであろう。)
しかし凄いのは、3回の津波のいずれの場合でも釜石地区が死者が少なく、田老はどんな堤防も毎回それを越えてしまって甚大な被害を齎(もたら)したということである。
チリの場合は津波のサイクルは30分という非常に周波数の長い緩慢としたものであったが、他のは5分~10分というサイクルで短く巨大津波が6回ほど襲い掛かったようである。大川小学校(標高2m)の例に言及すると、新北上川大橋(標高8m)まで210m、裏山(Top220.5m)の登山道まで凡そ1km
少なくとも山の南側に回り込み車道を上がれば、標高90m地点まで逃げられたであろうに。42年周期の津波がある地域の割には、標高2mの低い場所であることと、新北上川のそばという悪条件の立地。河口から4kmと途轍もなく遠く離れているが、川を遡上してくる津波を考えれば、川の側に建つ小学校は危険地帯に建っていたということになる。校舎の創立は明治6(1873)年というから2011年(創立138年)までには、上記津波を3回経験している筈であるが、小学校のある釜谷地区はこれまでに津波が到達した記録がなかったという。不思議である。
2011年の時は、当時在学中の108名の児童の3分の2にあたる74名が犠牲となり、2016年(平成28年)に津波で被災した校舎の保存が決定、2018年(平成30年)に閉校し、東日本大震災発生後の仮設校舎がある石巻市立二俣小学校(標高5m 新北上川河口から南西に14km、石巻港から北に9km)へ統合。
すぐ裏に山がいっぱいあるのに平地にしか校舎が建てられないのであろうか。釜石市立鵜住居小学校は標高23m、中学校は標高44mに移設して新校舎を建てた。
これは小生から怒りの声である。
「低い裏山に逃げる、てんでこに逃げる、という文化はここでは育まれなかったのであろうか。一体全体どうして金縛りのように24分(14時46分地震発生、校庭に集合。49分大津波警報発令、15時10分、200m先の新北上川大橋へ移動を開始。直後に、堤防を越えた巨大な波に押し流される。)も、校庭に立ち尽くさなければならなかったのか。だれか検証して教えて欲しいのである。2018年に統合された二俣小学校は北上川と新北上川の分岐点に建ち、標高が5mしかない。大川の悲劇を繰り返さないように何をすべきか、また次の津波まで平均42年間その記憶を消さないために何を行うか、明文化しておいてもらいたいものである。」
徒然の記その6 梯久美子著「サガレン」 2020.6.22(月)
■2020.4.22初版発刊の梯(かけはし)久美子著「サガレン 樺太/サハリン 境界を旅する」(角川書店)を読んだ。第162回直木賞の川越宗一著「熱源」に触発されて「樺太」に興味を持ち始めたちょうど良いタイミングで発刊されたものである。北緯50°を境にして南側が旧日本領の南樺太、北がロシア領の北樺太であるが、現在も日本とロシアの間で平和条約が未締結であり、国際法上北緯50度以南(南樺太)は帰属未定地である。世界地図を開くと、北緯50°に赤い点線が引かれており日露の国境をうかがわせる。稚内から大泊(コルサコフ)までは42kmの宗谷海峡を渡る航路(稚泊(ちはく)連絡船:航路は167km、1945.8.24から休止)があった。「サガレン」とは明治・大正時代には樺太をこのように呼んでいた。ここを文人達が、国境を"見学に"訪れていたという。林芙美子や宮沢賢治ら。梯氏は、ノンフィクション作家らしく、史実や書物を元にして同じ行程を旅していく。奇しくもロシア側からは、1868年の鉱山技師(のちシベリア古代遺物収集家)のラパーチンが竪穴式住居を発見、1870年の農業学者M.S.ミツーリーの探検隊、1890年のチェーホフの調査があり、日本側から1923年の賢治の訪問、1925年の北原白秋、1934年の林芙美子といった具合である。
最も多くのページを割いているのが賢治のpoemの部分であり、樺太探訪旅行の傍ら、沢山の挽歌や詩を書いている。それらの一字一句の解説も伴っており「賢治本」のような体裁となっている。白鳥湖(ナイブチトー)は「銀河鉄道の夜」に出てくる「白鳥の停車場」(ジョバンニとカンパネラが途中下車をする唯一の停車駅)のモチーフになったのではないかと推論。ラパーチン、ミツーリー、チェーホフといった鉱物・植物農業学者・作家という3人の職業を賢治が併せ持つことを偶然に発見。ますますカラフトにのめり込んだという作家の「サガレン」であった。なかなか面白い。
賢治が、1923年花巻から樺太を往復する旅では「青森挽歌」、「津軽海峡」、「宗谷挽歌」、「オホーツク挽歌」、「イギリス海岸」、「樺太鉄道」、「鈴谷平原」など膨大な詩編を書いている。景色を見ながら常に筆を走らせていたようで驚異的である。この後に生まれた作品が有名な「春の修羅」、「銀河鉄道の夜」である。圧倒的な著作力に驚く。
徒然の記その7 1/2の原則 2020.6.26(金)
■1/2、1/4、1/8・・どこまで我慢するか。これは我が家の「石鹸」「歯磨きチューブ」「他」。あらゆる場面において物の無くなる限界を誰が見届けるかという問題に帰着する、もったいないという憐みの気持ちで最後まで使い切るのはいいことではないか。という問題ではなく「新しいのに誰が替えるか」と。要するに自分では替えたがらないのである。しびれを切らした誰かが交換作業を行うのである。箱から出し、詰め替え、古いのを分別廃棄する。これが面倒くさいのだ。1/2の原則や、無くなり出すと、ぴたっと使わなくなるという習性が双方にあるのも面白い。オランダ土産の濃縮ショウガエキスの瓶が冷蔵庫に冷やしてある。風呂上がりにそれを炭酸飲料で割って飲むと実に旨い。いつか飲む場面を目撃した。ドバドバと気前よく消費していた。しかし最後の100ccくらいに減った段階ではピタリと消費が止んだ。小生なんか朝の空腹時にそれを少しコップに入れポットの残りのお湯を注いで、胃の腑へ落とし込んでいく。ほんのちょっとのショウガエキスで十分である。そのヒリヒリする感じが身体に堪えるのだ。無くなりそうでなくならないショウガエキス。不思議である。ちっとも減っていかないのだ。さては特に1/16の原則を適用して、持ちこたえているのであろうか。「使い切らず、最後は残せ」という新しい家訓なのであろうか。不思議な我が家である。
(編集後記)
その他:turbo717のActivityは下記HPで公開しています。ヨーロッパ6700kmの記録、巡礼データベース、絵日記blog、歩き塾blog、課外授業(音楽活動履歴、インド数学、Excelによるパズル)などへリンクを張っています。
http://turbo717.ciao.jp