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とるこ音楽観察日記。

とるこ音楽観察日記。

Tarkan(タルカン)

Tarkan(タルカン)


Tarkan_TopImage3

本名はTarkan Tevetoglu(タルカン・テヴェットオウル)。

トルコ音楽にハマってない人でも知ってる、
泣く子も黙るトルコの大スター。
彼の一挙手一投足がトルコ国民に監視注目されている
と言っても過言ではないほどの人気ぶり。

多くの女性ファンを惹きつけてやまない彼の緑色の瞳は、
『悪魔の瞳』とまで言われる(らしい)。
最近ハゲて太って、その神通力は薄れてきたかもしれない
けれど、人気と注目度は相変わらず。

ハゲてもカツラなんかで隠さないその潔さが(b^ー゜)♪

同性愛者だの何だのと、よくマスコミに騒がれたけど、
最近は婚約者さん(トルコ女性)といちゃいちゃ
よろしくやっておられるようで(笑)

シアワセなのは判るケド、有名芸能人なんだから
もうちょっとスタイルアップして欲しい、今日この頃…。

あ、ちなみに←これは、2005年ごろ撮影と思われます(≧ω≦)




Biography
結構努力家…。偉いぞ。



1972年10月17日、ドイツ・フランクフルト郊外の町、アルゼイ生まれ。
トルコ人移民一家の6人兄弟の5番目として生まれた彼は幼いころから芸術的な才能を発揮し、
一家の中心的存在だった。

音楽に興味を持った彼は、プロになることを考え始め、トルコで音楽教育を受ける。
当初はKaramursel Musiki Cemiyeti(←多分「音楽協会」みたいな意味。)で、
その後はUskudar Musiki Cemiyetiでトルコ古典音楽教育を受け、少年時代に音楽の基礎を作った。

高校を卒業し音楽活動を始めていた彼はこの世界に嫌気が差し、
音楽もスターになる夢も投げ捨ててドイツに帰ってしまおうと考えていたころ。
あるプロデューサーと知り合い、Istanbul Plakと契約した後、
1993年に初めてのアルバム『Yine Sensiz(イネ・センスィズ)』をトルコで発表。
このアルバムからシングルカットした初めての曲「Kil Oldum Abi」は
ごく短期間でトルコ国民の興味を惹きつけ、ついにはトルコのラジオ局のヒットチャートでTOP20に入った。
その後の曲、「Cok Ararsin Beni」「Vazgecmem」がヒット、アルバム成功のきっかけとなった。

少年ぽい風貌とは対照的に、プレーボーイ的な外見、自由気ままな振る舞い、
そして力強い声とその表現力が組み合わさって、彼は瞬く間に若者たちの心を魅了した。


1995年には、2番目のアルバム『Aacayipsin(アアジャイプスィン)』を発表し、
Sezen Aksu(セゼン・アクス)等と製作した「Hepsi Senin Mi(ヘプスィ・セニン・ミ)」、
この次のアルバムで製作された「Kis Gunes(クシュ・ギュネシ)」「Gul Doktum Yollarina(ギュル・ドクトゥム・ヨッラルナ)」
「Unutmamali(ウヌゥトゥママル)」等の曲は、トルコのヒットチャートで1位まで上り詰めた。

彼はこの年ヨーロッパで、そしてトルコ国内で74回ものコンサートを開き、
ニューヨーク・パラディアムでのコンサートはトルコ国内でも生中継され、大きな注目を引く。
アルバムの売り上げは250万枚を超え、彼は一躍トルコ音楽界の実力者となった。

トルコ国内での成功にもかかわらず、彼は自分のキャリアについて見つめ直し、
英語を身に付けるためにニューヨークへ移住することを決意した。
移住前に彼は、Ahmet Ertegün(アフメット・エルテギュン)氏(※1)と知り合い、
国という枠組みを越えて人々に訴えていける、彼自身に秘められた可能性を評価される。

1997年7月には3枚目のアルバム『Olurum Sana(オリュリュム・サナ)』を発表。
トルコ国内で約450万枚を売り上げたこのアルバムで、最も話題になった曲『Simarik(シュマルック)』は、
再びSezen aksuとコンビを組んで創りあげたもの。
この曲は国際的に成功を収め、ごく短期間で米ビルボードHOT 100チャートに入り、
世界の各国で翻訳され歌われることとなった。
さらにこのアルバム自体も世界で高い評価を得て、世界規模で売り上げを伸ばした。

特に「Simarik」のビデオクリップはヨーロッパで、MTVやMCMのような国際的な音楽専門放送局で放映され、
CNNのような国際ニュースチャンネルでも彼の成功が取り上げられた。

トルコ国内でのコンサートツアーは、切符が発売された瞬間に売り切れるという現象を引き起こす。
海外でもヨーロッパ17都市、南アメリカでもコンサートを行い、
力強い声と表現力、ダイナミックなダンスとパフォーマンスで全世界の注目を集める。

1998年にはヒット曲を集めたアルバム『Tarkan』をフランスで発売し、
各国でプラチナ、ゴールドディスクを受賞。

彼は海外ツアー中であった1999年にトルコ大震災が発生したため、彼はすぐさまトルコへ戻り、
犠牲者へのチャリティーコンサートに参加、その後ほどなく兵役義務を終える。

2001年には、マキシシングル『Kuzu Kuzu(クズ・クズ)』を発表し、同年にアルバム『Karma(カルマ)』を発表。
米ワシントンポスト紙にも「ポップスターTarkanはトルコの文化輸出品」であると、大きく取り上げられた。

これらの成功により、トルコの顔となった彼は、トルコ観光省とタッグを組んで観光客誘致キャンペーンを行い、
その功績により表彰を受けた。

2002年に開催されたサッカーW杯の際には、トルコ代表チームのために曲を作るよう要請され、
シングル「Bir Oluruz Yolunda(ビル・オルルズ・ヨルンダ)」を制作、チームに伴って韓国を訪問した。

2003年には、Nazan Oncel(ナザン・オンジェル)(※2)が提供した曲を含むミニアルバム『Dudu(ドゥドゥ)』を発表。

新たな冒険として、彼は2005年に長らく待ち望まれていた英語曲『Bounce』を発表。
2006年には、初の英語アルバム『Come Closer』を発表、この中から「Start The Fire」をシングルカット。
(この曲は郷○ろみが歌う、某クリニックのCM曲の原曲)

2007年12月には、『Karma』以来6年ぶりとなる待望のトルコ語アルバム『Metamorfoz(メタモルフォズ)』を発表。
最初のクリップカット曲は「Vay Anam Vay(ヴァイ・アナム・ヴァイ)」。クリップの放映開始が待ち望まれる今日この頃…。


※1 Ahmet Ertegün:
1960年以降アメリカで音楽産業の発展に大きな貢献をした
アトランティック・レコードの創業者にして社長(2007年死去)英語読みはアーメット・アーティガン。

※2 Nazan Oncel:
友人でもある、トルコの女性歌手。
曲の権利関係で彼女が絡んでくるのが、Tarkanのアルバム発売遅れの原因と言われている…。





Discography
何か、顔のどアップばっかり?!
最初のアルバムの顔にご注目!(^_^;)

Tarkan_Yine sensiz-1993 Tarkan_Aacayipsin-1995 tarkan_Olurum sana-1997
Yine sensiz
(イネ・センスィズ)
Aacayipsin
(アアジャイプスィン)
Olurum sana
(オリュリュム・サナ)
1993年
1995年
1997年
Tarkan_TARKAN-1999 Tarkan_Karma-2001 Tarkan_Bir Oluruz Yolunda-2002
TARKAN
(タルカン)
Karma
(カルマ)
Bir Oluruz Yolunda
(ビル・オルルズ・ヨルンダ)
1999年
2001年
2002年
Tarkan_DUDU-2003 Tarkan_BOUNCE-2005 Tarkan_Come Closer-2006
DUDU
(ドゥドゥ)
BOUNCE
(バウンス)
Come Closer
(カム・クローザー)
2003年
2005年
2006年
tarkan-Metamorfoz- ceketi
Metamorfoz
(メタモルフォズ)
2007年


LINKS

http://www.tarkan-music.de/
(↑リンクをクリックすると、別窓で開きます。)
Metamorfoz以前の情報はここで。トルコ語・英語・ドイツ語で見れます。

http://www.tarkan.com/
(↑リンクをクリックすると、別窓で開きます。)
とにかく、Metamorfozについてはここで。くれぐれもショックを受けないように~(≧ω≦)



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