岸田劉生と言うと「麗子像」です。
この「麗子像」もたくさんあります。
描き方も違います。
とても興味深いものがあります。
特に、この「麗子像」は子どもはどう見るかな、と思っている作品があります。
「野童女」という題の、不思議な笑いをしている、麗子像です。
きもちわるい。
ニタニタ、笑い方が不気味。
後ろにも顔があるよ。
赤いつのが見える
あの世の世界
おけのようなものを持って、地獄に行っている
寒気がしてくる
とにかく気持ちわるがっています。
この作品は、大正11(1922)年の作品です。
画面の左に「学顔輝筆寒山図」という文字が書かれています。
顔輝という人は、中国、宗の末期、元の初期の画家です。その顔輝の描いた寒山図に学んだということです。
3月23日の日記に、「麗子の立像にかかってみたが、それよりも先日来から心のの中にできあがっている、例のガンキ(顔輝)の寒山のグロテスクの味からヒントを得たモテフ(モチーフ)が昨日長与たちとそれをみていろいろはんしたりして一層熟したのでとうとうそcっひをやてみたくなり、15号に布がはてあるのが丁度いいから急に思い切ってはじめる。ガンキの画の写真版をわきにおいて半分模して構図をとり。麗子を立たせてかく。大分おもしろく行きそうだ」とあります。
対話型鑑賞法では、子どもたちには、「顔輝筆寒山図」といった話はしません。
私としてはできれば、寒山捨得図のことに少し触れる方がいいのでは、と思っていますが、そうすると、寒山捨得のことを説明しなくてはならず、時間的には無理かもしれません。
岸田劉生はまず『白樺』の人物達との出会いから後期印象派(ポスト印象派)の画家たち、セザンヌやゴッホに絶大な影響を受け、それから、ルネサンス芸術やバロック様式などの絵画、特にドイツ・ルネサンスの巨匠アルブレヒト・デューラーの表現手法に感化され、写実的表現への傾倒が顕著に示されます。
そして、そこから、初期浮世絵肉筆画や宋元の水墨山水画に没入していきます。
「野童女」はその時期の作品です。
子どもの感想を言えば、対話式が終わって、自由鑑賞になり、この「野童女」の前にた子どもが、「気持ちわるいんだけど、けっきょく、気になって、一番覚えているのはこの絵ね」と話していました。