津山に帰って、今井絵美子の『美作の風』(角川春樹事務所)を読みました。
『美作の風』だから美作の国で読むのが良いだろうという思いもありました。
『美作の風』は江戸時代の享保年間に、岡山・津山藩で実際に起こった山中一揆(さんちゅういっき)を題材にした小説です。
私は、山中一揆について知りませんでした。
だいたい、津山藩にしても、森家については多少知っていますが、その後の松平家についてはほとんど知りません。
故郷なのに情けないな、と思います。
『美作の風』を読みながら、家にある別の本で少し調べて見ると、この『美作の風』はとてもよく調べて書かれていることが分かります。
山中一揆は、江戸時代の享保年間に美作国の津山藩領で起きた百姓一揆です。
山中とは、津山藩の西部の真島(ましま)郡・大庭(おおば)郡のさして言わるようです。
1726(享保11)年、年貢(ねんぐ)の増徴策を強行した藩に対して領内に不満がくすぶるなか、大庄屋らが郷蔵(ごうぐら)の米を搬出するのを百姓が阻止するという事件が発端となり、山中一揆がおこります。
この山中一揆で処刑された人が150人近くもいたということで、まことに悲惨な一揆でした。
それを書き出すと長くなるので、また別の機会にします。
ここでは、主人公といえる、若い藩士、生瀬圭吾が暮らす津山の町で、『美作の風』にもたびたび出てくる、愛染寺と津山市中心西部を流れる藺田川(いだがわ)について少し書いておきます。
藺田川という川は吉井川の支流であることは知っていましたが、市中を流れる重要な川だということは知りませんでした。
こうしてみると、出生地についてまるで知らないですね。
ブログに冠した「美作」が泣きます。
津山に帰って、家にいくのに、必ず通る橋に「翁橋(おきなばし)」があります。
そしてこの橋がかかっている川が藺田川でした。
この「翁橋」の所には、津山城下町の西の入り口として橋の東詰に大番所が設けられていたのだそうです。
ここを通る道は出雲街道です。
その出雲街道を少し歩くと、西寺町へ入り、その中の寺の一つに愛染寺があります。愛染寺には、鐘楼が上についた、鐘楼門及び仁王堂 が有名です。
建立は、正保元年(1644)と推定されています。
門の左右には唐破風造の仁王門が付属していています。
鐘楼門に仁王門が取り付くこのような構成は、美作地方でも数少なく、しかも建立年代が江戸時代前半に遡れる点でも貴重な建物ということで津山市重要文化財になっています。
また、愛染寺境内墓所には神崎與五郎母堂の墓があります。
翁橋から愛染寺の方へ、まっすぐのびている出雲街道も、調べれば、とても奥が深いです。