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「なぜといッてお前さん――アノ始末だものオ……」
少女は口をつぐんだ。「ヴィクトル」は袂時計(たもとどけい)の鎖をいらいだした。 「オイ、『アクーリナ』、おまえだッてばかじゃあるまい」トまた話しだした、「そんなくだらんことをいうのは置いてもらおうぜ。おれはお前のためを思ッていうのだ、わかッたか? もちろんお前はばかじゃない、やッぱりお袋の性(しょう)を受けてるとみえて、それこそ徹頭徹尾(てっとうてつび)いまのソノ農婦というでもないが、シカシともかくも教育はないの――そんなら人のいうことならハイと言ッて聞てるがいいじゃないか?」 「だッてこわいようだもの」。 「ツ、こわい。何もこわいことはちッともないじゃないか? 何だそれは」、と「アクーリナ」の傍へすりよッて「花か?」 「花ですよ」ト言ったが、いかにも哀れそうであッた。 「この清涼茶は今あたしが摘(つ)んできたの」トすこし気の乗ッたようす「これを牛の子にたべさせると薬になるッて。ホラ Bur-marigole ――そばッかすの薬。チョイとごらんなさいよ、うつくしいじゃありませんか、あたし産れてからまだこんなうつくしい花ア見たことないのよ。ホラ Myosotis、ホラ菫(すみれ)……ア、これはネ、お前さんにあげようと思ッて摘んできたのですよ」ト言いながら、黄ろな野草の花の下にあッた、青々とした Bluebottle の、細い草で束ねたのを取りだして「入(い)りませんか?」 「ヴィクトル」はしぶしぶ手を出して、花束を取ッて、気のなさそうに匂いを嗅いで、そしてもったいをつけて物思わしそうに空を視あげながら、その花束を指頭でまわしはじめた。「アクーリナ」は「ヴィクトル」の顔をジッと視詰めた……その愁然(しゅうぜん)とした眼つきのうちになさけを含め、やさしい誠心(まごころ)を込め、吾仏とあおぎ敬う気ざしを現わしていた。男の気をかねていれば、あえて泣顔は見せなかったが、その代り名残り惜しそうにひたすらその顔をのみ眺めていた。それに「ヴィクトル」といえば史丹のごとくに臥(ね)そべッて、グッと大負けに負けて、人柄を崩して、いやながらしばらく「アクーリナ」の本尊になって、その礼拝祈念を受けつかわしておった。その顔を、あから顔を見れば、ことさらに作ッた偃蹇恣雎(えんけんしき)、無頓着な色を帯びていたうちにも、どこともなく得々としたところが見透かされて、憎かった。そして顧みて「アクーリナ」を視れば、魂が止め度なく身をうかれでて、男の方へのみ引かされて、甘えきっているようで――アアよかッた! しばらくして「ヴィクトル」は、……「ヴィクトル」は花束を草の上に取り落してしまい、青銅の框(わく)を嵌(は)めた眼鏡を外套の隠袋(かくし)から取りだして、眼へ宛(あて)がおうとしてみた、がいくら眉を皺(しか)め、頬を捻じ上げ、鼻まで仰(あ)お向かせて眼鏡を支えようとしてみても、――どうしても外れて手の中へのみ落ちた。 「なにそれは?」と「アクーリナ」がケゲンな顔をして尋ねた。 「眼鏡」と「ヴィクトル」は傲然(ごうぜん)として答えた。 「それをかけるとどうかなるの?」 「よく見えるのよ」。 「チョイと拝見な」。 「ヴィクトル」は顔をしかめたが、それでも眼鏡は渡した。 「こわしちゃいけんぜ」。 「だいじょうぶですよ」トこわごわ眼鏡を眼のそばへ持ってきて「オヤ何にも見えないよ」トあどけなくいッた。 「そ、そんな……眼を細くしなくッちゃいかない、眼を」トさながら不機嫌な教師のような声で叱ッた。「アクーリナ」は眼鏡を宛(あ)てがッていた方の眼を細めた。「チョッ、まぬけめ、そッちの眼じゃない、こッちの眼だ」トまた大声で叱ッて、仕替える間もあらせず、「アクーリナ」の持ッていた眼鏡をひッたくッてしまッた。 「アクーリナ」は顔を赤くして、気まりわるそうに笑ッて、よそをむいて、 「どうでも私たちの持つもんじゃないとみえる」。 「知れたことサ」。 かわいそうに、「アクーリナ」は太い溜息をして黙してしまッた。 「アア、『ヴィクトル、アレクサンドルイチ』、どうかして、いっしょにいられるようにはならないもんかネー」トだしぬけに言ッた。 「ヴィクトル」は衣服の裾(すそ)で眼鏡を拭い、ふたたび隠袋に納めて、 「それゃア当座四五日はちッとは淋しかろうサ」ト寛大の処置をもって、手ずから「アクーリナ」の肩を軽く叩いた。「アクーリナ」はその手をソット肩から外して、おずおず接吻した。「ちッとは淋しかろうサ」トまた繰返して言ッて、得々と微笑して、「だが已(やむ)を得ざる次第じゃないか? マア積ッてもみるがいい、旦那もそうだが、おれにしてもこんなケチな所にゃいられない、けだしモウじきに冬だが、田舎の冬というやつは忍ぶべからずだ、それから思うと彼得堡(ペテルブルグ)、たいしたもんだ! うそとおもうなら往(い)ッてみるがいい、お前たちが夢に見たこともないけっこうなものばかりだ。こう立派な建家、町、カイ社、文明開化――それゃ不思議なものよ!……」(「アクーリナ」は小児のごとくに、口をあいて、一心になッて聞き惚れていた) 「ト噺(はなし)をして聞かしても」ト「ヴィクトル」は寝返りを打ッて、 「むだか。お前にゃ空々寂々だ」。 「なぜえ、『ヴィクトル、アレクサンドルイチ』、わかりますワ、よく解りますワ」。 「ホ、それはおえらいな!」 「アクーリナ」は萎れた。 「なぜこのごろはそう邪慳(じゃけん)だろう?」ト頭をうなだれたままで言ッた。 「ナニこのごろは邪慳だと……?」ト何となく不平そうで「このごろ! フフムこのごろ!……」
最終更新日
2006年02月18日 21時01分38秒
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