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たぬきぶたの日記2

たぬきぶたの日記2

C622号機 in 姫路


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C622号機 姫路にて



<2008年1月22日の日記から>

<1972年10月22日姫路第一機関区周辺>

SLブームがついにC622号機を姫路によんでくれた。

北海道で急行「ニセコ」を牽引していたC62が姫路まで来ることになった。

その昔東海道線で特急「つばめ」を引いていた栄光のSLを近くで見ることができました。

平坦な区間であり煙は期待できません。北海道の山間部を重連で迫力いっぱいの

疾走を見せてくれたSLとは違う雰囲気です。

このC62の重連はその後、北海道で復活するのですが、もう写す気力が無くなっていたので行かなかった。

今から思えばもったいないことでした。これは高校時代に写したものですが、

イベント列車に対する気持ちがいまいち乗り切れなくて、喜べない状態でした。

でも始めて見るこの大きさには圧倒されました。まあ、見て下さい。




終点の姫路に到着する直前の市川鉄橋です。余力で走行しているので、まあつまらん。

それに電車のダイヤに遅れを出さないように、スピードを出しているので、撮影が難しい。

よくもぶれずに撮れたと感心です。



ほんの数ヶ月前までここには多くのC11やらC57がたむろしていました。

給水装置で水を補給しています。



次は豆炭です。SLは石炭で走ると思っている人が多いですが、実際は違います。

石炭でも走っていた頃も当然ありますが、後半は豆炭がほとんどでした。

煙が少ないし、効率もいい。そして、燃えかすのガラが少ない。なにより軽い。

北海道では石炭を積んでいましたね。そんなところも観察していたんですよ。

豆炭を積んでいるテンダーからの投炭は機関助士の役目ですが、すごい重労働です。

石炭の場合はガラ落としも大変です。

この姫路第一機関区には毎日のように通っていたので、職員の方とも顔なじみで、

時には、休んでいるSLにスコップで豆炭を投げ入れてみたりしていました。

楽しい遊び場でしたね。



今は取り壊されてなくなった、扇形車庫と転車台です。大勢のマニアが来ていました。



国鉄の粋なはからいで、撮影がしやすいところに、しばしの休憩場所が設定されました。

この時はSLを写すというより人混みを写す感じでした。



これがボックス型動輪です。直径が175cmあります。日本の狭軌のレール幅では

これ以上の直径は危険ということで、C57、C59、C61、C62は同じ大きさの動輪です。

なお、Cは動輪が3つです。旅客用でスピードを要求されるので、直径が大きい。

それに比べて、貨物用は動輪が4つなのでD50、D51、D60、D61、D62は直径が

140cmの動輪です。動輪の前にちいさな先輪というものがあります。

これが2つあるものと、1つのものがあります。

動輪の後ろには従輪という小さな車輪があります。

このC62は従輪が2つです。とにかくでかい、重いので、重量を分散するために、従輪が2つなのです。

先輪2つと動輪3つ、従輪2つの型を2C2型、ハドソン型といいます。

C55、C57、は2C1型でパシフィック型といいます。

C62みたいな重いSLは甲線(重量のある機関車に耐えられる規格の線路)用として

運用されていました。東海道線や山陽本線、東北本線がそうです。

パシフィック型は乙線区間でも使用されています。

つい、昔に仕入れたウンチクをたれてしまいました。

マニアでない人には退屈な話しでしたね。

最後にC622号機の決めのポーズを1枚どうぞ。



在りし日の姫路第一機関区にて( 1972、10、22 )もう35年も昔の思い出です。


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