加古川運転区無煙化二日目<2008年3月8日に日記から> 昭和47年3月17日 加古川にて 昭和47年3月17日 さよなら列車が終わりボケーッとしている暇もなく、撮影は続く。 この日は加古川に行った。加古川線も3月15日で無煙化された。 ここには高砂線のC12とC11がいたが、あまり魅力となる撮影の情報が入ってこなかった。 いつかは写したいと思いながらも、足が向かなかった。 でも、SLの記録だけでも写そうと3人で出かけた。相棒と弟です。 弟は高校入試が終わってほっとしている時かな? でも発表はまだのはずですから、そんなときに自分の趣味に振り回すとは できのよくない兄貴ですね。 では、では、さびしい写真ですがどうぞ。 さよなら運転はあったのでしょうか。車体は錆と汚れで解体寸前という状態でした。 C12はC11より後の型番がついていますが、性能的には列車の入れ替え作業用 みたいな使われ方をしていました。基本的に除煙板は付いていません。 ミニ列車を牽引していましたが、非力なために勾配のある路線では使われることが 少なかった。 足尾線や阿蘇の高森線が有名になりましたが、華々しい活躍はできませんでした。 ここにはC12の167、225、230とC11199がいた。 どれも手入れが悪く、動けばいいや、ぐらいの感じなんでしょうか。 煙突の上に煙が拡散するのを防ぐ金網がつけられています。 そしてドーナツ状のふた。これが鎖でつながれています。 高速運転をしないからこんな状態でもいいのでしょうね。 どんなときに蓋をしていたのでしょうか。 すぐそばを快速電車が通ります。このころに新快速という列車が設定 されて、姫路~大阪までは急行列車なみに早く行くことができるようになった。 そばには大手の繊維会社の工場があり、広大な敷地をほこっていた。 現在はその一部が大型ショッピングセンターになっている。 姫路のC11も近くで見ればこんな形だったのだろうか。 ボイラーの上のこぶはひとつは穴が開いていた記憶はあるのだが、 なにを入れるものなんだろうか。知らなくてごめん。 正面のプレートです。真鍮製(砲金製)で値打ちありましたね。 このころはSLブームのせいで、5万円以上の値段がついていました。 丸い形がかわいいですね。 戦時型の角ばった形よりかわいさと美しさを感じます。 誰ですか?おっぱいみたいだと思った人は?あ、おれかあ。 弟はまだ中学生でした。相棒は写真に写るときは必ず睨んだように きりりとした顔をしていた。俺は・・・・ゴリラか? ここも早速解体作業が始まった。石炭(豆炭)を積む場所が壊されていきました。 加古川線は枝線でした。加古川から北へ進んで、北条線、三木線、粟生線、など ローカル線の代表みたいなものでした。次々と廃線になっていき、今月には 三木鉄道が廃線となります。 加古川駅も最近に高架になり、昔の面影がなくなってしまいました。 また、昔の風景が消えていった。 |