夜の鹿児島機関区前のページ | ホームに戻る | 次のページ 夜の鹿児島機関区 <1972年7月31日> 帖佐と加治木間の桜島をバックにした撮影がうまくできたので、気分は最高によかった。 この2駅の間には現在「錦江」という新駅ができています。 だから撮影場所は「帖佐~錦江」となります。川は別府川です。 夕方に鹿児島に戻るとすでにC5552号機は吉松までの往復の仕業を終えて、 戻っていた。朝に写したときとはSLのメンバーが変わっていたのでそれを撮影した。 これがC5552号機。 ほかにめずらしいSLがいた。D60です。なぜ?ここにいるのか? どこで働いているのか、分からない。とりあえず記念撮影します。 このSLも門デフなんですね。 とにかく広かった。もっと全景が入る場所を探したが、なかなか見つからず、あきらめた。 とにかくSLがごろごろいる感じです。腹へったので飯食ってまた戻ってきました。 夜の機関区は楽しいですよ。ここでは一枚だけ載せます。 左後方にはC5557号機がいます。その左となりはC56です。 ここは関係者以外は立ち入り禁止が普通です。その当時はSLブームだったので 迷惑にならない常識のある行動であれば、わりと自由に出入りが出来ました。 この後は吉松で一泊です。 吉松は田舎の小さな駅です。肥薩線と吉都線の分岐駅なので、機関区は少し大きい 程度なのですが、駅舎は小さくここで寝るには無理。学生時代には寝袋を持って 行動していましたが、高校時代は寝るための道具は用意していない。 いままでは夜行列車を寝る場所にしていましたが、ここにはそんな列車はない。 吉松は山間部の街なので、鹿児島よりひんやりしています。それでもさすが、 南国九州です。夜でも結構あたたかい。そこで、寝る場所はSLの運転席。 次の日の乗っていく列車を牽引する予定のD51の運転席で仮眠することにした。 ボイラーの温かい熱で気持ち良い温度でした。 これが実はとんでもないことになってしまったのです。 迷惑をかけたことではありません。低温やけどです。 朝の5時ごろに機関車を動かすために機関士がやってきた。 運転席に上がったら、「わあ~!」 誰もいないはずのところに人間がいるのですから、そりゃびっくりですよね。 「すんません。ここで寝ていました。」 「大丈夫だったか?」 「はい、はい。じゃあ、失礼します。」 疲れていたけど、熟睡できたので元気がでてきた。このときには気が付かなかった。 昼頃にどうも足のふくらはぎがちくちくする。まるで蜂にでもさされたようだ。 ズボンをめくってびっくり。なんと腫れあがっている。やけどです。ぷくっと膨らんでいます。 低温やけどというのは聞いたことはあったが、まさかこんなことでなるとは。 やけどの2度という程度でした。水泡ができて大きさはピンポン玉の半球形分ぐらいの 大きさでした。えらいこっちゃ。どうしましょう。どうすることもできない。 水泡をつぶさないように気をつけていたが、歩き回っているうちについに破れた。 ぴりぴり、ちくちく痛い。 好き勝手なことをしているんだから、こんな罰も少しはあるわいな。 当時はそのうち治るだろうと思っていたが、意外にも重症で、 筋肉の内部が半球形分固まってしまった。まあ、生活する上で支障はないので、 後遺症といえる程度ではないが、今も右のふくらはぎにはやけどの後が残っている。 この傷を見る度に吉松での一夜を思い出す。 吉都線の写真は次回に載せます。 前のページ | ホームに戻る | 次のページ |