秘境駅?楠ヶ丘信号所前のページ | ホームに戻る | 次のページ 秘境駅?楠ヶ丘信号所 昭和48年3月 フリーページに写真を整理していたら、小海線に日豊本線の写真が紛れ込んでいた。 煙もくもくの写真ですが、この場所が気になるところなんです。 昨日も秘境駅のサイトを覗いていました。廃駅になったところも数多くあります。 北海道に多くあるのですが、九州にも少しあります。 ここで、紹介するのは正式には駅ではありません。 まずは、写真をどうぞ。 後ろから、もう一枚。 この写真の右側に線路が複数写っています。ここで列車のすれ違いをするわけです。 ありましたよ。やっと、見つかりました。これです。 正面からの写真は見つかっていない。信号所で止まった客車列車は再び煙を上げて発車した。 見送っていた僕はこのシーンにジンときた。 下界からみたら雲と呼んでいる、霧につつまれた山の中を哀愁をこめて発車していった。 上下のバランスに迷った。もっと下にしたかったが、コンクリートの部分が入りすぎるので、あえて、レンズを上に向けた。 こうして見るといい写真だなあと思う。 1枚目の正面もいいけど、2枚目の後ろ姿がもっといい。 10パーミルの標識もあえて、写しこんでみた。 一瞬、邪魔かなと思ったが、結果はこの方がいいと思いました。 この、3枚の写真ではどれをベストショットとしますか? オマケの写真が意外といい結果になる。 3枚目が一番印象深い。 この写真をアップロードしてから、何度見ているのだろう。 思い出とともに、ジーンときています。いい写真が撮れたなあ、とね。 究極の自己満足です。これだ~、このためにブログにアップしたんです。 宮崎と都城を結ぶ日豊本線は宮崎以北の日向灘に沿った平坦な路線と山線と呼ばれる 山岳路線と大きな違いがあります。 じつは、延岡の北にも宗太郎越えと呼ばれる山越えの難所があります。 そして宗太郎駅は秘境駅にもランクされています。 鹿児島から都城までの山線は霧島越えとして、けっこう有名でした。 連続する急勾配をあえぎながら進むC57の写真が多くあります。そこは道路からも 写せる場所ですから、みなさんが集まります。 ところが、・・・・・・ 都城と宮崎の間の山線は道路から離れています。このページにアップした3枚の写真は 一般の車は行けません。ここの楠ヶ丘信号所で下りないと行けない場所です。 (国鉄職員が現地に行ったり、農作業用の道は写真に写っているようにあります。) 信号所というのは、単線の路線において、駅と駅の間が長すぎて、 列車のすれ違いに時間がかかりすぎる場合に、すれ違いだけの目的で、作られたものです。 山之口---(楠ヶ丘信号所)----青井岳-----(門石信号所)-----田野 駅間9.8km 駅間11.3km 駅間が長いうえに、勾配のきつい山岳路線です。 地図を見たら分かりますが、こんな所に人は住んでいるのでしょうか? 今から38年前には近くに民家がありました。そこでの話です。 上の写真を写したのは早朝の7時ごろでした。宮崎で泊まったおいらは朝の一番列車で南下して、山線を目指しました。 下りるところは楠ヶ丘信号所です。ホームはありません。駅員もいません。 列車がすれ違うためだけにありますから、そこに停車しない場合もあります。 時刻表で列車交換のために、停車することを確認して、朝一番の列車に乗りました。 C57の引く客車ですから、降りるのも勝手に降りることができます。 まだ、暗くて撮影は出来なかった。 夜明け前ぐらいに着きました。山間部は下界が晴れていても、霧雨なんかで、 しとしとしている場合があります。この日もそうでした。 少し下った所で撮影開始。 ここでは貨物と旅客を写した。撮影が終わって一息ついて、次の列車までは1時間以上もある。 周りは山の木々ばかり。ひたすら山の中です。こんなところに人が住んでいるなんて 信じられないが、線路端から見ると炊煙が見えた。 「え~~。ウソだろ~。こんな山奥に人がいるのかな?」 どうせ、時間はあるし、散歩を兼ねてその煙の方へ進みました。 なんと、人が生活している雰囲気です。腹が減ったおいらは、そこで一声かけました。 「こんにちは。 あの~、蒸気機関車を写しに来たもんやけど、腹が減ってしもうて、 なんか食わしてもらえんやろか。?」 と、頼んだのです。 普通の感覚では信じられん行動パターンですね。 我ながら、あつかましいと思います。ほんとに図々しいとはこのことです。 赤の他人が、こんな山奥に来るだけでも変なのに、朝飯をねだるなんて、普通の人間じゃあない。 (そのために、現在はタヌキに変身しておる。わはははっ。) 地元の人ならそこがどれだけ山奥で、人が住む環境でないことを知っているでしょう。 その家に入ると土間におかあさんがいた。年のころは40歳ごろか。 老けて見えたけど、子供が小さいから、30代だと思い直した。 さて、おいらの厚かましい頼みをいやな顔もせずに了解してくれた。 そして、子どもをよんだ。「お~い、○○、×××△△×××△△。」 理解不能だった。おいらも九州出身だが、鹿児島、宮崎の郡部にいくと、 さっぱり分からん。 現れた子どもは小学校1年生ぐらいかなあ。 半ズボンにランニングシャツで土間にやってきた。彼は土間にあったバケツを持って出かけた。 しばらくすると、子どもがバケツの中にシイタケをいっぱいつめて帰ってきた。 よいしょ、よいしょと重そうに運んできた。 そうか、お母さんは、シイタケを取って来い、と言ったのか。 さて、調理がはじまった。どうすると思いますか? やかんでお湯を沸かしていた七輪に中華なべを置き、そこに油を入れた。 そして、取れたてのシイタケをごそっと入れた。洗ったか、そのままだったかは記憶にない。 新鮮なシイタケの油いためです。 出来上がると、茶碗にご飯を入れてくれた。 炊きたてのご飯は美味かった。シイタケも新鮮だから味が良かった。 たったこれだけの料理だけど、感激でした。 人間はいろんな人にお世話になって生きていると思うけど、 このときはほんとに、ありがたいと思った。恐縮するとはこのことです。 赤の他人が突然に押しかけて、朝飯を要求するなんて、お母さんもびっくりでしょう。 そして、それを受け入れてくれる優しさが九州の人にはある。 おいらも優しさには自信があるぞい。ただ、厚かましいけどね。 丁重なお礼の言葉を残して、そこを去りました。 楠ヶ丘信号所の近くに今も家はあるのだろうか。 子どもは学校には行っているのだろうか。今もそんな心配をしたことを思い出している。 航空写真で見ると、完全に山の中です。もう少し西のほうへ下れば、集落がありますね。 そのときはもやがかかっていて、遠くに町並みがあるなんて分からなかった。 見える範囲はひたすら木々の山ばかり。 撮影地点でも、SLのブラスト音が響いてくるだけで、遠くの様子が分からない。 霧の中から、突然に現れたような感じだった。 航空写真をアップで見ると、家があったらしい形跡はありますね。 線路の北側のコンクリート肌があるところの反対側に、長い小屋みたいなものが見えます。 シイタケの栽培小屋でしょうか? 不思議な思い出。もう一度訪ねてみたい。 ( 追記 ) この信号所の地図をリンクしたのだが、ちょっとびっくりした。 というのは、じっくり見ると、線路沿いに電化のためのポールがある。 ちょうど、おいらが立っていたところまで、立ててある。 しかし、その左側にはない。そこから都城側には見当たらない。 つまり、電化される前の写真ということです。これは、だいぶ古いぞ。 古い、古い、古すぎる~~~。 もう一つ。 画面を右側にずらすと、なにやら家らしきものがある。まさか、この家なんだろうか? 地図の写真が古すぎるので、なんとも言えないが、あれば訪ねてみたいですね。 お礼のまんじゅうを持って行きたい。 前のページ | ホームに戻る | 次のページ |