D51流し撮り 南木曽D51流し撮り 南木曽 昭和48年5月5日(1973) 大学に入ってSLを写さない生活がはじまった。 環境ががらりと変化している中で自分の趣味を楽しむのは なかなかに難しい。 だが、この大学の寮は古びた作りで歴史的価値があっただけでなく、 自分にとってもものすごい好環境でした。階段下の空間に暗室があったのです。 普通はこんな暗室なんてあるものではない。写真を現像したくて写真部にも 顔を出したことがあったが、遊びのサークルのつもりで入っている連中とは 話が合わなかった。男も女も何処に遊びに行くかとか、コンパや旅行の話ばかり。 何を撮影したいのか?カメラにはまり、撮影することに生活のほとんどを賭けていた 自分とは人種が違っていた。寮に暗室があることが分かってからは、写真部に顔を 出すことはなくなった。 さてさて、この大学を選んだ理由の一つが中央西線にもD51が走っており、 松本からは塩尻まで自転車でも行ける距離だということです。 残念なことに、それが5月で終了するというから結構あせっていました。 入学早々に欠席続きはだめだと思ったし、まだ自分の生活パターンができていない。 それに寮では夜な夜な麻雀の音がするところに出没するという、麻雀小僧の ニックネームまでいただきましたから。 ここでも体が3つ欲しかった。 長い前口上でした。5月の連休に東京の大学に進んだダチ公と中央西線のうち まだ電化のための架線が張られていない南木曽~田立間で撮影に行くことになりました。 そこでの写真はまだ取り込んでいない。が、1枚だけ全紙に伸ばしたい作品が あります。自分の流し撮り技術が最高にうまくいった作品です。どうぞ。 南木曽流し撮りD51.jpg 単なる流し撮りです。しかし、これを撮影した状況が並ではない。 思い入れのある作品です。説明します。 右側はトンネルです。左側からの煙もくもくの作品を写したあとは、他のみなさんは 次の下り坂を下りてくるD51は記録写真の程度に構えていました。 中には写す気持ちのない人も大勢で、周りは少しの間の休憩という感じでした。 僕はこのトンネルを出た少しの線路部分にじゃまがないことから、それならば 流し撮りで価値を付けようと意気込みました。 なぜかカメラは昨日のブログにも書いたフジカ69BLです。 手持ち撮影では静止画でもぶれたりするやっかいなカメラです。 とにかくシャッターが重いのです。力を入れるとカメラがぶれる。 それを使って流し撮り? 普通は考えません。 予定の時刻が近づいてきた。中腰の姿勢で構えます。 普通は流し撮りは遠くから列車が来ているのをファインダーで覗きながら 位置合わせをしてカメラを動かしながら写します。しかし、ここではそれができない。 なんせ、すぐ右はトンネル。 出て来たときの一瞬の勝負です。トンネルの中にSLが入れば音で分かります。 まだ来ない。まだ、まだ・・・待つこと約10分。ずっとこの姿勢だった。 何回かリラックスしながらも集中しています。勝負は一瞬。 ゴゴゴッ、ゴォー。トンネルに入ったことが分かった。まだ、まだ来ない。 音がだんだん変化している。 近い。出口に近づくにつれて音が大きくなった。出口で爆音に変わった。 ガォー、ガラン、ガラン、シュル、シュル、ブシュー、 動輪の回転音とシリンダーからはき出される蒸気と排気ブラストの混じった 爆音が耳に入ってきます。緊張という言葉はこのときのためにある。 「キタ~。」 カメラをD51の先頭に合わせて動かしていく。 勾配のある下り坂をすごいスピードで駆け下りていくD51貨物列車。 近くにあった木の葉っぱをアクセントにして シャッターを切りながらもカメラは動かしていきます。 これが難しい。普通は押した段階でカメラの動きを止めてしまいます。 それを止めずに動かす。うまくいった。 絶対に今のは。自信を持って確信できた。 では、どれぐらいピタッときたか、アップで見てちょ。 南木曽流し部分拡大.jpg D51245号機の番号も運転士の顔もはっきり分かります。 まるで止まっているのを写したかのように見えます。流しは何度も挑戦して いますが、これ以上のものは撮れなかった。 この現像は特に念入りにやりました。 気泡が入らないように、傷が付かないように。細心の注意を払ってね。 実際に現像してみてそのあまりのぴったり度に我ながら感激でした。 この流し撮りのD51は単なる流し撮りではない。自分の思い出の中でも 最高にうまくいった作品となった。 他の煙もくもくや木曽川の清流を入れた写真は近いうちに取り込みます。 今回も自己満足の思い出だったなあ。 みなさんも一度動きのあるもので挑戦してみてください。おもしろいですよ。 ジャンル別一覧
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