|
カテゴリ:アセンション
生涯 身を立つるに物憂く 騰々 天真に任す 嚢中 三升の米 炉辺 一束の薪 誰か問わん 迷悟の跡 何ぞ知らん 名利の塵 夜雨 草庵の裡 双脚 等閑に伸ばす 生涯、立身出世や金儲けに心を労するのは嫌で、 すべて天に任せている。 この草庵には、托鉢でもらった米が三升、 暖をとる薪が一束ある。 これだけで充分で、迷いだの悟りだのは伺い知らん。 ましてや、名声だの利得は問題外だ。 二本の足をのどかに伸ばせるこの草庵があれば充分である。 良寛禅師の代表的な詩ですね。 良寛様が住んでいたこの草庵は、雪深い越後にあった。 春夏はともかく、腰高以上に雪が積もる冬、 薪の一束で暖が取れるというのか。 満足な衣類や布団があるわけでもない。 それで充分だと、良寛様は仰る。 とても、軟弱な我々現代人には、耐えられるわけもない。 郷倉千靱筆 筍を慈しむ 経済的には何不自由の無い名主の家に 生まれたにもかかわらず、18歳で出家した。 修行は禅宗の曹洞宗で、 当時はもっとも厳しいとされていたらしい。 そして33歳の時、印可を受けた。 (悟りを得たとされる。) その時の修行僧のほとんどは、 皆帰る寺を持っていた。 苦しい修行を終えて寺に帰れば、 一国一城の主、住職という椅子が 待っているのであろう。 国の寺に帰れるという希望がある者と、 それが無い良寛様。 修行が終わっても、又修行の日々。 より、高みを求めていたのか。 正しく、これで良しという事が無い求道者。 そして、乞食坊主になって、この草庵で暮らす。 春になれば、子供たちと毬を蹴り、 詩を歌って喜びを綴る。 坊主らしい事はほとんどしない。 限りなくシンプルに暮らし、想いは高く。 「正法眼蔵」を著した、道元禅師に近づこうとしたかのように。 イギリスの詩人、ワーズワーフの詩句にある 「低く暮らし、高く思う」 この言葉の通りの生き方ですね。 良寛様は、詩を作り和歌を詠む。 書をよくする。 が、どれも内面を表現するようなものばかりで、 書家になろうとか、これで食べていこうとかの、 我欲は一切無い所が見事に美しい。 あまり、説法らしきものは説かない良寛様。 生活において、無所有を旨とした良寛禅師、 知識の所有すらも退けている。 その姿は神仙のようであったらしい。 背が高く痩せ、鼻が高く切れ長の目、 温厚であってしかも厳正、 内面からほとばしる清らかな精気が満ち満ちていたという。 無所有・・・棄てる事により得られるもの 無為・・・何も為さない、あるがまま 心の自由・・・囚われの無い、自由を愛する 求道者の手本のような方ですね。 高次元を目指したい人にとって、 とても気になる良寛様。 近づく事すら出来ない、気高い存在。 たとえ私とは道が違えども、 とってもとっても身近に感じる存在です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[アセンション] カテゴリの最新記事
|