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U.E.Mckenzie

U.E.Mckenzie

September 30, 2004
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私はよく「若い」と言われることがあります。
しかし、これに騙されてはいけません。
言外に「歳のワリには」という言葉が必ず隠されているからです。
考えてみれば、私が2歳の頃には誰からも「若い」と言われた記憶はありません。
(記憶そのものもありません)

時間が経つのは早いものです。
最近は時間の経つのがますます早くなっています。
この調子でいけば、あっという間に10年が経ち、あっという間に100年が経ってしまうでしょう。
こう考えると最近の若い人がかわいそうでなりません。
もっと前に生まれていれば、今より時間の経つのが遅かったでしょうに。

ついでに思い返せば、若い頃は希望と可能性に満ちていたように思います。
自分の能力は限りなく大きく、偉大な芸術家でも、詩人でも、大小説家でも、OLでも、ウルトラマンでも、なれると思っていました。
しかし、そのような可能性を信じていた時期にあって、唯一自分には不可能だと思っていたことがあります。
それは中年(さらに老人)になることです。
中年になった今ではこれが逆になり、自分にできるのは歳をとることと死ぬことぐらいだと思えるようになってしまいました。
歳を取ることだって、いつまで出来るか、怪しいものです。

しかし老化は徐々にしか進行せず、昨日と今日を比較して老いを感じることは、まず無いと言ってよいでしょう。
誕生以来、任意の日とその次の日では違いを感じることはありませんでした。
数学的帰納法によれば、このことから永久に老いを感じることは無いという結論が出ますが、実際には「千里の道も一歩から」のたとえ通り(私は文系なのです)確実に老いは進行し、ある日突然、老化に気付くのです。


歳を取ると色々なことに変化が生じます。
次第に悩み事が増えて来るし、最近は悩み事が深刻な問題になってしまって、その対処方法にまた悩んでしまうのです。

つい先日も、寝酒にワインを飲むか、焼酎を飲むかに悩んでしまい、眠るまでは一睡も出来なかったのです。

昨日も、睡眠不足の日が続いているのに朝の7時まで一睡もできませんでした。
6時まで熟睡していたから良かったものの、そうでなかったら身体がもたないところです。


私の知り合いの老人は「死んだらいくらでも眠れるんだ」と口癖のように言い、毎日3時間しか睡眠を取りませんでした。
そして昼間はほとんど居眠りしていました。
このように、老人は慢性的な睡眠不足に陥っているため、居眠りすることも多くなります。
そうでなくても、覚醒時と睡眠時の違いがほとんど無くなっているのです。

また疲労に関しても、歳を取ってくると疲労が現れるのに時間がかかるようになります。

例えば普段しない運動などをした場合、筋肉痛になるのは2日ほど経ってからです。
おまけに、歳を取ると忘れ易くなるため、どうして今、筋肉痛なのか原因が思い出せず、単なる筋肉痛を神経痛と間違えることがあります。
だから朝起きて身体の痛みを感じたら、2、3日前に引越しで荷物を運んだり、エベレストに登頂したり、トライアスロンに出場しなかったかどうか、人に訊いてみるべきです。

ただ、この傾向が進み、疲れが出るのがだんだんと遅れるようになって、百年後に疲れが出るようになってしまえばしめたものです。


一般には、歳を取れば運動能力や生殖能力など、肉体的な能力が衰えるものとされていますが、これは大きな誤りであり大変な偏見です。

これは40歳でも2歳の子供にすべての勝負で勝てるという事実から明らかです。
20歳のスポーツ選手を相手にしても、彼が高熱(45度以上)であるとか、心臓移植の手術後1時間以内などであれば、40歳でも調子の良いときなら勝つことは出来ます。
しかしこれは、どんな人にも調子の波というものがあり、歳を取ると調子の良い時がほとんど無いというだけのことなのです。

たまたま調子の悪い時を取り出して、これを不当に一般化し、能力そのものまで衰えたかのように考えるのは大きな誤りであります。

この誤解は広く浸透しており、歳を取ることが嫌われる大きな原因は「色々な能力が衰えるから」と考えられています。
しかし実はここには表現の落とし穴があります。
我々は「能力」という語の文法に騙されています。

すなわち「能力」というのは、定義によって、老化とともに衰えるものなのです。
たとえば我々は「ものを憶える能力」と言いはしますが、「ものを忘れる能力」とは言いません。
「早く走る能力」と言うが「遅く走る能力」とは言いません。
「疲労が回復する能力」と言っても「なかなか疲労が取れない能力(疲労を保持する能力)」とは言いません。
なぜでしょうか?
その理由は簡単です。
我々が「能力」という言葉を、そのように使う習慣になっているからです。
加齢と共に衰えるものだけを能力と呼んでいるのです。

これはもちろん単なる語法の問題であり、その気があるならいつでも変更できる約束ごとに過ぎません。
変更のためには、言葉の規則を変える法律を制定するとか、あるいは中高年が立ち上がって、このような語法を禁止するよう圧力をかければよいでしょう。

改定してしまえば歳を取るにつれて、様々な能力(「物忘れの能力」「遅くしか走れない能力」「なかなか回復しない能力」など)が『増進する』ようになるのです。

もちろん「能力」という語だけでなく、それに関連する言葉も改定するのが望ましい。
「体力」「記憶力」「精力」「持続力」「回復力」「ぼっ○力」なども一緒に改定するか廃止するかしないと「精力が衰えて、相手を満足させられない能力が発達した」という言い方をしなければならなくなります。

また、「できる」という語の用法も変更する必要が出てくるでしょう。
でないと「一晩に5回も出来なくなったから、俺も精力がそうとう付いたものだ」といったヘンな言い方を強いられるからであります。


この方法で中高年の能力を飛躍的に高めることが出来るのであり、しかもそのために医学やジムでのエクササイズ、バイアグラなどを必要としないのです。

ついでに言葉の定義も、変えておいたほうが良いでしょう。
「若さを失う」という表現も好ましくありません。
そもそも語法によって、“失われるモノ”は、貴重なものと決まっています。
例えば「病気を失う」「借金を失う」などと言わず、別れたい人とやっと別れた場合「恋人を失う」とは言いません。
したがって「若さを失う」というような表現を許すと、若さが貴重なものであることを暗黙裡に認めたことになってしまいます。
このような価値観を含んでいる表現に代えて、「若さから解放される」「老いを獲得する」「若さから立ち直る」といった、より中立的な表現にするのが望ましいでしょう。


しかしどんなに言葉を変えても、大部分の人は老化(成長)を忌み嫌い、出来るものなら若返って若い頃にもどりたいと考えるのが現実です。
だが振り返ってみれば、私は若いときは早く大人になりたいと願っていました。
それなのに、いざ大人になると若返ることを望むのは理解に苦しむ態度です。
『無い物ねだり』というものです。
もっともこれは当然のことで、「無い」から「欲しい」のです。
例えば、「結婚したい」と言う人は、独身の人に限られ、「離婚したい」という人は、みな結婚している人です。


話をもとに戻しましょう。
考えてみると奇妙なことですが、老化は死ぬほど嫌なのに、老化の過程が途絶えてしまうのはそれ以上に嫌なのです。
生きることは老化することに他ならないのに、ずっと行き続けて、しかも老化しないことを願っているのです。
選択肢は『老化』と『死』しかない以上、死にたくなければ老化を好きになる他ありません。


ここで冷静になって老化の利点を考えてみましょう。
まず美的観点からみて、老人の方が優れています。
歳を取ると動きに無駄がなくなり、電車やデパートの中を意味もなく走り回ったり、学校の廊下でハシャギ回ったりしなくなります。
動きは必要最小限に抑えられ、そのうち必要最小限の動き(呼吸など)すら、しなくなるほどです。

無駄が切り詰められるのは動作だけではありません。
頭脳面でも無駄がなくなり、余計なことをダラダラと憶えていることもなくなります。
例えば、さっきまで自分が話していたこととか、自分の過去の悪行とか、借りた金のこととか、自分に都合の悪い事といった、憶えておくに値しないことを忘れるようになるのです。


私などは素直な(積極的な)愛情表現をする為に、恥ずかしい気持を不明瞭にする為に、酒の力を借りることがあったりするものですが、老人は意識を適当に不明瞭にするために酒の力を借りることはありません。
そのままでも充分、もうろうとしているのです。


またスリルを味わう機会が増える利点も見逃せません。
若者がスリルを味わうにはバイクやサーフボード、スノーボードなどといった大げさなモノが必要ですが、老人になればちょっとした階段の上り降りだけでもスリル満点の冒険となるに違いありません。

もちろん人格的にも、精神面でも、成熟することは言うまでもありません。
このことは、老人がレイプ事件を起こせないのをみても明らかでしょう。

身体の点では確かに老人になるにつれて、身体のあちこちが傷んできます。
しかし、もう少しすれば様々な人工臓器が開発されるでしょう。
いろんな部分を人工臓器に取り替えていけば、そのうちサイボーグになることも夢ではありません。
子供の頃に憧れていた「サイボーグ009」の仲間になれるのです。

また、歳を取ると暑さ寒さに強くなります。
その証拠に私の知り合いの老人はついに、今が、夏なのか冬なのか、判らなくなるほどの抵抗力を身に付けてしまいました。
そのうち最後には自分が焼かれても何も感じなくなるに違いありません。

歳を取ると感覚の機能が低下しますが、これもろくでもない情報をシャットアウトするために自己防衛反応が発達するのだと考えられます。
老眼や白内障になると何よりも、見たくないもの(妻の顔など)をはっきり見なくてすむようになりますし、耳が遠くなると聞きたくないこと(妻の話など)を聞かなくてすむようになります。
たとえ目や耳が良くても、目が見えないフリや、耳が聞こえないフリをしても不自然ではなくなるのです。

同様に、ボケたふりをして愚かな行為をしても不自然ではなくなります。
「いい歳をして」と非難されるのは、まだ若いうちです。
「ボケがきたのだから仕方がない」と言われるようになればこっちのものです。
好きなこと(どうせ愚かな行為に決まっているのだ)が、やりたい放題になるのです。

しかし、歳を取ることの最大の利点は何と言っても「最近の若い者は…」という言い方ができる事でしょう。
若い連中は「最近の老人は」とか「最近の中年は」と言い返すことができません。
というのも彼らは昔の老人や、昔の中年を知らないからです。
これほど痛快なことがあるでしょうか。
こういう時にこそ人は長く生きてきて良かったと感じるのであります。


考えてみると、私はこれまで注意とか小言ばかり言われ続けてきたような気がします。
学校へ行け、勉強しろ、タバコを吸うな、バイクを盗むな、ケンカをするな、シャブには手を出すな、犯すな、殺すな、捕まるな、などと、つまらない小言ばかり言われ続けてきました。
それから解放されるというだけでも、老人になる利点は充分にあります。
(そのうえ、年金まで貰えるなんて夢みたいな話です)


老化(成長)の利点はまだまだあるでしょうが、とりあえずこの程度で充分でしょう。
これだけ老化(成長)の利点を見せられて、それでもなお、「歳を取るのはイヤだ」と言い張る人がいるでしょうか。
もしそんな人がいるとしたら、その人は正常です。

どうしても老化が苦になる人は、自分が正常であることに慰めを見いだすしかないでしょう。

ちなみに、私は現在までで充分に成長しているので、これ以上の成長は不要です。






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Last updated  September 30, 2004 06:18:10 PM
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