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テーマ:スポーツあれこれ(10939)
カテゴリ:スポーツ・芸能・映画
これで最後と決めた五輪の演技終了まで、あと50秒。荒川静香は大きく息を吸い込み、銀盤を滑り始めた。「人生を駆け抜けろ」と関係者から激励されていた終盤のステップだ。反対側フェンスまで約60メートル。その先に金メダルが輝いていた。
14年前の映像がある。 10歳の少女が、力強いジャンプを跳び、美しい滑りを見せている。日本スケート連盟が長野・野辺山で始めた有望新人発掘合宿に参加した荒川の姿だ。今も続く野辺山合宿のスタートの目的の一つは、「宮城の天才少女」と呼ばれた荒川を抜てきすることだった。荒川はその後、連盟の期待を一身に受けながら成長し、16歳で長野五輪に出場した。 しかし、何かが足りなかった。もともと無欲だった。コーチ、振付師の人選は連盟がおぜん立てし、プログラムの曲も人に決めてもらい、自分の意思を打ち出すことが少なかった。2002年ソルトレーク五輪は出場を逃した。04年の世界選手権で優勝すると、トリノ五輪も近いのに引退さえ示唆した。そして昨年の世界選手権は精彩を欠き、9位に終わった。 変化が生まれたのは、敗北のその瞬間だったという。 「このままじゃ、やめられないと思った。何か、肩の荷が下りた気がした」 荒川は今季の国際大会で、15歳の浅田真央(グランプリ東海、名古屋市立高針台中3年)に2連敗した。もちろんプライドは傷ついた。だが、腐ることなく、練習に励んだ。 そして年末、連盟に選んでもらっていたロシア人女性コーチとのコンビ解消を自分の意思で決めた。SP、フリーの使用曲を年明けに変更するという大きな賭けも、自分の決断だった。 荒川は今後、プロとなることを希望している。この五輪を、「スケート人生で最高の舞台にしたい」という願いがあった。次の人生へ、誇りを持って進むために。 フリーの約4分間。3回転ジャンプ一つが回転不足となったほかは、ほぼ完璧(かんぺき)な演技だった。バックに流れた曲「トゥーランドット」は、氷の心を持つ中国の姫が1人の王子によって心を開いていく物語。どん底からはいあがり、五輪のリンクで大輪の花を咲かせた荒川の姿が、このオペラと重なってみえた。 「幸せな気持ちだった。不思議な感覚」 荒川静香のスケート人生の集大成だった。 真央ちゃんが参加できなかったのは残念ですが、かわりの大役を果たしてくれました。 とにかくおめでとうございます お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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