誰でも持ってる、宝塔「 阿仏房さながら宝塔・宝塔さながら阿仏房・ 此れより外の才覚無益なり 」 阿仏房はそのまま(七つの宝をもって飾った)宝塔であり、 宝塔はそのまま阿仏房である。 こう信じ理解するよりほかの才覚はなんの益もありません。 法華経で説かれる「宝塔」は何を表しているのですか?? 佐渡の信徒である阿仏房から質問された日蓮大聖人は 「あなた自身が偉大な宝塔なのですよ」と語りかけられています。 金や銀など七つの宝でおおわれた、まばゆいばかりの巨大な「宝塔」とは 実は現実に生きている私達の生命の姿を表しています。 本来、全ての人が仏である、宝塔である とするのが仏法の精神の根本です。 「仏」 つまり幸福な境涯とは、どこか遠くにあるものではありません。 身近な家庭・職場・地域の中で、我が生命の素晴らしい「宝」を 最高に輝かせることです。 しかも、それが一部の人だけでなく、だれもが平等に実現できると 説くところに、仏法の素晴らしさがあります 尊き「一人」を、どこまでも大切にする哲学と生き方を広げて 一人一人が輝く社会を築こうとしているのが、私達の運動です。 へ~知らなかったぁ~と言う人!次もポチットね!(ノ^o^)ノ 尊極の仏界 一 生 成 仏 抄 |