カテゴリ:カテゴリ未分類
ラオス北部のポーンサワン。シェンクアン(シェンクワン)県の県都であり,有名なジャール平原への観光の拠点になる町である。
不発弾の問題を7/7の日記に書いている。人々は,大量に投下された爆弾を,逞しくも生活の糧にしている。昨年の5/21の日記と同じく5/19の日記でも,触れている。 空港(航空機)の様子は,10/16の日記で,10/22の日記では自家発電の様子を書いた。 首都ビエンチャンから,ラオス航空のATR-72に乗り,シェンクアン空港に向かう。高度が下がってくると,平原のそこら中にクレーターのようなものが多数見える。インドシナ戦争時にアメリカ軍とラオス軍が投下した爆弾の後だ。 そのクレーター状の穴は,大きさの大小はあるが,人と比較してみると,よくわかると思う。 前後するが,シェンクアン空港はたいへん小さい。外からでも簡単に入れそうだ。1日,数便も発着しないので,こんなもんか… このように,爆弾がふつうに置かれている。上に乗っている子は,これがその昔,人々に悲劇をもたらしたものだとは知る由もないだろう。その悲劇は,今も続いているのだが… 田舎の村の子どもたちだ。素朴な古き良き日本を見るようで,気に入っている。こんな光景は,日本では絶滅したのでは… この画像は,本サイトのトップページに採用している。 ポーンサワンの町だ。町自体は,小さくて,特に何があるというわけではない。ごくふつうの田舎の町だ。 以前も書いたが,バンガローがあるゲストハウスに泊まった。コングケオ・ゲストハウスだ。この辺りは,電気は夜間しか来ない。行ったのは12月。乾季で,朝晩はかなり冷え込む。半袖では寒い。水シャワーは,かなり応える。本館へ行けば,ソーラー発電のホットシャワーがあるようだが,面倒くさいので震えながら水シャワーを浴びた。 ゲストハウスが主催するツアーに参加してみたのだ。シェンクアンの各地やジャール平原をまわった。その前に,朝のマーケットに寄ったのだ。欧米人が数人でアジア人は私1人だ。なんとなく肩身が狭い… このマーケットには,いろいろな動物が売られていた。また後日UPする。 こちらは,旧マーケットである。こちらは,1人で歩いている時に寄った。雑貨が中心である。 こういう店の雰囲気は大好きだ。日本では,ほとんど見かけなくなってきたジュースのビンは,こちらでは堂々と最前線でがんばっている。 町から郊外へ歩いてみた。田舎なので,町並みはすぐになくなってしまう。ムアンカム方面へ向かってみた。町の中心部から40分ほど歩いた。 自転車に乗り,多数の小学生がやって来る。学校へ行くのだ。自転車は,日本で言うと昔のママチャリが多い。 こちらは,徒歩で学校へ向かう子どもたち。日本のように,1日ではなくて,午前と午後で交代すると思う。このときは,昼前だった。 町の家は,とりあえずコンクリートなどを使った家だが,町から出ると,このような木造(葉っぱ?)が中心となる。 こんな笑顔は,大好きだ。なんともほのぼのとしている。 こんな湖を発見した。これは,きれいだった。ガイドブックにも載っていないので,名前もわからない。通りがかるだろうが,だいたい,こんなとこまで歩いてくる外国人は,いないかも知れない。 もっと,あちこちを歩いたら,まだまだいろいろなものを発見したかも知れない。 ↓ どんどんクリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします! 人気blogランキングへ こちらも! クリックで,本サイトへ! 本サイト お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|
|