カテゴリ:タイ
アジア初訪問の時の何とも言えぬ興奮は,今でも鮮明に覚えている。慣れてしまった今でも,その時の気持ちを忘れないようにしている。以前もUPしたが,今一度UPする。
私が初めてアジアへ行ったのが,'94年8月のタイ。友人と一緒だった。初期の頃の画像増強の再リニューアル版である。8mmVTRのキャプチャ画像なので,画質がかなり粗い。 私の小学校来の友人が,仕事上いろいろあって退職。いきなりタイへ傷心旅行に行った。初めての海外の上に,1ヶ月も行ったのだ。当時は,ネットなどまだ発達していない。国際電話も高い。よって,情報は皆無だ。みんな,かなり心配したが,無事に帰ってきた。しかし,ゲッソリとやせていた。 その後,またタイへと渡った。その2度タイへ行っていた友人に「一緒に行こけ~!」と,誘われていたのだが,タイはたいへん恐いイメージがあり渋っていた。あまりに熱心だったので,2年ほどして一大決心?をして行くことに決めた。その当時は,“決死の覚悟”だった。友人は,私がいつもキッパリと断るので無理と思っていたらしく,逆に驚いていた。 さて,バンコク,ドンムアン空港に着いたのは,確か夜の10時頃。友人は,バスに乗ると言って前の通りに出た。周りには誰もいない。しかも街灯もなく真っ暗。ふつうの路線バスに乗るのだ。そのときは,初めてで全く知らなかったが,ふつうの観光客は,こんなとこからは行かない。しかし,タイというのは,こんなことをしないと街に出られないのかと思ってしまった。この時点で,かなり不安になってきた。後から知ったが,到着ロビーには,タクシーやバスがちゃんとある。鉄道にも乗れる。別に不便ではないのだ。 バスが来た。人がたくさん乗っている。「スリに気をつけろ!」と友人は言う。また不安が大きくなる。なかなか進まない。名物の渋滞だ。不安になりながらも,見るもの全てが珍しい。 どれぐらい乗ったか,私たちは,タイ国鉄のホアランポーン駅前で降りた。翌日,鉄道に乗ってチェンマイへ行くことにしていたからだ。ここはチャイナタウン。私にとっては,怪しげな雰囲気が漂っていた。駅から歩いて5分もしないところの旅社(安宿)に泊まることになった。 深夜で周辺は真っ暗なせいか,不気味に見える建物。しかも古くてボロい。部屋のドアの鍵は南京錠だ。中は薄暗くて汚い部屋。簡単なベッドしかない。しかも,ボロい。こんなとこで寝るのか!??網戸の隙間からは,通りを走るトゥクトゥクやバイクの音が聞こえてくる。 タイ式トイレと壊れかけた水シャワーの汚い部屋。洗面の水の管は,途中で切れていて手を洗った水が足下に流れてくる。なんじゃここは!!超カルチャーショックだ! 私は「信じられんっ!?」と言ったが,友人はお構いなし。この宿は,2人で1泊120バーツ(当時のレートで480円)。1人分は,たったの60バーツだ。考えたら,部屋の中に水シャワーとトイレとが,ちゃんとあるので超格安か??ここが,私の旅の出発点になった。このときの印象は,特に強烈に残っている。 ‘09年12月,15年半ぶりに,その旅社を訪れる。‘10年2/2の日記でUP(クリックでジャンプ) 街へ出た。すでに夜の12時前。しかし,街のあちこちに人がたくさんいる。しかも,多くの人々が道ばたに座っている。友人が言う「あまりビデオをまわさない方がいい。」。そんなに危ないのか??小一時間歩き回った後,宿へ戻った。部屋に窓はないが,壁の一部が鉄格子付きの網戸のようになっていて,隙間からわずかに外が見えた。外は,夜中になってもトゥクトゥクやバイク,車の音が止まなかった。本当に大丈夫なのか??生涯で1番不安な夜だった!あとで知ったが,この辺りは,治安が良くないらしい…知らぬが仏だ。 バンコク~チェンマイは,確かタイ国鉄で10時間以上乗った。 初めて食べた弁当。ほかにも,バナナの皮で包まれたカオパットも食べた。 チェンマイで昼食。友人だ。 チェンマイ~チェンライは,バスに乗った。 チェンライのホワイトハウスゲストハウスの主人だ。ここの従業員の兄ちゃんと仲良くなり,カラオケなどへ行った。 ‘04年8月,10年ぶりに見に行ってみた。同じ場所に,3階の建物がある。横に平屋建てもあったが,「あれ?なくなったのか??」以前は,平屋建て2棟と2階建ての計3棟だったのだ。 平屋建ての方に“ホワイトハウスホテル”の文字。「なに??」ホテルになったのか!?ずいぶんと変わったもんだ。 このゲストハウスが主催する近郊を巡るツアーがあった。ツアーと言っても,主人の四駆に私と友人が乗って行っただけだ。 ここは,ゴールデントライアングルで有名なチェンセーン郊外。タイ・ミャンマー・ラオスの3カ国の国境が接するところだ。右がラオスで左がミャンマーだったかな? しかし,当時の私は今よりもかなり細い!! 車から撮ったメーサイの街。中心部の手前だ。今は,かなりきれいになってしまったが,その頃はのんびりとした雰囲気だった。 メーサイは,ミャンマー(ビルマ)との国境だ。向こうは,ミャンマーのタチレク。この時は,越境はしなかった。 この後,国境越えは何回かしている。画像は,’05年1月。 山岳民族の村だ。結構,山に入ったところにあった。アカ族やヤオ族と聞いた。確かに,昔ながらのくらしに見えたが,観光客用にものを売っている家もあった… バンコクに戻って,渋滞に遭遇。 チャオプラヤ川沿いにある有名なワットアルン。暁の寺とも言われる。 上から。当時は,茶色の川もめずらしいし,街の光景もめずらしかった。 サメット島 サメット島の店で。晩ご飯を食べに行ったときにいた若者だ。酔いも手伝って,みんな陽気に声をかけてきた。よく考えると,この時点ですでに地元の人間と仲良くなっていたのだ。 この店には,裸のじいちゃんがいて,とてもいい雰囲気だった。滞在中は毎日通った。その後,8年ぶりに行ったのだが,島は(観光地化という意味で)きれいになり,この店もなくなってしまっていて,なにか寂しい思いがした… ‘05年に再訪している。 パタヤーで,初めて見たムエタイの試合。 この時,リングサイドの私の横に巨漢の米国人がいた。いきなり横で服を脱ぎ,仲間とミット打ちを始めた。すごい迫力やな!…と思っていたら,直後に飛び入りで?試合に参戦した。体は完全なヘビー級だ。しかし,そのヘビー級ボクサーが,タイの軽量級選手にあっさりと負けたのが衝撃だった! パンチよりも,ヒジ打ち,ヒザ蹴りが恐ろしく有効打になった。ヒザ蹴りのボディーブローが確実に相手のスタミナを奪っていることが,はっきりとわかった。恐るべしムエタイ!! いつまでも,この新鮮な気持ちを持ち続けて旅をしたいと思う。 ↓ はげみになります。 本当によいと思われた方,クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします! 人気blogランキングへ にほんブログ村>アジア旅行と海外旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。 クリックで,本サイトへ! 本サイト お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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