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カテゴリ:ココロ
今ある阪急梅田駅、JRの北側、3Fにホームがある駅は、兄が生まれた年に完成した新しい駅とのこと。新しいといっても、もう32年経っている。
古い駅はもう少し南、2005.5現在、阪急グランドビルがある場所(2005年に大改装が始まったので、今後はどうなるか)にあったらしい当時は北側から来た神戸線や宝塚線の線路が、JRの高架の下(今はムービングウォークがある)をくぐり、阪急前交差点に抜け、そこをプラットフォームとしていた。 建築当時の写真を見ると、JR、阪神、阪急は、今は御堂筋が始まる点、あのややっこしい大交差点のある箇所を駅前広場として共有していた(ように見受けられる)。乗り換えがスムーズな、ベストな配置。 今はその場所をバスと車に譲り、人は地下もしくは陸橋を渡り、各電車を乗り換える。 あの場所が広場だった、あの場所が正規の入り口だったと知って、私は非常に合点がいった。そこを訪れた事がある人なら、だれでも納得がいくと思う。そこは単なる乗り換え路とは、とても思えない造りなのだ。 高いかまぼこ型のドーム天井には豪華なシャンデリアがいくつもさがり、左右の阪急百貨店入り口の上部には金のモザイク画。その上に飴色のアラベスク(唐草模様)の透かし彫り、さらに上には、乳白色のドームを美しく囲う琥珀色のレリーフ(フランス王家のユリのような図柄)がつたっている。 ドームを抜け、奥の小さなアーチをくぐるとそこには幾何学模様の天井が高く高く伸びている。室内はほぼ正方形。4方の壁面の高い部分にステンドグラスがあり、さながら大きな教会のように造られている。 その奥が当時はプラットホームで、複数の線路が引き込まれていた。奥の長い通路は、ホームだったと言われればピンと来る形と長さ。 今は阪急百貨店とグランドビルの入り口がある良い雰囲気の通路だ。 ドーム天井の下は、今は入り口とは名ばかりの状態で、外との連絡口はかなり狭い。地下に降りる階段が広く取られており、メインになっている。 あえて、ポストのある入り口から、あの場所が広場だった当時、阪急電車に乗る人の視界を想像しながら歩いてみた。 不思議な感覚を憶えた。 自分の周りを歩いている人が、和服にショールの婦人や、フロックコートの紳士であるような感覚。私は見たことがないけど、大正や明治、昭和初期の人たちが、ステイションへ足早に過ぎる。ひげに制服制帽の切符切りの駅員さんが金属の手すりの改札にいる。グランドドームから、海老茶の車輌が入線するのが見える。 こんな美しい駅を、なぜ造ったのか。それは、人が大勢集まる場所には、それなりの格式があるべきだったから。 いつの時代でも大きな駅は、それなりに「今」の技術の粋を集めて造られる。この駅が出来たのは昭和2年?利用客はみんな、目を瞠ったことと思う。当時の最高傑作だったろうから。 格式高く、美しく、新しかったから。 それから79年経って…。 建築当時、大切だった価値【格式】はもう必要ない。 美の基準はがらりと変わった。当時新新しかったものは今は骨董品だ。 忙しい現代の重要な価値基準は、【新しい】事。そして【機能的】で【美しい】事。 わずかに古いものに価値を認めても、天秤にかければやはり軽い。 現代の価値基準に照らしてみれば、単に、「当時、価値があった物」なだけで、あの美しい造りは、今や単なる無駄でしかない。 機能性もなく、生産性もない。維持費や固定資産税を費やす点から見れば、全くの無駄。 「もっと効率の良い物に変えたい」と思うのも、当然と思う。 それでも、それでも。 私は惜しい。 簡単に諦めてしまえない。 どうか、改装後も残して欲しい。 建物を建て替えれば、当然人の流れも変わる。あの場所で、今は無価値の憂き目を見る無意味な荘厳も、新しい導線に組み込んで、新しい建物に移し変えれば、今でも十二分に価値があるものだと、私は思う。 薄い望みなのは解ってるけど…。 今は祈るばかり。 あんなに美しい物どもが、ただの瓦礫になってしまうなどという事が、 どうかありませんように…。
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